「いただきます」を言えているか

考えても答えの出ないことを考えるのはバカのやることだと本に書いてあった。

ねえ、まだ考えてもいないのに、答えが出るかどうかなんて分からないでしょう?

例え一般的に、間違っていてもバカでも良い。
自分なりの答えを見つけられたら、私はそれで良い。


私は誰かの命を食らって生きている。
植物も動物も生命だろう。

食物として取り込んだ時点で、誰かの命は私の地肉となる。

「いただきます」を言えているか。
命を「いただいている」ことを意識できているか。


現代の日本では、自生している植物を採取したり、野生の動物を狩猟している人は少ないだろう。
食物を手に入れるのに、苦労しない。
スーパーに行けば食材たちが並べられている。

それを、当然だと思ってはいけない。

私は、食べられる植物の見分けはつかない。
熊に襲われたら逃げられない自信がある。
運良く採れたとしても、その植物の調理法は分からない。
植物の種を上手に育てることはできない。
動物の解体などできない。

どれだけの苦労があって、スーパーに調理しやすい形で食材が並べられているんだろう。

私は、誰かの命の他に、誰かの時間も食らっているのか。

もし、自分が家畜だとしたら、
自分の生命をコントロールされているとしたら、
そこから逃れられないとしたら。

食物を弄ぶことなく、軽視せず、命に感謝してくれる者がいい。

だから、私は命に感謝して、命を育んでくれた者に感謝して「いただきます」と言うことを忘れないでいたい。

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