私は元々理系だった×僧侶
実は私、赤ん坊のころよく階段から落ちていた。その頃の障害が、先天的なものなのかはさておき、物理が全く出来なかった。
高校時代、大学時代の親友に言われたのは『本当に数学が出来る人は数学科ではなく物理科にいく』と教わった。
富山大学時代の1番の親友は物理学科の修士課程まで行った優等生だった。
彼とは社会人になってからも付き合いがあったが、地元の大阪に帰ってしまってから会えなくなった。不思議なくらい謙虚で、謙虚というより自分が本当に優勝でないと深いところで悟っていた人だった。
無駄口を叩かず、じっと私の話す内容をいつも注意深く聞いてくれた。
またもう1人の親友は工学部の機械科だった。機械学に関しては若干のプライドを見せることもあったが、かれもどちらかといえば寡黙なタイプだった。
以前、『不立文字』について投稿したが、私は文系の意識高い系のぺちゃくちゃ浅い知識を喋る人が苦手だ。つまらないし、解決に結びつかないし、前進しないから。
そういう意味では私は根は理系なのかもしれない。昔から私の文章を見た人は『理系でしょ?』『数学得意だったでしょ?』と必ず言ってくれた。数学はすきだったが、本当は和田秀樹が好きだった。だから和田秀樹の数学のスタンスは自分の中でけっこう取り込んだつもり。
今から学業や勉強のことを書いても仕方ないが自己紹介の補足として。ちなみに祖父は曹洞宗の僧侶だったが旧制(戦前)の金沢大学工学部、叔父さん(父の弟)は早稲田の工学部から、変態的な機械の魅力に取り憑かれた東洋工業(現在のマツダ)に就職した。ちなみに前までマツダの社長だった丸山氏の入社時の教育係が叔父さんだった。慶應工学部を出ていた丸山氏は30代で役員になり、叔父さんはドイツやアメリカに単身赴任で長く大罪していたが結局、平のまま定年を迎えた。要は典型的な機械馬鹿だったので人望もなく、社内での活躍は皆無だったのだろう。退職後の道路公団にもオミットされる不遇。。これ相当社内で嫌われていたんだと思う。。
話は長くなったが、要は私は強烈に物理や機械が出来る人に男女問わず尊敬というか平伏してしまうのだ。
私は本は読まない。昔はヘルマンヘッセにハマっていたことがあったが、難しく脳味噌を使うので達成感はあることがわかっているが、最後の砦(ガラス玉演技)には挑戦出来ないでいる。近いうちに読んでみたいとは思っているが覚悟が必要だ。
今日、ようやく以前から気になっていた方にフォローして頂いた。正直めちゃくちゃ嬉しい。ありがとうございます。