題名4-4:久米島にある太陽石
太陽石のまとめとして
尚真王時代で(1465年から1527年)
夏至のころを粟国島
冬至のころを渡嘉敷島の久場島
その間の島々で各季節を知る
一か所で見ることが出来る場所
個人的には2つの島は太陽石からは見えない距離だと思うので調べてみた。
太陽石がある場所は標高105Mである、105mの高さから見える水平線は37Kmである。(地平線の距離と角度-高精度計算サイト参照)
夏至の粟国島は太陽石から約49kmの距離にある
冬至の久場島は約51Kmの距離にある
単純に太陽石のある標高105mにそれぞれの最高標高を足して計算してみた
粟国島
最高標高95.8m 105+95.8=200.8mで 水平線の距離50.6107km
49<50.6107でぎり見える?
久場島
最高標高270.1m 105+270.1=375.1で 水平線の距離69.1731Km
51<69.1731で見える?
この単純計算方法は合っていますか? わかるかた教えてください。
さて この太陽石には誰も知らない秘密があるのだ。
この太陽石は
亡くなった人が帰って来る(お盆)の前の知らせの日(七夕)でもあります。
ただしこれは【太陽線とダビデの星の図形】から見た私の個人的な意見です。
毎年旧暦7月13日~15日にかけてお盆がありますが、沖縄では旧暦7月7日の七夕の日に墓掃除をします。
墓前にお供えして先祖にお盆が近つ”いたことを報告します。
宇江城城跡を基点にして太陽石(ウティダ石)の上に朝日の太陽があたつた時が旧暦7月7日(新暦は8月4日(2022年))なのです。
そして 1週間後のお盆の日には世界遺産の一つである今帰仁城跡に太陽が来ます。
今帰仁城も重要な御嶽であり この世とあの世のつなぎ目で大切な場所となるわけです。
参考文献
ヤマアテによるコヨミ認識の一様相 ――沖縄県久米島町のウティダ石のもつ意義を中心に――
七夕とお盆
七夕と言えば織姫と彦星が神の許しを得て年に一度会える日ですよね。
お盆も家族と祖霊が会える日
七夕は中国から奈良時代に伝わったそうです。
奈良時代:710年-794年
ほとんどの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。
星座早見盤で見てみます。
旧暦7月7日の七夕を別の機会に掘り下げて見たいと思います。
今回は以上です。
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