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『知と愛』ヘルマン・ヘッセ 読後妄想


<おそらくすべての芸術の根本は、そしてまたおそらくはすべての精神の根本は、死滅にたいする恐怖だ、と彼は考えた。われわれは死を恐れる。無常にたいして身ぶるいする。…>



所感

 読み始めたもののなかなか進まなかった『知と愛』。「生きる」ことをテーマとした壮大な話で、何度も止まったり戻ったりを繰り返し何とか読了。無常に対するゴルトムントの挑戦、ナルチスとの対話、数多登場する女性、厳しくも美しい自然、ペストや迫害の理不尽が緻密に描かれる。

 読むのに時間をかけすぎてしまったこともあり、内容のすべてを覚えているわけではないものの、芸術やキリスト教、迫害に対するヘッセの考え方が垣間見える作品だと感じた。特に無常というテーマは最近の虚無気味な自分にとって非常に響くものがあり、またゆっくり読み返したい本の一つである。

 以下、読後の感想、考察、妄言。
 ネタバレを含むのでまだお読みでない場合は先にお読みすることを強くお勧めいたします。


主な登場人物

・ゴルトムント

 マリアブロン修道院に転校し、ナルチスと出会う。彼に憧れるも、精神の道を行く彼とは対照的な芸術の道へ進む。「母」を求めて修道院を飛び出し、芸術と死の放浪の旅に出る。

それは無常の克服だった。人間生活の道化と死の舞踏から、あるものが残り、生きのびるのを、僕は知った。それはつまり、芸術品だった。

400‐401頁

・ナルチス

 自分をゴルトムントと対極の存在としながらゴルトムントの友人として寄り添う。自身はキリスト教徒としての生きざまを貫きながら、それに反する生き方をするゴルトムントを愛と芸術の道へ押しやる。

君は芸術家で、ぼくは思索家だ。君は母の胸に眠るが、ぼくは荒野に覚めている。

68頁

世界

「世界は死と恐怖に満ちていればこそ、ぼくはくり返し自分の心を慰め、この地獄のただ中に咲いている美しい花を摘もうと試みるのだ。快楽を見つけると、一刻のあいだ恐怖を忘れる。だからと言って、恐怖は減りはしない」

399頁

 最近ストレスとか心配事が増える中で一番共感できる。何か楽しいことがあっても、ふと将来のこととか考えてしまうとブルーな気持ちになることがある。本を読み漁っても勉強していてもその内容が全部覚えられるわけではない。日本が将来どうなるかもわからないし、自分の健康とかも気になるし…いい歳して彼女もいないし…。

 一人旅して広い空を眺めたとき、おいしいものを食べたとき、ライブに行ったとき…束の間の幸せを享受した後の寂しさは一際大きいものがある。世界の広さを感じる。正直今の自分には生きる意味とかがよくわからない。最低限他人に迷惑とか心配とかかけないように過ごしてる。なにか目的とか意義が見つけられたらいいけど…。

無常

それは無常の克服だった。人間生活の道化と死の舞踏から、あるものが残り、生きのびるのを、僕は知った。それはつまり、芸術品だった。

400‐401頁

人間というものは、精神と物質とでできている不安定な混合物であるから、そして精神は永遠なものの認識を開くのに反し、物質は人間を引きおろして、無常なものに縛りつけるのであるから、生活を高め、生活に意味を与えるためには人間的なものから離れて精神的なものへ努力しなければならない、と。

432頁

 この小説はナルチスとゴルトムントの友情を描くと同時に、「無常」に対する二人の生き様を描く。ナルチスが精神や学問を究める一方、ゴルトムントは芸術に命を注ぐ。「無常」に対する二人の姿勢は対照的で、ナルチスが学問や修行を通して「悟り」に近い状態での無常の克服に努めているのに対し、ゴルトムントは一瞬の生を世界に永久にとどめる努力をする。

学問と芸術

学問は、君のことばを引用すれば、『差別を発見しようと熱中する』ことにほかならない。これよりよく学問の本質を言い表すことはできないだろう。われわれ人間にとっては、差異の確認より重要なことはない。学問とは差別の術である。たとえば、各々の人について、その人をほかの人々から区別する特徴を発見することが、すなわちその人を認識することだ。

61‐62頁

母はいたるところにいる。彼女はジプシーの女リーゼだった。ニクラウス親方の美しいマドンナだった。彼女は、生命であり、愛であり、快感であった。彼女はまた不安であり、飢えであり、衝動であった。今は彼女は死であり、指を僕の胸に入れている。

463頁

その神秘の本質は、他の像のとは違って、あれやこれやの個々の点、特別に豊満であるとか、荒けずりであるとか、粋であるとか、力づよいとか、優美であるとか、そんな点に存するのではなく、他の場合には融和しがたい世の中の最大の対立、すなわち出生と死、好意と残忍、生命と破壊とがこの形体の中では和解し共存している点に存するのである。

273頁

 本書では「精神」や「学問」のナルチスと「愛」や「芸術」のゴルトムントが対比される。学問は「差別の発見に熱中する」ものである、ということから(勝手に)想起されるのはダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』。ここでも学問と解像度の話が出てきて勝手にうれしくなった。ナルチスは物事を徹底的に差別することで人間の中にある無常ではない部分を探し求めていた。

 一方、愛と芸術のゴルトムントが求めたのは「イヴ」であり、「神秘」である。その中で苦痛と快楽の類似の発見から始まり、最後には出会った女性や自身の感情、そして死さえも母と名付けている。さらに生と死などの一見対立しない事柄に和解と共存を見出し、それを神秘と呼ぶ。すでに区別されているものを母という一つの大きな括りに持っていく。

 そこで気になるのは、ゴルトムントの最後の発言「母がなくては、死ぬことはできない」の意味。不思議な発言だが、ここでいう「母」は愛や飢えを含む「衝動」、「死ぬ」は「生きる」だと解釈する。ここでまたほかの作品から好きな発言、『進撃の巨人』よりケニーの「みんな何かに酔ってなければやってられなかった」の発言と被るなーと勝手に妄想。ゴルトムントは母親の偶像に酔っていたのかもしれない…。

まとめ

 とりとめもなく思ったことを書いていたらまとまりのない文章になってしまった。人に見せる文章としては未熟この上ないけど、あとでもう一周読み直す機会があったらその際には助けになるかもと言えるような殴り書き…

 読むのにも書くのにも時間ばかりかけてしまって内容がグダグダになっているという気がしないでもないが、この本はとりあえずここまでにして…溜まってしまった他の本の感想文の整理でもしなければどんどん記憶が薄れて行ってしまうのでまた。

 

 

 


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