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ひとのなかで

私大受験がおわった。

ぼくはいま、東京駅で帰りの新幹線を待ってる。

歩くのが疲れたから、ちょっとした座るスペースで
休んでいる。


まわりを見ると、いろんなひとがいる。

椅子から落ちそうな体勢でぐっすり寝てるひと。

経済の雑誌を集中して読んでるひと。

パソコン作業に姿勢をよくして取り組むひと。

頬杖をつきながらスマホを見ているひと。

忙しそうに手帳を見ているひと。

どこかをじーっと見つめているひと。

ひとが多いからか、普段はあんまり気にしないけどそういうのに目がとまる。


目の前のスーツ姿のひとも、
真後ろの電話をしているひとも、
斜め右の親子のひとたちも、
斜め左のおしゃれなひとも、
斜め後ろのパソコンを使っているひとも、
みんなみんな、名前も出身も何も知らない。

ただただ偶然にここにいるだけで、
気がつくとどこかへ行ってしまう。

このひとたちを、また見つけることはあるのかな。


受験の日にもおんなじようなことを思った。

隣の席で試験を受けてるひとは、
日本のどこからここまで来たんだろう。

このひととは、偶然受験番号の関係でとなりの席になっただけで、この試験が終わったらたぶん一生、
このひとを見つけることはないんだろうな。

廊下ですれ違ったまじイケメンも、
試験監督の滑舌が苦手なおじいちゃん先生も、
バスで「先払いだよ!」と怒鳴った運転手さんも、
縁がない限り、一生見つけられないんだな。

同じ駅で電車に乗って新宿で降りてったひとも、
ホテルのエレベーターで乗せてもらったひとも、
マックの笑顔がすごくて丁寧な店員のひとも、
いまこのときの偶然だけで、もう見つけられない。

そしてそのうち、忘れていく。

名前も、出身も、職業もなんにもわからないまま、
そのひとの外見を見て、中身を知らずに忘れる。

顔がだんだんぼやけて、記憶から消えていく。

僕も周りのひとから見ればそのひとり。

誰かにちらっと姿を見られて、いつか忘れられる。


それがふつうなんだろうし、あたりまえのこと。

でも、よくよく考えるとふしぎなこと。


僕には、そのひとをまた見つけたい気持ちが、
ほーんのちょぴっとだけある。

夢があるし、また見つけられたらうれしいから。

でもいざそうなっても、そのひとを見るのは
はじめてじゃないけど、はじめてなんだろうな。

なんか、もどかしい。


そのひとは、何かがないと見つけられないと思う。

どんなときでも、どんなところでも、
何かがないと目の前のひとを見つけられない。

それはいま生きている世界のなかでも、
消えゆくじぶんの記憶のなかでも。

その何かは、そのひとに関わる情報だったり、
そのひとと過ごした思い出だったりする。

そのなかで、僕は「そのひとを知りたい」っていう
感覚を、感情を推したい。

なんでかっていうとね。

それはまぎれもなく、じぶんのこころから素直にでてきた、一度出たらすぐには消えないものだから。

それがあったら、そのひとと心でつながれる
大チャンスだから。

それが、じぶんを新しい世界に連れていくから。


僕には、そのひとを知りたいっていう感覚が、
ほーんのちょぴっとだけある。

これを大切にして、すこしずつ大きくしていけば、
目の前のひとを、また見つけられるかな。

なんか、そんな気がする。

東京駅、はじめて外観を生で見ました。

思ってたよりも暖かい感じがして、
そんなことないんだけど帰ってきた気がしました。

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