陰キャ論①

 大人になって陰キャだの陽キャだのまだ言ってる奴はダサいもダサいんですが、僕は陰キャとはについて人一倍考えてきたつもりなので語ろうと思います。

 ただ一つにまとめて論文みたいにするほどの構成力もないので、その時その時考えたり、思い出したりするたびにナンバリングして書き出して行こうかなと思います。

 陰キャの特徴の1つしてコミュニケーション障害、約してコミュ障という特徴があります。

 一般的にコミュ障という言葉、ほとんど人見知りという意味で使われている気がします。

 話しかけることができない、話しかけられても喋れない。こういう意味でコミュ障という言葉を使っている人が多数いらっしゃいます。

 ただ本当の陰キャにはもう一つの「コミュ障」があります。

 それは「間違っていると分かっているのに話すのを止められない」

 という現象です。

 今、完全にこれを言うべきではないと分かっているのに口がもう動いてしまっているという状況が発生します。

 理由は2つ。

①沈黙が怖い

 陰キャは潜在的に話し相手に人として負けていると思い込んでいます。

 だから自分なんかと話している時間は相手は無駄だと感じているのでははないか、自分が頑張って楽しませなければならないと考えてしまいます。

 なので沈黙の時間があると、「今自分は相手を楽しませることができていない。無駄な時間を過ごさせてしまっている。」と感じてしまうのです。

 その結果何でもいいから話題を提供しようとして、その時の状況では場違いなことを言ってしまったり、間を埋めるためだけに何か考え事をしてるような一言を言ったり、文脈を無視してでも自分の得意分野の話に持ち込んで長く話してしまったりしてしまうのです。

 ②結果を出そうとする

 これも根本の理由は一緒、話し相手に人として負けていると思い込んでいるからです。

 相手に面白いと思われたい、面白ではなくても仲良くなりたい、何か印象に残りたいという気持ちが強く出過ぎた結果、思ってもない事を言ったり、場違いで強烈な言葉を使ったりして引かせてしまいます。

 共通して言えるのは、自分に自信がないということです。自分は大したことのない人間なので楽しませてもらう側ではなく楽しませないといけないという考えがあり、間違っていると頭ではわかっていてももう止まらないのです。

 今余計な言葉だった、いらない一言だったとは「ほぼ」リアルタイムでは分かってはいるのです。

 でもすでに言葉は吐ききったあとです。

 後悔はしています、帰り道はだいたいそれで頭がいっぱいです。

 今日も間違えた、でもあの時喋っていなかったらそれはそれで後悔していたろうな。

 帰り道なんかほとんどこれです。

 みんなすごいですよね、大勢の中で空気を読みあい、その状況に適していて、さらに自分らしく発言できるわけです。

 そんなことできません、ほんまごめんなさいだわ!

 そんな僕が少しでもそのコミュ障を隠すために努力しているのは、まず相手の目の前の質問に正面からちゃんと答えること、意識してゆっくり話すことです。

 会話は自分を披露する場ではないのです。あくまで双方が楽しく過ごすためのコミュニケーション。

 分かってはいるんですけどねええええええ!!!

 今でも心の中で「今、間違ってる!!!止まれ!!でも取り返さないと!!いや傷口を広げてるだけだ!!!うわあ!!!!」と叫びながら会話していることがあります。

 はあ、一生続いてくんだろうな。治せるものなのかしらほんともう。

 心当たりのある方!一緒に気を付けようね!!

 

 

 

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