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題名5-4:織姫と彦星との三角関係

瀬戸内寂聴さんが去年亡くなりました。たしか不倫について話しておられて[不倫は勧めはしないが不倫がなければ名作は生まれない〕とテレビから聞いた覚えがあります。(間違っていたらごめんなさい。)
今 寂聴さんをネットで検索したら、結構不倫に関する記事がありますね。

例題5-3で七夕の織姫と彦星の話をしました。ご存じかと思いますが、こと座のベガ(織姫星)、わし座のアルタイル(彦星)、そしてもうひとつ はくちょう座のデネブ、を結んでできる夏の大三角形があります。
女一人に男二人の関係です。

この 夏の大三角形の星たちは我々人間にも影響を与えるようにみえます。
沖縄の歴史に護佐丸・阿麻和利の乱というものがあります。 その乱の中に三角関係のあった方がいました。沖縄の人なら誰でも聞いたことがあるでしょう
一人が勝連グスク城主の阿麻和利(あまわり)、鬼大城、百度踏揚(ももとふみあがり)です。
ここでは 御三人様と夏の大三角形との関係を[太陽線とダビデの星の図形〕で見てみたいと思います。
護佐丸・阿麻和利の乱を説明するとたいへん長くなるので『ウィキペディア(Wikipedia)だけにします。

1470年(成化6年)に第一尚氏王統 尚徳王の家臣の金丸(尚円王)が即位する。第二尚氏王統開始。第一尚氏王統6代目尚泰久王(1454-1460).の時に1458年 護佐丸・阿麻和利の乱が起きる。
護佐丸・阿麻和利の乱とは
      
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
琉球正史による評価[編集]
「中山世鑑」ほか正史によると、勝連城の按司であった阿麻和利は首里城を陥落させ王位に就こうと野心を抱いていた。
尚泰久は娘の百度踏揚を阿麻和利に嫁がせ、忠臣の護佐丸を読谷山の座喜味城から中城城の按司に任じて牽制した。
これに対して阿麻和利は、護佐丸が兵馬を訓練して力をつけ、反逆を企てていると讒言した。
泰久王は疑いつつも、実際に護佐丸が軍備を整えているのを知り、阿麻和利に護佐丸を討たせた。
しかし、護佐丸には謀反の心はなく、抵抗せずに自刃した。
阿麻和利は今度は泰久王を狙おうとしたが、妻に嫁いでいた百度踏揚と付き人の越来賢雄(鬼大城)がこれを知らせたので、王は阿麻和利を討ったという[1]。
沖縄では有名な話です。

本題にはいります。下図をみてください。御三人様(お墓)と夏の大三角形の関係図です。

5-4-1図:御三人と夏の大三角形の関係

赤円は丑点を中心にアルタイル(彦星)を半径にすると鬼大城の墓となる
  彦星は牽牛星とも言われているため、丑点に注目した。
  鬼大城の墓は知花城跡にある
青円はあまわりの墓を中心にして、織姫であるベガを半径にすると
  デネブが円上に浮かぶ
あまわりの墓と鬼大城の墓の結んだ線を①緑線とする
ももとふみあがりの墓から①緑線の中間を通る②緑線はベガを指す
よって [太陽線とダビデの星の図形〕において
  ベガはももとふみあがりであり
  デネブはあまわり
  アルタイルは鬼大城となる。
今年も七夕の日からお盆にかけて 勝連城跡(世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群))の見晴らしのいい場所で三人仲良く語りあって楽しんでいるんでしょうね。
地球が爆発しない限り永久の愛を誓った御三人に感服です。
北半球上では夏の大三角はどこでも見えるから
事情があって同じお墓に入れない恋人方は参考にしたらいかがですか

5-4-1図の拡大図

4-3-1図の拡大図

ももとふみあがりの現在のお墓は南城市玉城富里222番地にありますが、元々は500Mほど西側にある南城市立玉城中学校内にありました。
学校建設に伴い移動したようです。校舎内にはたしか石碑のようなものがあってわかるかと思います。キャド図では元々あった場所を指しています。
ももとおば~ちゃんがかわいそうですね。


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