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【蓮ノ空】μ'sが次世代にカラオケで歌われた配信が本当に素敵だったという話
2024年11月11日に配信されたWith×MEETS、日野下花帆と大沢瑠璃乃による『カラオケしちゃお!パート2!』
前回大好評を博した企画の早くも第二弾。
グループ内でのカラオケカバーだけかと思いきや、本編パートの最後に歌われたのは、まさかまさか、μ'sの『輝夜の城で踊りたい』だった。
端的に言えば、このカラオケカバーが本当に素敵だった、というだけの感想なのだが、Twitterじゃ収まらない長文になったのでnoteで語らせて欲しい。
何より自分が一番素敵だと思ったのは、今回二人が歌おうと思ったきっかけだ。
花帆「というわけで、日野下花帆とーー」
瑠璃乃「大沢瑠璃乃による『輝夜の城で踊りたい』でした~」
花帆「やっぱりこの曲楽しいね~」
瑠璃乃「たのしいね~」
花帆「この曲はね、あの梢センパイが前にね、鼻歌で歌ってて、すっごく良い曲だから、それなんですか~って教えてもらったんだよね」
瑠璃乃「そう! そしたらなんか、ハマっちまいまして~」
花帆「ね~そうなんだよね~」
かつてその活躍で廃校の危機を救ったスクールアイドル。それに憧れてスクールアイドルを志した乙宗梢さんが、ふと口ずさんでいる姿を想像するだけで微笑ましい。
しかしそれ以上に、元は曲のことを知らなかった花帆ちゃんと瑠璃乃ちゃんが、純粋にいい曲だと思って梢センパイに教えてもらったという経緯が本当に素敵だと自分は思った。
もしかしたら、花帆ちゃんは今日歌った曲が、梢センパイの夢の原点であるスクールアイドルの曲だったとは教えられないままに歌っていたかもしれない。
瑠璃乃ちゃんも、曲中の「にこ!」がまさか人名由来とも知らず、単にニコニコな意味としか思ってないで歌っていたかもしれない。
当時歌っていた人たちの歩みを知り、曲への思いを知り、リスペクトを十二分に込めて重々しくカバーすることも、もちろん素晴らしいことだ。
だが、今を生きる女子高生が「なんかいい曲だよね」「今度カラオケで歌おうよ」なんて軽い気持ちで歌っている。
これも歌にとっては理想の形ではないかと自分は思うのだ。
少しだけ話はラブライブ!から逸れるが、日本を代表するシンガーソングライターのお一人である松任谷由実さんは、自身の理想を「詠み人知らずになること」だと度々メディアで口にしている。
歌はそれを口ずさむ人が死に絶えてしまったら消滅します。そう遠くない未来に私が死んで、私の名前が消え去られても、私の歌だけが詠み人知らずとして残っていくことが私の理想です
「詠み人知らず」とは、和歌などで作者が不明なことを示す表現だ。
誰が作ったかは不明だが、ネットもテレビも通信手段も一切ない時代に「この歌いいよね」と思った人々の間で口ずさまれて伝わっていたものが、偉い人の耳に入り、和歌集に収録され、千年以上の時を超えて現代まで伝わっているわけだ。
蓮ノ空の今回のカラオケ配信は、まさに“詠み人知らず”なまま、ただ純粋にμ'sの曲の良さだけで、次世代に歌われているような、そんな感慨を受けた。
歌にとってこれほど幸せなことはないだろう。
夢もなくメタい話をすれば、μ'sの曲をカラオケで歌おうと決めたのはコンテンツ運営の大人たちなのだが、こうした理由づけを演出をするのが、毎度のことながら蓮ノ空は本当にお見事だ。
今や花帆ちゃんや瑠璃乃ちゃんのように、かつての伝説的スクールアイドルを知らない世代も普通にスクールアイドルを志している時代なのだろう。
劇場版で高坂穂乃果が願ったように、それだけラブライブ!の世界では、スクールアイドルという存在が大きく広がり、日常の中に溶け込んでいるような、そんな印象も自分は受けた。
選曲もアニメ挿入歌のような強い文脈が乗ったものでもなく、「文脈とかわからんけどライブでは超盛り上がる曲」なのも、蓮ノ空の本編に支障を与えたり、変な深読みを生ませないグッドチョイスに思える。
ラブライブ!シリーズでは、ほんのここ1,2年で、蓮ノ空の歌ってみた動画や、異次元フェスを皮切りに、シリーズ内でのカバーを積極的にするようになった。
現在開催中のアジアツアーの各公演では、そんな近年の動向を象徴するようなセットリストが続いている。
Aqoursちゃんの活動初期の頃の”あの空気”を肌で知っている人からすれば、信じられない光景だろう。
あなたは昨今のラブライブ!の流れをどう感じるだろうか。
永遠に綺麗な思い出の中で、誰も触らないで欲しい、という方の気持ちも正直わからなくはない。
しかし、ガラスケースの中に閉じ込めて誰にも触れられない状態にすることが歌にとっての幸せだろうか。
それは違う、と私は思う。
残酷にも時は止まることなく流れ続ける。
どんな世界的名曲も、次世代に聴く人がいなくなれば、歌は死ぬ。
けれど、新しい世代の誰かに聴かれ、誰かに歌われ続けることで歌は永遠に生き続ける。そんな時を超える力を音楽は持っている。
実際、今回の配信の感想をTwitterで追っていても「輝夜知らなかった」なんて投稿も少なくない数目にした。
Liella!ちゃんや蓮ちゃんのファンの中には、μ'sのことをあまり知らない、実はアニメもまだ観てない、なんて人も決して珍しくはないのが実態だ。
憤りを覚える方もいるだろうか。
私は大いに構わないと思う。
それだけラブライブ!というものが、スクールアイドルというものが、過去の功績なんて関係なく、次世代にも魅力を感じてもらえるものとして受け継がれていることの証左でもあるだろう。
このカラオケ配信の夜にはTwitterでラブライブ!老人会が開かれて、若いファンにμ'sの曲をオススメするような光景も各地で目にした。
ラブライブ!シリーズが歴史の歩みを止めない限り、次世代のファンが生まれ続ける限り、原点に触れる機会も、新たなμ'sのファンも生まれ続けるのだ。
ラブライブ!はこれからも止まらない。
数年以内には、また新たな物語が生まれるかもしれない。
時の流れの残酷さにため息をつくだけでなく、次の世代が、自分の愛したスクールアイドルたちに何かの機会に触れたとき、そっと魅力や思い出を語れるような人でありたいと自分は思う。
誰だって自分の好きなものを知らない人に語ることは、この上なく嬉しいはずだ。
ある日、誰に聞かせるつもりもなく鼻歌を歌っていたら、
「梢センパイ! その曲いいですね! なんて曲ですか~?」
そんな風に花帆ちゃんに尋ねられたとき、きっと梢センパイも幸せな笑みを浮かべていたことだろう。