都市モビリティ変革の実践的ガイド
Introduction
本稿は、都市のモビリティシステムの抜本的な変革に挑戦する自治体リーダーとモビリティ事業者のリーダーに向けて書かれています。
従来の「ベストプラクティス」の共有や漸進的改善では、現在のモビリティシステムが直面する課題を解決できません。
2024年、都市モビリティは大きな転換点を迎えています:
環境面での危機:運輸部門のCO2排出量は1990年以降増加の一途
社会面での課題:高齢化、都市化の進展による新たなモビリティニーズの出現
技術面での機会:MaaS、自動運転など、新技術による変革の可能性
本稿では、Arthur D. Littleの16,000人以上の市民調査と200名以上のモビリティリーダーへのインタビュー、そして世界の主要都市の成功・失敗事例の分析から、実効性のある変革の処方箋を提示します。
Executive Summary
現状分析
個人車による移動が依然70%を占め、CO2排出は増加の一途
運輸部門でのCO2排出は全体の25-40%を占め、1990年以降唯一増加を続ける部門
42-72%の都市住民が条件次第で自家用車の放棄を検討
特に中国(72%)、中東(70%)で高い意向
欧州(63%)、米国(50%)でも一定の意向
従来アプローチの限界
個別の施策(MaaS、シェアリング、自動運転など)は期待された効果を上げられていない
成功事例は局所的で、システム全体での改善には至っていない
既存の資金調達モデルでは必要な投資を賄えない
新たなアプローチの必要性
本稿では、システム全体での変革を実現する新たなアプローチを提示します:
統合的な政策立案と実行
革新的な資金調達手法の導入
官民協調の新たなモデル構築
3つの根本的課題
1. 「統合」の欠如
現状の問題:
政策分断
都市計画、交通政策、環境政策が個別に立案・実行
相互の整合性が不十分
実施タイミングの不一致
代替手段の不足
自動車からの転換を目指すも、代替手段の整備が不十分
公共交通の利便性向上が不十分
ラストマイルソリューションの欠如
サービス間の分断
公共交通、シェアリング、MaaSなどが個別に発展
システムとしての相乗効果が得られていない
データ連携の不足
求められる対応:
統合的アプローチの採用
都市のマスタープランレベルでの統合
モビリティ政策の一元的な管理・実行体制
長期ビジョンに基づく段階的実施
複数モードの戦略的統合
公共交通を基軸としたマルチモーダル展開
シェアリングサービスの戦略的活用
モビリティハブの整備
データ連携基盤の構築
オープンデータプラットフォームの整備
リアルタイムデータ活用
プライバシー保護と利便性の両立
2. 「資金」の制約
現状の問題:
従来型資金調達モデルの限界
運賃収入と税金に依存する構造
公共交通運営費の50-70%を税金が負担
コロナ禍による収入減少と構造的な収支悪化
投資不足
新規インフラ整備に必要な投資の不足
既存インフラの維持更新費用の増大
新技術導入に向けた投資余力の不足
ビジネスモデルの課題
シェアリングサービスの収益性の低さ
MaaSプラットフォームの持続可能性
新規参入事業者の高い失敗率
求められる対応:
新たな収入源の創出
混雑課金の導入(シンガポール型モデル)
開発利益の還元(ロンドン型モデル)
データ価値の収益化
官民連携の促進
PPP/PFIの戦略的活用
民間投資の呼び込み
リスク分担の最適化
運営効率の向上
デジタル技術の活用による効率化
アセットの最適活用
需要対応型サービスの導入
3. 「協調」の不足
現状の問題:
官民の対立構造
規制と革新のバランスが取れていない
データ共有への消極的姿勢
Win-Winモデルの欠如
事業者間の競争
過度な競争による非効率
データ囲い込みの傾向
統合サービス提供の遅れ
市民との対話不足
政策への理解・支持獲得の失敗
行動変容を促す仕組みの不足
フィードバックループの欠如
求められる対応:
戦略的パートナーシップの構築
官民対話の制度化
データ共有の枠組み整備
共同実証実験の促進
エコシステムの構築
プラットフォーム型連携の促進
相互補完的なサービス展開
共通KPIの設定
市民参加の促進
政策立案過程への市民参加
行動変容インセンティブの設計
継続的なフィードバック収集
システム変革への5つの打ち手
1. 都市空間の再定義
具体的施策:
「15分都市」コンセプトの本格導入
生活必需サービスへの徒歩・自転車でのアクセス確保
商業施設:徒歩10分圏内
医療施設:自転車15分圏内
教育施設:徒歩または自転車15分圏内
用途混在型の都市開発の推進
職住近接の促進
近隣型商業の保護・育成
コミュニティスペースの創出
実装事例:パリ
2019年から段階的に導入
2024年までに市内の80%をカバー
地域経済活性化効果:約15%の売上増
公共空間の車からの解放
歩行者天国の拡大
週末歩行者天国の段階的導入
恒久的な歩行者空間の創出
イベント活用による にぎわい創出
パークレットの整備
路上駐車場の転換
小規模緑地の創出
地域コミュニティの活性化
実装事例:バルセロナのスーパーブロック
交通量82%減少
地域の不動産価値30%上昇
NOx濃度25%減少
土地利用と交通計画の一体化
公共交通指向型開発(TOD)
駅周辺の高密度化
複合的な土地利用
歩行者空間の確保
駐車場政策の転換
附置義務の見直し
パークアンドライドの整備
シェアリング優先スペースの確保
実装事例:コペンハーゲン
駅周辺の容積率緩和
自転車インフラの統合
モビリティハブの整備
2. 公共交通の進化
具体的施策:
基幹ネットワークの強化
BRT(バス高速輸送システム)の戦略的導入
専用レーン確保:道路空間の20-30%を再配分
優先信号制御:定時性15%向上
高頻度運行:ピーク時2-3分間隔
既存路線の速達性向上
急行運転の導入:所要時間20-30%短縮
乗換施設の改善:接続時間30%短縮
バス優先レーンの拡大:速達性25%向上
実装事例:アメリカ・ユージーン
EmX BRTシステム
利用者数:導入前比74%増
運行コスト:従来型バス比30%減
新モビリティサービスとの統合
シェアリングサービスとの連携
駅前シェアリングポート整備
統合予約・決済システム
定期券との相互利用
マイクロモビリティの戦略的展開
電動キックボード:ラストマイル対応
シェアサイクル:中距離移動対応
超小型モビリティ:高齢者対応
実装事例:シンガポール
統合モビリティハブ46箇所整備
公共交通分担率58%達成
利用者満足度85%
3. 革新的な資金調達
具体的施策:
エリアマネジメントの導入
混雑課金システム
エリア課金:平日7-19時
変動料金制:需要に応じた料金設定
収入使途:公共交通改善に還元
駐車場マネジメント
路上駐車の段階的削減
市場価格に基づく料金設定
パーキングメーター収入の活用
開発利益の還元
受益者負担の制度化
駅周辺開発における負担金
容積率緩和に伴う貢献
エリアマネジメント組織との連携
実装事例:香港MTR
不動産開発と一体的な鉄道整備
運営収支:黒字化達成
開発収益:年間約1,000億円
4. データ駆動の需要管理
具体的施策:
リアルタイムの需要管理
ダイナミックプライシング
混雑状況に応じた料金変動
時間帯別の利用促進
オフピーク利用の誘導
需要予測に基づく供給調整
AIによる需要予測
フレキシブルな運行計画
リソースの最適配分
パーソナライズされた行動変容促進
モビリティポイントの導入
持続可能な移動手段の選択に応じたポイント付与
健康増進効果との連動
地域経済との連携
実装事例:ブリュッセル
モビリティバジェット制度
公共交通利用30%増
CO2排出20%減
5. エコシステムの構築
具体的施策:
データ連携基盤の整備
オープンデータプラットフォーム
リアルタイムデータの統合
API標準化
プライバシー保護フレームワーク
官民データ連携
公共交通データの開放
民間事業者データの活用
品質保証の仕組み
MaaSの高度化
サブスクリプションモデル
複数モード統合型定額制
利用実態に応じた料金設定
法人契約の促進
実装事例:ウィーン
WienMobilプラットフォーム
公共交通利用者数15%増
顧客満足度90%
主要都市のモビリティ変革比較
図表1:モビリティ分担率の変化(2015-2023)
都市名 自動車分担率 公共交通分担率 自転車分担率
2015→2023 2015→2023 2015→2023
コペンハーゲン
28%→18% 32%→33% 40%→49%
パリ
43%→35% 39%→42% 18%→23%
シンガポール
29%→25% 56%→58% 15%→17%
ロンドン
37%→31% 45%→48% 18%→21%
図表2:年間モビリティ関連投資額(2023年)
都市名 総投資額 1人当たり投資額
コペンハーゲン 800億円 約13万円
パリ 3,500億円 約16万円
シンガポール 2,700億円 約15万円
ロンドン 5,000億円 約14万円
図表3:主要施策の効果比較
施策 導入都市 主要効果 投資回収期間
混雑課金 シンガポール 交通量20%減 2年
ロンドン 渋滞30%減 3年
自転車インフラ整備 コペンハーゲン 分担率49%達成 5年
アムステルダム 事故件数60%減 4年
MaaS導入 ヘルシンキ 車保有20%減 3年
ウィーン PT利用15%増 4年
図表4:市民満足度比較(2023年、100点満点)
項目 コペンハーゲン パリ シンガポール ロンドン
公共交通の利便性 85 75 90 82
自転車の利用環境 92 68 75 71
歩行者空間の快適性 88 72 85 78
総合満足度 88 72 83 77
アクションチェックリスト
自治体リーダー向け
即時アクション(3ヶ月以内)
組織体制の構築
[ ] モビリティ政策統合タスクフォースの設置
都市計画、交通、環境部門の統合
民間事業者との対話窓口設置
KPI設定と評価体制の確立
データ基盤整備
[ ] データ共有プラットフォーム構築開始
必要データの特定
システム要件の定義
予算確保
ステークホルダー連携
[ ] 官民対話の場の設定
定期協議体の設置
情報共有プロトコルの確立
共同プロジェクトの検討
短期アクション(1年以内)
政策立案
[ ] 統合モビリティマスタープランの策定
15分都市コンセプトの導入
公共交通再編計画の策定
自転車ネットワーク計画の策定
パイロットプロジェクト
[ ] 重点エリアでの実証実験開始
エリアの選定
baseline調査の実施
モニタリング体制の構築
資金調達
[ ] 新たな財源確保の仕組み構築
混雑課金の検討
PPP/PFIの活用検討
グリーンボンドの発行準備
中期アクション(3年以内)
インフラ整備
[ ] 公共交通インフラの強化
BRT導入
モビリティハブ整備
自転車道ネットワーク完成
需要管理施策
[ ] エリアマネジメントの本格実施
混雑課金の導入
パーキングマネジメント
ゾーン規制の実施
モニタリング
[ ] 効果測定と改善
データ分析体制の確立
市民フィードバックの収集
施策の見直しと改善
モビリティ事業者向け
即時アクション(3ヶ月以内)
戦略立案
[ ] 自治体との対話開始
協力分野の特定
実証実験の企画
データ共有方針の策定
サービス改善
[ ] 既存サービスの最適化
利用データの分析
顧客フィードバックの収集
運営効率の向上
連携体制
[ ] 他事業者との協力関係構築
潜在的パートナーの特定
連携スキームの検討
共同プロジェクトの企画
短期アクション(1年以内)
新サービス開発
[ ] 実証実験の開始
パイロットエリアでのテスト
利用者フィードバックの収集
サービス改善サイクルの確立
データ活用
[ ] データ共有基盤への参加
システム連携の実施
品質管理体制の構築
活用方針の策定
ビジネスモデル
[ ] 新収益源の開拓
サブスクリプションモデルの検討
法人向けサービスの開発
広告収入の検討
投資対効果の詳細分析
必要投資(人口100万人の都市の場合)
インフラ整備(5,000億円)
公共交通インフラ:3,000億円
BRT導入:1,500億円
モビリティハブ整備:1,000億円
既存インフラ改修:500億円
自転車・歩行者インフラ:1,500億円
自転車道ネットワーク:800億円
歩行者空間整備:700億円
その他インフラ:500億円
課金システム:300億円
サイネージ等:200億円
システム構築(2,000億円)
データプラットフォーム:800億円
MaaSシステム:600億円
運行管理システム:400億円
その他システム:200億円
運営コスト(3,000億円)
人件費:1,500億円
保守・メンテナンス:1,000億円
マーケティング・広報:500億円
期待される効果(10年間累計)
直接的経済効果(3,000億円)
渋滞コスト削減:1,500億円
時間損失の削減:1,000億円
燃料消費削減:500億円
事故コスト削減:1,000億円
インフラ維持費削減:500億円
環境効果(2,000億円相当)
CO2削減:1,200億円相当
年間20万トン削減
トン当たり6,000円で評価
大気質改善:500億円相当
騒音削減:300億円相当
健康増進効果(1,000億円)
医療費削減:600億円
労働生産性向上:400億円
経済波及効果(15,000億円)
小売売上増加:5,000億円
不動産価値向上:7,000億円
観光収入増加:3,000億円
投資回収の時間軸
初期(1-3年):基盤整備期
支出>収入
累積赤字最大:2,000億円
中期(4-7年):効果実現期
収支均衡達成
累積赤字解消
長期(8-10年):発展期
純便益実現
ROI:2.1倍
結論:モビリティ変革を成功に導くために
変革の成功は、以下の3つの要素にかかっています:
リーダーシップの発揮
明確なビジョンの提示
組織横断的な推進体制
持続的なコミットメント
官民協調の実現
戦略的パートナーシップ
リスク・リターンの適切な分担
イノベーションの促進
市民との対話
透明性の確保
参加機会の創出
フィードバックの反映
今こそ、大胆な一歩を踏み出す時です。
Sources: 前述の情報源に加えて
Arthur D. Little "The Future of Mobility 2024"
UITP Global Public Transport Summit 2023 Proceeding
EU Commission "Urban Mobility Framework 2024"
C40 Cities "Transportation & Urban Planning Report 2024"