自分の名前
「君の名前は 優しさくらいよくあるけれど
呼べば素敵な とても素敵な 名前と気づいた」
『始まりはいつも雨』の歌詞だ。
この歌は、小さな頃から母が聞いていたこともあって、大好きなのだが、このフレーズに、私はとても憧れを抱いていた。
というのも、私は苗字も名前も珍しく、幼少期は酷くコンプレックスだった。
名前の方は最近になって増えてきたが、私が学生だった頃は珍しかった。
そして苗字に関しては、国内でなかなか人数もいないので、同じ苗字の人に出会ったことがない。
今ではないだろうが、クラスメイトや担任の先生にまで、名前をからかわれていた。
担任の先生に言われた言葉は悔しくて覚えてる。「キラキラ!」「お前、苗字も名前も薬品みたいな名前だよな」「犬の名前か」「親、宗教関係?(私も両親も知らなかったが名前の方がキリスト教に関連がある響きの単語らしい)」
今の時代なら、教育委員会問題だ。
小学生の時は、テストの答案用紙に名前を書くのですら嫌だった。
どうしてこんな珍妙な苗字なんだろう。
みんなと同じような苗字だったら、もしかしたら名前は馴染んだかもしれないのに。
父も実際に苗字でいじられたりすることが多かったからこそ
苗字に負けない名前をつけようと意気込んで、意味があまりないこの名前をつけたそうだ。
母は『山本』という平凡な苗字を嫌って、珍しい苗字の父に興味を持ったそうだ。(本当なのか冗談なのかは不明)
そうして、大人になった今も、苗字プラス名前を言うときは、まだ恥ずかしさが伴うこともある。
結局、父が望んだ通りではなく、苗字のインパクトが強くて、友人からは苗字呼びが定着した。
でも、たくさん愛称をつけてもらったり「呼びやすいよね」「名前素敵だね」と言われることが増えた。
営業の仕事をしていた時は、名前の話で盛り上がることも多かった。
好きな人は、苗字かっこいいよね。いいなあ。と言ってくれた。
名前も、丁寧にいつも呼んでくれた。小さな声でも大きな声でも、優しい声でもたくさん呼んでくれた。
優しさくらいはたくさんないかもしれないけれど、
嫌いで嫌いでしょうがなかった、この名前を私の周りの人が素敵な名前にしてくれた。
私も何度も何度も、好きな人たちの名前を呼ぼう。
素敵な名前だねって言おう。
今はこの名前でよかったと思う。
生まれ変わっても、この名前で過ごしたい。
意味はあまりないと言ったけれど、生まれ育った場所の近所の地名から取った名前だ。近所って言っても、あまりその場所に行ったことはないけれど。笑
そして画数は大凶らしいけれど。
あと目立つので、悪いことは絶対できないけれど。
もし苗字が変わる日が来ても
きっと周りの人に呼ばれるたびに、素敵な名前になっていくのかなと思う。
今では、この苗字が好きなので、少し抵抗感はあるのかな。
小さな頃、嫌った、憎んだ、この名前を恋しくなる日なんて想像つかなかったなあ。
いつか自分の苗字のルーツを探りたい。
四国の方にご先祖様がいたそうだ。
いつか、行けたらいいなあ。
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