私たちの弱さに心開き、傷つき、共にうめいてくださる聖霊
2024年8月25日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師メッセージ「御霊によって歩む11」を聞いて頭に残ったこと
エペソ4:30
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは贖いの日のために聖霊によって証印を押されているのです。
聖霊は独自の意思・感情を持っている。
聖霊なる神の感情面を知る
聖霊なる神の感情は、もっともないがしろにされている。
聖霊なる神とますます親密になりたい。
キリストに似るものに変えられていく
「悲しまれる神」を理解したい
イザヤ63:8-10
愛と哀れみ
彼らが苦しむときはいつも主も苦しまれた。
しかし彼らは逆らって主の聖なる御霊を悲しませたので、主は彼らの敵となり、自ら彼らとたたかわれた。
神は一心同体の関係を望んでおられる。
主なる御霊と主は分けて語られている。
反逆とは、偶像崇拝のこと。
聖霊が悲しんだ。
悲しみは受動的な感情。
神はいかなるものからも影響を受けない。
なのにイスラエルが反抗したので悲しんだのはなぜ?
イスラエルの民と一心同体となろうとされる神は、彼らに心開かれたから。それで傷つけられて、悲しんだ。
リーダーは自分の個人的な感情や態度が相手を助ける妨げにならないように気をつける必要があることを強調したうえで、ここで基本原理をもう一度、確認したい。その基本原理とは、巻き込まれることなしには、全人格をもって痛みに満ちた状況に入り込むことなしには、その過程の中で痛めつけられ、傷つけられ、時には破滅させられる危険をおかすことなしには、誰のことも助けることができない、というものである。
こうしたら牧師は燃え尽きてしまうが、神はこのように心開いて傷ついてくださった。
マタイ26:37-38
イエス「私は悲しみのあまり死ぬほどです。」
父なる神から断絶される悲しみ。
一緒にいたいと望まれた。その願いを背を向けると悲しませる。
エペソ4:30
神の聖霊を悲しませてはいけません。
イザヤ63:10を念頭に置いた。
「悲しませる」原語の意味は、「信頼を裏切る」。
罪からの清めとは、
罪の行為が聖霊をどれだけ悲しませるか理解すること。
責めを感じてほしくないが、
聖霊の悲しみにもう少し敏感になりたい。
エペソ4章の文脈
4:1
主にある囚人
召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
「主にある囚人」パウロをとらえることができるのは、キリストの愛だけ。
「召し」御霊によって歩むということ。
4:2
謙遜と柔和の限りを尽くし、・・・
御霊による一致を熱心に保ちなさい。
一致だけ強調すると危険。同調圧力。不一致に対して不寛容。
意見の一致ではなく、神学の一致でもなく、「御霊による一致」。
謙遜と柔和、寛容さ、忍耐、平和は御霊の実。
ローマ8:22
被造物のすべては、今に至るまでともに苦しみ、うめいている
「御霊による一致」とは、ともに苦しみ、うめき、巻き込まれること。
その苦しみは生みの苦しみ。やがて希望が生まれる。
全能なる神が、イスラエルの弱さに心開いて、傷つけられることをよしとされた。
境界線を引くことは原則だが、時に巻き込まれることに心開かねばならない。
ローマ8:23ー26
子にしていただくこと うめいています
御霊も弱い私たちを助けてくださいます。
言葉にならないうめきによって
聖霊はわたしたちを責めない。心開いてくださり、共にうめいてくださる。悲しみ悶えてくださる。その中にとりなしが生まれる。
裁きからはとりなしは生まれない。
自分のせいで苦しんでいる人には、頭では関わりたくないと思うが、内に住まれる聖霊がその人のためにうめくので、とりなしの祈りへと導かれる。
聖霊をもっと尊重したいし、その悲しみに対してもっと敏感になりたい。
聖霊は私たちの弱さをほっておけないので、うめいてくださる。そのうめきからとりなしの祈りが導かれる。
「傷ついた癒し人」になるという召し
感想
聖霊が私たちの弱さに心開いてくださり、傷つき、共にうめいてくださるというのは、実感したことがなかった。
聖霊がそのような存在なら、心の距離が近くなる。
「十字架が全然わかっていない」と言われそうだが、神様を遠く感じているので、聖霊に思いをはせてみようと思う。
巻き込まれることと境界線についても考えさせられた。
私を含めクリスチャンは境界線くっきり派が圧倒的に多いような気がする。
「聖霊による巻き込まれ」は、聖霊なしの人間的巻き込まれとは全然違う気がするので、この新たな世界を知りたい。