情報化社会で大切なこと
これはまだ私の中での結論ではなく、暫定結論。
溢れる情報の中で何が大切か、と感じると、結局のところ、家族だし、友達だし、地域のつながりなのだと思う。また情報に適さない手仕事。
例えば、病院を探すとする。病院の口コミほど、当てにならないものはない、と学んだ。数年前に住んでいた地域の整骨院でGoogleの星評価が異様に高い整骨院があり、夫なんかは「口コミがすごいし、神の手がいるはず」なんて呑気に言っていて、私も腰を痛めたときに口コミ評価に釣られて行ってみた。酷かった。
「ぎっくり腰なんです」と言っているのに、やたらジャンプさせられて姿勢の写真を取られた。(いや、だから姿勢とかじゃなくて、痛めた原因わかってるんだって、と言っても通じなかった)
「ぎっくり腰なんです」と何度も言っているのにストレッチポールに寝転ばされた。(いや、だから急性期だから姿勢変えたとて痛いんだって)
施術者が何人もいて、担当は何を質問しても明らかにオドオドしているし「いい加減にして」と強めの声で怒鳴ったら奥から経営者が出てきた。「ストレッチは身体にいいですから」いや、だからそれは状況によりけりだろうって言ってんの。
こりゃダメだ、口コミで高評価している人は一体何がよくて高評価したんだろう???と頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになり、受付でしつこく勧められる回数券を断りながら、二度と行かなかった。
ある時、突然、腑に落ちた。
「なるほど、高評価を買ったんだ」
そういうビジネスがあること、今は結構な人が知っていることだけど、当時はあんまり知られていなかった。バカみたいだ。そんなビジネスを始めたやつ。そんな高評価を買った経営者。それを信じた私。本当にバカみたい。でもビジネスとして成り立つんだろう、実際その整骨院は盛況だった。
よく考えたら、当たり前の話だった。
私なら上記のような目に合っても、わざわざ低評価をGoogleに投稿したりしない。そんなに暇じゃない。私は嫌な目にあっても、すぐに気持ちを切り替えて、嫌な気分に留まらないように日々心掛けている(自分のために)。また低評価やクレームをそんなインターネットに書き込むようなリテラシーの低さは持ち合わせていない。よっぽど腹に据えかねたら直接言う。わざわざインターネットで公開するような性格の悪さは持ち合わせていない。
となると、口コミなんてただのその場の感情。あてになる情報ではなかったのだ。強い感情を持った、その人が感情をモチベートにして投稿するのだから、病院系なんて特に低評価が集まるのが普通なのだ。(そもそもオープンしたての整骨院が高評価の嵐、というのがすごく変だったのに、こちらもバカだったからあっさり信じてしまった)
病院はママ友に聞いたら的確だった。また地域に根差しているおば様に聞くのが一番。「あの先生はすぐ怒鳴るよ、怒鳴るで有名。でも名医」とかさ。そんなのわざわざネットに書いたりしないのだ。
そもそも、口コミ情報だって、相手を見て内容を変える。あまり親しくない人には当たり障りのない情報しか伝えない。でも親しい人には「あなたを信用するから言うけどさ」みたいに結構突っ込んだ情報を共有するものだ。信頼性がモノをいう。ネットの口コミなんて、本当にアテにならない。
でも、知らない土地で、「ちょっとカフェに行こうかな」と思うとGoogleマップで「カフェ」で調べてしまうのは事実・・・。で少しでも評価の高いところに行こうとするの事実。
つづく。