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THE ORIGIN OF THE TOCCATA 2

以下は先日アップした「THE ORIGIN OF THE TOCCATA1」の続編である。

音楽史の専門家が書いた本書の内容を紹介する他に、私の個人的感想を述べた部分も含まれるが、素人の感想でしかないため、書き出しに「感想」と入れて、区別しやすくすることとした。

私にはキリスト教的な知識や経験がないため、簡単な説明で済むと著者が考えた部分も理解できていないかもしれない。そこを補うようなコメントをいただければ、幸いです。


「感想」前回、cantus firmus (定旋律)という用語を多用した。ミサ曲の各部分の定旋律となるゴレゴリアンチャントという意味合いで使用したのだが、実際のミサ曲でどの部分にどのような定旋律が使われるのかについては、知識不足で説明ができていない。何かこの問題を補うものがないかと探していたらLOREZO BIANCONI著の「MUSIC IN THE SEVENTEENTH CENTURY」という本の112ページにオルガン ミサと通常のミサ、そしてグレゴリアンチャントによるミサの対照表があった。


この表のOrdinaryと書かれたものがおそらく16-7世紀の4、5声部によるミサ曲であろう。これで、cantus firmusの問題はほぼ解決するのではないかと考える。


toccataやpreludeは17世紀のドイツやオーストリアでは重要なジャンルとなっていくが、それらはいつまでVeneziaの様式を保っていたのだろうか?

Jan Pieterszoon Sweelinckへのイタリアの影響は誰も否定できないが、Sweelinckは13のtoccataをVenezia派のスタイルで書いた。

Sweelinckの最も重要な弟子であるSamuel Scheidtもpsalmを基本構造とするtoccataを書いた。

「感想」Sweelinck以降、ヨーロッパの音楽社会の主流はとなるドイツ、オーストリアへVenezia派のtoccataの様式が忠実に伝えられ、その流れはJ.S.Bachにつながると主張しているようである。

Ercole Pasquiniの6つのtoccataが残されている、作曲者はすべてのtoccataをpsalmのcantus firmus を土台として書いた。


Girolamo Frescobaldiのtoccataでは和音と旋法そしてメロディとリズムが頻繁に変化し、その結果として細部に分けられた構造になっている。
Frescobaldiが明らかにVenezia派の手法を軽視したのは音楽自体がルネサンスからバロックへと移り変ることを背景としている。

「感想」Ercole Pasquiniのtoccataにも、メロディとリズムが頻繁に変化し、細部に分けられた構造は見られるように思う。その点で、Pasquiniのtoccataは、cantus firmusにのっかって、大きな表情の変化なく展開していくVenezia派のものとは大きな違いを示すと思う。

FrescobaldiのFiori Musicaliは3つのオルガン ミサ曲を集めたものである。
そのなかでtoccataはミサ曲のなかでそれぞれ別の場所(位置づけ)に置かれている。
最初のミサ DomenicaではChromaticaとして聖体奉挙(礼拝の最も印象的な瞬間である)の時に演奏される。

この曲を書くにあたり、作曲者は北方のスタイルとは全く異なるものを選んだ。
彼の2つのToccata Avanti il Ricercare (ミサ ApostoliとミサMadonnaにみられる)はミサのが進むにつれての移行の役割を担うと思われる。

効果として、Offertoryに対する前奏曲の役割がある。Toccata Avanti il Ricercare はCredoやOffertoryに結びつけられているだけではなく、ミサの犠牲的な部分の始まりを指示する場所に置かれている。
Toccata Avanti la Messa(Fiori Musicaliには3曲のミサ曲が含まれるので3曲)ではFrescobaldiはおそらくは典礼中に出てくるtoccataとバランスを取るために、比較的短いスタイルを選んでいる。
その結果として、before the Massのtoccataも、そしてafter the Credoのものも、at the Elevationに演奏されるtoccataも、psalm tone とは無関係である。

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