御伽草子 第二回「一寸法師」
第一章 雲取山の神
「達者でな……」
「必ず生きて帰ってくるんだよ……」
熊一、ヨネ夫妻は、桃太郎を抱きしめながら、声を絞り出した。
鬼退治に向かう、老いてから授かった一人息子、桃太郎……。
桃太郎がやってきて以来、子のなかった夫婦にとって、夢のような時間が過ぎていた。
それも今日これきりなのだ。
ーー平安時代。
武蔵国、奥多摩。雲取山の麓。
熊一とヨネは、小さくなってゆく息子の背中を、道の向こうに消えるまで、ただただ見つめていた。
鬼退治に行きたい!
散々引き留めたが、息子は頑として翻意しなかった。
「おばあさん、元気出して」
兎のウサミはヨネを慰めた。
鬼ヶ島の鬼……。
生きて帰ってきたものなどいなかった。強者どもが威勢よく出立したものの、誰一人として帰っては来なかったのだ。
そんな鬼ヶ島に、桃太郎は旅立ってしまった。
つむじ風が夫婦と一匹の間に吹き込む。
ビュッ……。
「あいたたたたたっ……!」
そう叫ぶと、ヨネはその場にうずくまってしまった。
「ど、どうしたんだ! おまえ!」
「おばあさん!」
熊一はヨネの肩を抱え、小屋へヨネを引き摺るように引っ張っていった。
布団に横になったヨネの顔は、苦悶に歪んでいる。
熊一は、くる時が来た、と覚悟を決めた。二人ともあと三年ほどで七十である。
子ができぬと諦めていたが、桃太郎が夫婦に夢を見させてくれた。あまりにも幸せが続きすぎたので、雲取山の神様が、帳尻を合わせようとしているのだ。
もう十分、お互いに生きた。
「……あんた」
「どうした?」
腕を伸ばすヨネの手を握り返した。
「は、破水したみたい……」
「……破水、っておまえ何を……」
この歳で妊娠?
あり得ない。
だが、ヨネの表情は抜き差しならぬものがあった。こんな時に冗談を言う余裕などないであろう。
熊一は、ヨネの襦袢を掻き分けると、彼女の股を大きく開いた。
むわりっ……。
生臭い匂いが周囲に立ち込めた。そこには確かに体液が着物を濡らしている。
本当なのか?
これまでヨネは、そんな素振りは微塵も見せなかった。何より腹が膨らんでいない。
確かにすることはしていた。桃太郎の目を盗んでは、早撃ちの面目躍如よろしく、隙あらば激しくまぐわってきた。
そんなことをぼんやりと考えていると、
「おじいさん、ぼうっとしてないで、早くお湯を沸かして!」
ウサコの声に、はっと、我に返った早撃ちは、甕から水を汲んで、囲炉裏の鍋で湯を沸かしはじめた。
赤子は、あっけなく産まれた。
湯が沸く前に、ポンっとヨネの股から飛び出した。
赤子は、指先ほどの大きさだが、泣く声は尋常ではなかった。
「んぎあっ! んぎあっ……!」
元気よく喚く赤子。
顔を見合わせる熊一とヨネ……。
「あんた……」
「おまえ……」
赤子の鳴き声がこんなに心地よいものなのか。以前、桃太郎がやってきた時のことを、二人は思い出していた。
小さな小さな赤子は、すでに泣き止んで、すやすやと眠っている。
今度の赤子は、正真正銘、熊一の種でヨネが産んだのだ。
「雲取山の神様は、ここまで慈悲を授けてくださるのか」
てっきりこれまでの幸福の精算をさせられるのかと思っていた。だが、案に違い、これまでを上回るであろう、幸を授けられた。
神妙な顔で赤子を見つめる熊一の傍で、ヨネは、何度も頷いて涙を拭った。
「あんた、名前はどうする?」
「そうだな……」
二人は、七十手前である……。
熊一は、ヨネを見つめた。ああ、やっぱりいいおなごだ!
熊一は喉を鳴らした。
早撃ちの心がはやる。心の弓矢を鉉につがえる。
えいやっ……。
思い切って押し倒した。
「そんなことより、おまえ……」
二人は、七十手前である……。
熊一は、いつも以上に力強くヨネの唇を吸い、着物の隙間に手を這わせた。
「嫌ですよ。あんた、赤子が見てるかもしれませんし、……ひゃんっ!」
「構うものか……」
頬を赤らめて、やんわりと熊一の手を払い除けようとするものの、力など入っていない。ヨネも満更はなかった。
すやすやと眠る赤子を傍らに置いて、夫婦は営みを始めた。
二人は、七十手前であった……。
さて……。
「名前なぁ」
黄ばんだ褌を締め直しながら、熊一は天井を見つめた。
彼は、指先で赤子の着物を捲ると、一物をしげしげと見つめた。
一物など見えはしない。身体が指先ほどしかないのだ。
熊一は膝を打った。
「短小太郎はどうだ!」
土間におりて、股間を、びちゃびちゃと洗っているヨネに言った。
「嫌ですよ。あんた」
「じゃあ……、一寸太郎か……」
「まぁ、ちょっと変だけど、そんなところでしょうね」
こうして赤子は、一寸太郎と名付けられた。
第二章 稽古
第三章 修行
第四章 牛若丸
第五章 都へ
第六章 五条大橋
第七章 鞍馬山
第八章 絶対絶命
第九章 虎穴にいらずんば…
第十章 打ち出の小槌