同志社大学神学部、そして慶應大学⑤〜京都での大学生活と退学〜

「大学なんか辞めてしまおう」
 
  関西圏では大学○年生のことを、大学○回生と呼ぶ。こんな些細な言葉遣いからも僕は関西を、京都を心の底から愛している。京都という土地は夏はとんでもなく暑く、冬はこれまたとんでもなく寒い。なぜこんなところに昔の人は都を建てたのだろうかと首を傾げたくなる。生粋の京都人は知らないが、京都へ「上洛」した者なら誰でも一度は考えたことがあるだろう。こんな住みづらい京都を僕は愛している。「骨を埋めるなら京都がいいな」こんなことをことあるごとに考えていた。

 1回生の僕は所謂コミュ障というやつで、人とまともにコミュニケーションを取ることができなかった。勇気を振り絞って模擬国連のサークルへ行き、その体験会の後、四条で催された懇親会では案の定、人と話すことができなかった。一人で抜け出して土砂降りの中、四条から下宿先へびしょ濡れになりながら帰ったのは懐かしい思い出である。こんな僕だから同級生たちともあまりうまくコミュニケーションを取ることができなかった。さらに生来の怠惰癖により大学にもあまり足が向かなくなってしまった。朝は全く起きれないし、準備をしても玄関から出ることができなかった。大学が怖い。人が怖いのだ。

 結局、大学生協と図書館を使うばかりで講義にはほとんど行かなかった。それでもいくつかの講義には出ていた。好きな授業は旧約聖書解釈学、キリスト教史入門、クルアーン・ハディース学、英国史、ドイツ近代史、現代哲学であった。この中では前者3つが神学部開講科目で、他は文学部開講科目であった。この時も神学部ではなく、文学部に行けばよかったんじゃないかなどと考えていた。ただ、この6つの科目は様々に僕の人生にかなりの影響を与えている。特に火曜5限に開講されていた現代哲学は僕に深い知的影響を与えている。認識論を軸に展開されていく講義科目だったが、ここで出会ったのが「言語」であった。特に「言語起源論」に関する中間レポートを書いたのはとても良い経験だった。今も言語に興味を持ち続けているのはこの講義によるところが大きい。秋学期末試験は下宿先から出れなくて受けることはできなかったが。

 ここで少し読書について書こうかと思う。僕の人生で一番本を読んだのがこの時期だった。中でも1回生の時の12月末に読み始めたドストエフスキーの『罪と罰』はあまりにも衝撃的で、あの陰鬱な世界観に僕の精神は乗っ取られてしまった。またその頃、人間関係に悩んでおり、来る春休みに鬱を発症してしまう。良い意味でも悪い意味でもタイミングは最高だった。『罪と罰』を読むためにロシア語を勉強しても良いかもしれない。『罪と罰』もそうだが、海外文学は随分と読んだ。特に好きだったのがイギリス文学で、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』なんか最高だったし、チェーホフの一連の作品群も熱心に読んだ。日本の作品では夏目漱石、芥川龍之介、武者小路実篤あたりが好きだった。人文書ではイギリス史、ドイツ史、キリスト教史、哲学史などの歴史学系や井筒俊彦に代表されるようなイスラーム関連の著作を読むことが多かった。イスラームに関する知識は一般の人に比べてかなり持っている方だと自負はしている。もちろんそれを専攻している方には足元にも及ばないが。

 大学には行かずに自宅と図書館で只管に読書に耽っていると、いつの間にか3回生になっていた。この時の取得単位といえば20数単位。どう考えてもあと2年で卒業できやしない。「何か適当な理由を拵えて退学してしまおう」こんな事が頭を過った。3回生の6月に北海道へ帰り、親に大学を受け直したいから同志社を辞めたいと伝えた。なんとか許しを貰い、7月に京都を離れた。とても寂しかった。北大路のなか卯、四条の煌めき、先斗町の風情、等間隔カップルで溢れる夜の鴨川沿い、どれも懐かしい。そして同志社今出川キャンパス。別段、同志社が嫌いなわけでもないし、京都が嫌いなわけでもない。なぜ辞めたのか。今となってはよく分からないが、当時の精神状況は明らかにおかしかった。ただそれだけだったように思う。辛かった。本当に孤独だった。2度とあんな孤独は経験したくない。ただそれだけ。

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