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継続は力ナリヨー

タイトル読みづらくて草


最近しょっちゅう話題になってる東京初期のボーカルさんが今日もツイートしてらして、「なぜ最近の若い奴らは『音楽で負けない』、『音楽で勝負する』とかいう表現になるのか。そういうもんじゃないだろ(大意訳)」みたいなことを言ってらっしゃった。

まあそうだよなーと思う。正直この人自体にあまり説得力はないけど、この人の生き方はなんか尊敬するかどうかは別としても芯がしっかりあってすげえな、と思うことはある。その芯が綺麗なのか腐ってるのかは分からんけど。主観だし

音楽をやっていると、今まで何も考えずに聴いていた音楽やライブを聴けなくなる時がある。自分より上手かったり、自分ができてないことができてたり、なんかよく分からないけど知らない大量の他人の熱狂にアテられて萎えちゃったり。それはきっと劣等感のせいで、こういう思考になるってことは自分は「音楽」ではなくて「音楽を通じて見える世界」が好きなんだろうなと思う。綺麗な言い方だけど要は、有名になることだったりモテることだったり、そういう俗っぽい物だって当たり前の様に含まれている。


最近すっごく難産の曲があって、まだ歌詞が出来てない。もう10個かそこらは書いてボツにした。この作業を繰り返しているうちに、だんだん自分の内面と向き合うことから逃げているように感じる。だから書けないんじゃないかと。音楽が好きで好きでたまらなければこんなの苦でもなんでもないのかもしれない。そう思えば思うほど自分が惨めに思えてくる。そうしていると、なんでこんな苦しい思いしてバンドなんてやってんだろうって思う。ただの劣等感と侮るなかれ、人の夢のふたつやみっつ、簡単にポッキリいかせるようなぱわーをこいつは持っている。


大学生が終わると、僕の音楽人生の寿命はほぼ尽きたんじゃないかと思っていた節がある。今メジャーの第一線で活躍しているバンドたちは、僕のイメージでは大体が社会人になる前に、その芽をある程度出している。もちろん例外もある。大体の話ね。だから最近どうやったらバズるかばかり考えてた。はっきり言ってバンドの内情なんて人に話せるような状態じゃないし、バズることでなんとか延命を図ろうとしていた。これは良くなかったなと今では反省している。自分が頑張って続ければいい話なんだ。それはとてつもなく難しい、果てしない、もしかしたら死ぬほど辛い道のりかもしれないけど、簡単にネットに他力本願でそりゃ上手くいけ、なんて気持ち悪い。そういう意図でTikTokも始めたけど、よく言えば遠い人にも音楽を届けられる。悪く言えば手軽に承認欲求と見せかけの数字だけを量産するシステム。そういうもんだと気づいた。あらゆるものには良い面と悪い面があるから両方見た気になる必要もないし、みんな自分にとって都合のいい部分だけを摂取していこうね。

だからバンドは続けようと思う。でもやっぱり売れないのはしんどい。絶対悪はなくても、飯を食って行きたいなら「売れる」ことは絶対的正義なので、それに繋がらない行動は必然と相対的な「悪手」になってしまう。アリンコ。こんなふうに考えたところでいいことないし、バンドマンってパフォーマンスもツイートも含めてメンタル鬼じゃないとやってけないんだから多分僕は向いてない部類なんだと思う。いまだに路上も出来ないし。こうやってどんどん暗い方向に勝手に転がって行ってしまう。



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