ちっちゃいころ
三姉妹の長女 なっちゃん
広島生まれ広島育ち(県内を4回ほど引っ越した)
17歳→アメリカへ交換留学(10か月)
26歳→オーストラリアにワーホリ(1年)
現在東京都在住
私のちっちゃいころはとにかく好奇心旺盛だったようで、
ある日は母の目を盗んで車のおもちゃに乗り、ちょっと遠くへお出かけ。(こわいとかなかった不思議。)
またある日は隣の家の”ばあしゃん”(祖母ではない)の家で
ラーメンを食べて母が迎えにきていた。
3歳の時に妹ができ、父と母からは「おねえちゃんだね」
と言われたが、
「おねえちゃんじゃなくて、なっちゃん!」
と断固拒否していたそう。
(これは覚えていないけど、大きくなってからもお姉ちゃん呼びを
嫌がってたのは確かで今でも家族からは「なっちゃん」と呼ばれてる。)
父方の祖父母の家の近くに引っ越し、
幼稚園に通い始めた。
ひまわり組の先生がだいすきで、
年長になっても何かとお部屋を覗きにいったりしていた。
大きくなっていくにつれ、
家族(一族?)のルールがあることに気づいてきた。
*父方の祖父母は ”じいちゃま” ”ばあちゃま”と呼ぶこと。
(ばあちゃま曰く”おばあちゃん”呼びは嫌とのこと。)
*敬語を使うこと
*年末はいとこたちと祖父母の家の大掃除
*いとこたちは私を避けている(あからさまに)
それに加えて父からのルール
*ひいばあちゃんが歩くときは私が手をつなぐこと
*祖父母に話しかけること(口数少なかったら家で怒られる)
手伝いの動きが鈍かったら母からも怒られる。
つーか、その場で睨まれこそっと説教される。
あーっ!嫌な気持ち!
父と母の機嫌を損ねたときのやってしまった感と
なんでやらんといけんのんの気持ちの狭間でだいぶ揺れ動く。
(幼少期~大学生くらいまで続いた。)
母がいとこと私の出来の悪さを目の前で比べるのも
年末年始の恒例行事。
今となっては叔母との関係を一生懸命つくろうとしていたのもわかるけど
当時の私はそんなこと理解できなくて、
心がどんどん傷ついて、本当に苦痛の時間だった。
(叔母が私をほめたことはない。)
それでも、自分の心よりも親の言いつけを守るのに必死だった。
目の前で妹やいとこたちが楽しそうに歩いていても、
杖をついてゆっくり歩くひいばあちゃんの手を毎回ひいていたこと。
それが当たり前になっていて、いいつけを守らなきゃと思う反面、
ひとりで歩かせるのはかわいそうとも思っていたことは
30代になった今でも覚えている。
小さいながらに頑張ってたんだな~私。
「井の中の蛙大海を知らず」
まさしく小さい世界がすべてだった。