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【短編小説】藤に菖蒲

「古民家カフェ ramune」に今日も通う。
去年の秋、大学の近くに出来た、こぢんまりとした店だ。
昭和初期のボロい民家を改築した、コーヒーの美味しい店である。
外装は古臭さを否めないが、内装はおしゃれで、大学の近くという立地もあり、若い女性客が絶えない。

郷愁を誘うピアノのBGM、棚にある昭和のファッション誌、レトロモダンなインテリア…
そして、肝心なコーヒーは店長が選りすぐった上質の豆を、サイフォンで煎れるこだわりよう。
ここは慌ただしい世俗から離れた特別な空間で
コーヒーが落ちるまでを待つ時間は、なんとも贅沢だ。

注文したブレンドコーヒーを待つ間、悠也は店内をゆっくりと見渡す。
お目当てのものはすぐに見つかる。
悠也はカウンター越しのサイフォンを眺めるのが好きだ。
火にあぶられ、ガラスの中でコーヒーが踊る。
味気ないマシンより風情があるし、サイフォンの仕組みにも興味をそそられる。
これを見ているだけで、日常の小さな悩みも忘れることができる。
悠也はサイフォンに見入った。

……というのは完全に建前で、サイフォンはここの店員として働く一人の女性を見るためのカモフラージュなのである。
彼女は店の制服である藤色の作務衣とエプロンを着込んでおり、長い髪をゆるく結い上げていて、うなじから垂れるおくれ毛が艶っぽい。
細身で色白、歳は20代後半だろうか。
目鼻立ちのくっきりした今時の顔立ちではなく、切れ長の目に涙ぼくろ。
動きはゆったりとして優雅。
笑顔は華やかというより、控えめで、大人の色香を漂わせる美人だ。
例えるなら、そう、藤の花。

悠也は今日もサイフォンに見入るふりをして彼女を目で追っていた。
開店当時ふらっと寄ったその日から、すぐに彼女に一目惚れし、週に2~3回は通い詰め、テーブルでレポートを書くふりをして彼女に見入っていた。
この店はコーヒーも美味いが、シフォンケーキも絶品。
それもあってか、客は大学の女子ばかりというのに、悠也は気にも留めず足繁く通って、最近になってようやく彼女の名前を知ることができた。
高校時代からの同級生「神戸姫奈」がここの常連客と知って、名前を聞いて貰ったのだ。
女子ときたら、店員だろうとすぐに仲良くなるから、名前くらいの情報ならハーゲンダッツ一つで他愛もない。

彼女の名前は「フジカワシズエ」というらしい。
名前まで奥ゆかしい。
イメージしていた藤の花にぴったりではないか。
そんなシズエさんは、本日も大変美しい。

週に2~3回通っているとはいえ、熱心なコーヒー通のふりをしているから軽々しくも彼女に声を掛けたことは一度もない。
秋から通い詰めてもう半年。
顔くらいは確実に覚えて貰えているだろう。
悠也は話し掛けるタイミングを慎重に見計らっていた。
話す内容についても、もちろん熟考していた。
「まずはコーヒーを褒めよう」
それならば怪しまれることもないし、話も広げやすいだろう。
今日は幸い客も少ない。
名前を知った今、声を掛けるなら今日がチャンスだ。

彼女がコーヒーを注ぎ、トレーに乗せた。
こちらにゆっくりと歩いてくる。
悠也に緊張が走った。

「あのさ」

ふいの声に悠也は席から飛び上がりそうになった。

「なんだよ!?」

悠也は目の前の声の主を睨んだ。

「コーラしか飲んだことないゆーやがコーヒーなんて
どーゆう風の吹き回し?」

向かいの席に座っていた神戸姫奈がふてぶてしい態度で尋ねた。
姫奈は大学生だというのに、未だ高校生の気分でいるのか、悠也には理解しがたい「ギャルメイク」で、ゴテゴテにデコレーションした重そうなスマホを片手に悠也をだるそうに見ている。

「こ、コーラ!?そんな子供みたいな…」

大きな声を上げそうになって悠也ははっと口をつぐんだ。
憧れのシズエさんが、もうすぐそこまで来ている。
取り乱している姿など見せられない。

正直、この店に来るまで、本格的なコーヒーは飲んだことがなかった。
炭酸飲料が好きだったし、コーヒーの知識も皆無だった。
だから姫奈の言うことは当たっていた。

「お待たせ致しました。ブレンドコーヒーです」

シズエがコーヒーカップを姫奈と悠也の前に一つずつ置いた。
悠也はようやく状況を理解した。
シズエさんに夢中になっていて、今日は姫奈と一緒にこの店に来て
同じテーブルに座っていたことを、すっかり失念していた。
姫奈が「一緒に行っても良いか」と聞いてきたのを、適当に「うんうん」と答えてしまっていた。
姫奈は年がら年中スマホを見ていて、あまり会話らしい会話もしないので居ないも同然のような存在だった。

…いや、落ち着け。
計画に支障はない。
このまま計画を続行しよう。
悠也は深呼吸し、心を落ち着かせた。

「あ、シズエちゃん、あたし、砂糖たくさん欲しいからさ。
もう少し貰ってもい?」

姫奈がシュガーポットを見ながら言った。

「お砂糖ですね。今お持ちします」

シズエはにっこり微笑んで答えた。
悠也は慌ててコーヒーを一口あおる。
カチャンと音をたてて、カップをソーサーに置いた。

「…今日のコーヒーも格別に、美味しいですね」

悠也は今まで誰にも見せたことのない、ニヒルな笑みを浮かべて言ってみせた。声もいつもより1オクターブ低い。

正面では姫奈が呆れた顔をしているが、シズエは気付いていないらしい。

「ありがとうございます」

お会計の時に見せる、優しい笑顔に悠也は天にも昇る気分だ。

よしよし、出だしは好調だ。
内心ガッツポーズを取る。

「今日の豆は…コロンビア、ブラジル、モカ…マンデリンですね。
マイルドでありつつ、コクを出している。素晴らしい組み合わせだ」

悠也は得意げにシズエを見あげた。
シズエは、にこりと微笑んでから

「今日の豆はコロンビア、ブラジル、モカ、ロブスタです」

悠也はしまったと思った。
知ったかぶりほど恥ずかしいものはない。
が、これはこれで良い。

「…これは勉強不足でした。
良かったら、コーヒーについてもっと詳しく教えて頂けませんか。
ちょうど明日の定休日、僕、時間が空いてるんです。
一度貴女とお話がしてみたくて。
…もちろん、コーヒーの話です。」

あまりに格好付けて言うので、姫奈が「あんた誰」みたいな苦い顔をしている。

シズエは笑顔を崩さず、しばらく悠也を見つめた。

…これはOKのサインか?
鼓動が騒がしくなり、次の言葉が待ち遠しくなる。
悠也はゴクリとつばを飲んだ。

「…コーヒーに興味を持って頂いてとても嬉しいですけど、お連れ様もいらっしゃることですし、私は遠慮させて頂きます」

そう言うとシズエは軽く会釈をし、その場を後にした。

「………」

シズエが新しいシュガーポットを持ってきても、姫奈が一人でコーヒーを飲み干しても、悠也は抜け殻のように席の隅で燃え尽きていた。


*****


「シズエちゃんにフラれちゃったね~」

「古民家カフェ ramune」を出ると既に夕方だった。
肩をがっくり落とし、力なく立っている悠也に姫奈がスマホを見ながら言った。

「…お前がいたからだろ…」

「ウケる~。今度コーラおごってやるから」

コイツさえ、いなければ。
悠也は怒りを覚えていた。
そもそもなんでこんなタイミングで姫奈はカフェに着いてきたんだ。
シズエさんを誘う事に気を取られ、姫奈の同席を許してしまった自分も自分だが。

「元気出しなって~」

姫奈は悠也の肩をバンバン叩いた。
女子とは思えない怪力。
たおやかなシズエさんとは大違いだ。
可憐なシズエさんが恋しい。
藤の花のようだったシズエさん。
悔しいが、彼女への想いを秘めたまま今後の人生を歩もう。
自分には思い出の中のシズエさんしかいないのだから。

「…ん?」

悠也が歩き出そうと、重い足を踏み出したとき、ふと斜め向かいの店先に目が留まった。
そこには蕎麦屋があり、そこの店員と思われる女性が、のれんを出していた。
和服にエプロン、長い髪を一つに束ねている。歳は30代前半だろうか。和服の袖から覗く白い腕が華奢に見える。
悠也の視線に気付いたのか、女性はこちらを振り向き、笑顔で会釈した。
和服の似合う、静御前のような美人だった。

「…まるで菖蒲のようなひとだ…」

悠也は熱にのぼせたように呟いた。

「…あぁ?」

姫奈は眉間にしわを寄せた。

「彼女こそ運命のひとだ!」

悠也は呟くと頭をぶんぶんと振り、姫奈をきっと睨んだ。

「お、お前はもうついて来んなよ!?」

「新作のハーゲンダッツとミスドで、名前とグループLINEゲットしとくけど」

姫奈がだるそうに言うと、悠也は力強く姫奈の肩を掴んだ。

「………よろしく頼む!!!」


*****





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