古典「日本占領革命」を読む 第二部 第37回 7 家祖甚三郎は百姓でござる。 2024年10月21日 00:17 執拗な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値に基づき、現に生きている。このようなわけで、究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビスムにより、まったく「無償の」自殺を行うことができる(古典的な武士の刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)。この自殺は、社会的政治的な内容をもった「歴史的」価値に基づいて遂行される闘争の中で冒される生命の危険とは何の関係もない。But in spite of persistent economic and political inequalities, all Japanese without exception are currently in a position to live according to totally formalized values---that is, values completely empty of all ”human”content in the "historical" sense. Thus, in the extreme, every Japanese is in principle capable of commuting, from pure snobbery, a perfectly "gratuitous " suicide(the classical epee of the samurai can be replaced by an airplane or torpedo), which has nothing to do with the risk of life in a Fight waged for the sake of "historical" values that have social or political content.引用---- 「ヘーゲル読解入門」 アレクサンドル・コジェーヴ著 上妻精・今野雅方訳 国文社 1987年家祖甚三郎は百姓でござる。シリーズ第301回 #37 #反撃 #37 #異議申し立て 7 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート