『兵庫自己愛事件(人物鑑定B編)』
ある自己愛性人格障害者の事件簿(人物鑑定B編)
1.はじめに
本稿は、ある自己愛性人格障害者の事件簿(人物鑑定A編)に続く位置づけ。Bは、権力者Aに敢然と挑戦を挑んだチャレンジャーだったが非業の最期を遂げてしまった。本稿も不定期に予告なく何度も修正することになるだろう。編集履歴を付記するのでご容赦願いたい。本稿も自己愛性人格障害(者)をNPDと表記したい。
2.B氏の人物鑑定
Bは、長く人事畑を歩まれ、丁寧な仕事ぶりで重職・要職を務め、規範意識・遵法意識・人権意識が高く、井戸前知事は無論の事、誰からも信頼された方だったように思う。ところが全部真逆の斎藤県政になって、それが疎まれ遠隔地に飛ばされた。それゆえ極悪非道な斎藤県政に触れる機会が少なく認識に甘さがあったやに思う。そんな遠隔地でも職員の悲痛な叫びが聞こえてきたというのだから、只事ではない。どれほどの人望、どれほどの恐怖県政だったのか。それでも知らん顔で再就職先に務める方が多数派だと思うが、Bはそうしなかった。内部告発を決行したのである。しかし、その文書の構成が個人攻撃と取られかねない形式だった事が失敗の原因であり、井戸県政時代に通用していた内部通報制度が、斎藤県政時代に無効化されていただけでなく告発者つぶし制度に変質していた認識に欠けていた事を感じさせるのである。そういった事が先に触れた”認識に甘さ”なのだ。もっとも百条委員会がこれだけ難航している事実に鑑みると、幹部といえどBに、それを求めるのは酷だ。敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず。本件は、逆に敵を知らず、己を知らないなら、百戦危うしとなってしまった。それでも遠隔地勤務の身で内部通報に踏み切ったのは、退職前に県に恩返しして去りたいという美学故だ。ところが結果的にBの感傷主義が全てAに悪用・逆用され、通報先に悪影響を与える事になったことは否めない。
<参考資料開始>
Bの3月27日斎藤元彦知事会見への反論(4月1日)
人事委員会への不服申立てを行っていない理由について
兵庫県議会>特別委員会>文書問題調査特別委員会>審議事項>令和6年6月27日
<参考資料終了>
3.社会心理学風考察
<参考資料開始>
【嘘で塗り替える作戦】ナルシストはどのようにフライングモンキーとターゲットを中傷するのか【自己愛性パーソナリティ障害とスミアキャンペーンを詳しく解説】|Smear Campaign - YouTube
参考資料のタイトルを解説する。NPDは、取り巻きと連携してターゲットを中傷するのだ。ここでBは内部告発によってターゲットにされたという事。普通の人は匿名告発されたら諦めるが、NPD(に限らないが)は、「草の根をかき分けても探し出せ」という発想を持つ。
公益通報者保護法の世界では、被告発者は、犬猫野菜と連携して告発者の評判を下げて、告発文書の内容の信頼性を毀損しようとすると説明されている。
自己愛選挙の世界では、実界においては二馬力選挙、仮界においては支持者が集うオープンチャットといった形で現出することがある。
4.編集履歴
2024.12.31 初版発行
5.終わりに
何をムキになって投稿を続けているのかと問う人もいるだろう。その答えは、筆者が現代日本の病理・SNS時代の病理は、すべて兵庫自己愛事件に現れていると認識しているからだ。私も他界前に日本に恩返しして去りたいという美学があるのかもしれない。非業の憤死を遂げた故人の霊を、慰めたい思いもある。この辺で本稿を閉じたい。