もうだれにも分からぬ答えを問う。

こんばんは、ひさしぶり!
彩です。

うわぁ、
久しぶりに書くような記事ではないのですが。

親戚(以下Aちゃん)が、亡くなってしまって。
苦手な人は、そっとここで閉じてね。

ママの従姉妹にあたる人で、
よく面倒をみてもらってました。
47歳でした。

ずっと体調が悪いと言って病院で検査を受けたら、もうそう長くないと。
それから今日に至るまで、ほんの数ヶ月。
Aちゃん、どんな気持ちだったのだろう?

親戚の誰よりも、お年寄りの話の聞き方や
受け流し方が上手でした。
仕事柄、年配のお客様に接することが多かったからでしょうか?
私が小学生の頃は、素敵な文房具を沢山プレゼントしてくれました。
だから、今でも文房具が大好き。
こうして、多くの人に与え続けた人生だったのでしょうか?

Aちゃんとは6-7年前に会ったきりでした。
体調が良くない、もって今年いっぱいだと聞いて、11月の連休で会いに行こうと思っていた。

思っていた、

Aちゃんの気持ち
Aちゃんの人生
死んでしまったら何も残らない。
側にいた人は、心に留めておくことができるけれど、側にいなかった人間はそれすら叶わない

訃報を受けて、飛行機のチケットを取りました。

ふわふわと、彼女の気持ちを、人生を、
もう一生答えの出ない疑問を問いかけながら
向かうんだと思います。

47歳、こんなにも早く生涯に幕を閉じる人がいれば、80歳なんてとっくに過ぎて、何度も死の淵から這いつくばって、生きてる人もいて。

生きているとかならず訪れる「死」というフェーズに、久しぶりにダイレクトに触れています。

死の順番は、必ずしも生きている年数ではない

自分の人生に悔いのないように
なんて、そんなのキリがないから求めていないけれど
たった1人でも私の死を惜しんでくれるような、そんな人生でいたいと思います。

Aちゃん、やっぱりさみしいよ。
あっちでも、サバサバしてて、それでいて優しいAちゃんでいてください。
元気でね。


さっ、私は現世でお仕事がんばりまっせー!
🕊️

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