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オーディオの高等遊民

 東洋経済ONLINEに平川克美さんと小田嶋隆さんの対談が載っている。

ここで語られていることは、「昔は大人が確かにいて、大人の顔をして大人の言動をしていたが、今は日本人の幼児化が進んでしまって大人がいなくなってしまった」ということである。同感である。

 大人がいないということは、日本には「子供」と「老人」しかいないということである。ということは日本向けの製品は「子供」と「老人」のみに向けて企画・製造されているということである。オーディオ機器も例外ではない。オーディオ文化が空洞化する原因がここにある。

 中庸(足るを知る)は大人の特権だ。「子供」時代には見えていなかった世界を大人は知り、長い『無明』の時代を脱して世界と自分の関係を真に理解するのだ。この境地に立って初めて人は自由人となる。大人はさらに見聞を広めつつ深い考察を経て「老人」ではなく「高等遊民」となる。それには大きな経済力は必須ではない。意識の持ちようが重要なのだ。

 オーディオの「高等遊民」の代表が五味康祐である。音楽を愛し、音を愛し、オーディオと戯れた。彼の残した言葉の中には「文化としてのオーディオ」が確かにある。彼の言葉には現代の日本人が学ぶべき点が多い。もしかしたらオーディオ以外も。

五味康祐

 


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