カサン・ドラコ
吉村育子は42歳。離婚と別居の狭間で揺れ動いている。
育子は中学2年生の息子と小学6年生の娘を育てるどこにでもいる平凡な主婦である。夫は4つ年上の46歳。会社役員である。義親に頭金を援助してもらい一等地に住居を構えて安定した収入に恵まれた暮らしをしている。子供達が産まれて専業主婦として家事に育児に奮闘していた。子供達が大きくなり数年前から扶養内でパートに出て社会的活動も復活している。側から見たら幸せな奥様なはず。
え?何が問題?離婚?別居?何で?
遡る事12年前。娘の有紗が産まれた。息子の透が一歳半の時に有紗は産まれた。私達夫婦は幸せの絶頂にいたはず。だがそれも次第に違和感に苛まれていく。育子は年子の兄妹の世話に毎日明け暮れていた。癇癪持ちの透となかなか寝ない有紗を24時間1人で相手にするのは並大抵の事では無かった。夫の稔は仕事が忙しく朝7時半に家を出ると帰宅は深夜。深夜に稔にご飯を作りやっと大人と話せる!と嬉しくて子供達の事を話した。稔は顔もあげずずっとスマホ。育子がちゃんと話を聞いてよと言うと疲れてるからとめんどくさそうに無関心を貫く稔。いつしか育子は諦めるようになっていった。
夫婦なのに。2人の子供なのに。1人。孤独。育子はどんどん病んでいった。
そんな頃に稔の友人と一緒に一泊旅行に出かけた。私達家族と過ごした稔の友人に言われた。育子さんいつもこんな感じ?これは大変だね。。。有紗を抱き抱えはしゃいで走り回る透の手を掴み大荷物を空いた手に持つ私。その横で夕陽が綺麗だねーとニコニコとご満悦な稔。その時の稔の友人の顔を今でも鮮明に思い出せる。哀れみにも似た困惑した顔。彼が透の手を引き渡ってくれた横断歩道の景色も鮮明に覚えている。え、助かる。頼まなくても自然にやってくれたらこんなにも楽なんだ。。稔?何でお一人様なの?初めて違和感を感じた。普通は2人でこういうのを共有するものなのか。この私が感じている大変さは子供だけじゃない。何かがおかしい。大人がもう1人居るのに居ない。そんな事を漠然と感じながら海辺のピンク色の夕陽でキラキラした横断歩道をふらふらと歩いた。
その夜、私は意を決して初めて自分の感じる違和感を稔に話した。もっと育児に参加してほしい。親として夫として家族として参加してほしいとそんな気持ちを伝えた。稔は驚いた顔をしてすまなそうにごめんと言って明日から絶対にそうする。と約束してくれた。言ってみてよかった。明日からは生活が変わる!と本当に期待して嬉しくて私は泣いた。
つづく