同志社大学神学部、そして慶應大学②〜受験勉強(前編)〜

勉強といったらどちらかというとあまり良くない思い出がつきまとう。

 というのも勉強が苦手だったからだ。いや、勉強をしなかったという方が正確かもしれない。小学生の頃、父親に叱られながら勉強したことは後の勉強嫌いに大いに貢献している。今思えば、小学生の時に塾なり家庭教師なり外部の教育機関を頼っていれば、もっと勉強を好きになれただろうに。一番近い関係の人間に勉強を教えてもらうほど最悪なことはない。

 結局、家庭教師を始めたのは中学2年生も終わりの頃。高校受験を見据えてのことだった。中学の2年間、全く勉強しなかったのだから、そこからどんなに頑張ってもいける高校なんて高が知れている。それでも自分なりに勉強を頑張ったのがこの1年間だった。

 2014年4月に地元の公立高校に入学することとなった。唯一大好きだった社会科とある程度できるようになった数学の2科目でなんとか入れた高校だった(英語と理科はほとんど使い物にならなかった)。

 確か、偏差値というものを作り出したのは埼玉県の教師だったような気がするが、その偏差値で示せば、自分が入学した高校は偏差値41〜43程度の高校だった。このくらいの高校の卒業後の進路として一番多いのは専門学校で、次に大学、そして就職だ。ただ大学といっても地元の私立大学や試験なんてあってないような大学、そして面接だけで突破してしまうような大学ばかりである。しっかりと受験勉強を経て大学へ入学するというよりかは、なんとなく大学へ行くという感じだ。大学志望者でもセンター試験の英語で100点を超えないなんてザラである。

 こんな環境の中、さぞかし苦労したことだろう、と思われるかもしれない。実のところ、案外そうでもない。寧ろ、居心地はいいものであったように思える。うまい言葉が見つからないが、自己肯定感が上がるという表現が的を得ていると思う。なぜなら、少し勉強できるだけで褒められる環境だからだ(実際にはそうでもないのに)。

 文系私立大学の入試は基本的に3科目である。英語、国語、そして社会だ。社会では特に好きだった世界史を選択した。世界史と国語はあまり苦労しなかったが、英語には苦労した思い出がある。毎回、塾の帰りは泣きたくなるくらいに英語ができなかった。センター試験の英語ですら何が書かれているのか分からないのである。時間制限に縛られることなく、じっくり読んでも分からないのである。これがかなり重症であることは、一通り受験勉強を経験した読者諸兄姉ならわかってくださるだろう。

 今思えばこの原因には、まず単語、熟語、定型表現に関する知識の欠如、また英文法の基礎知識の欠如が挙げられる。それからこうしたものを基礎とした英文解釈の圧倒的経験不足が挙げられる。まあ、この辺りに関しては今回の記事では深く立ち入らないことにしよう。特に英文解釈に関しては、後日「私と英文解釈」なんていう誰も興味を持たなそうなタイトルで記事を書こうかと思うのでお楽しみに。

 まあ、そんなわけで大学受験においても英語とは和解できなかったのである。
                                
                                後編へ続く


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