スキゾフレニアワールド 第三十二話「詩人」

 入院生活三ヶ月目。順調に行けば退院まで余日。心の静養はしっかりと取った。思い残す事は無い。静かな体内は体温を優しく潤し、繰り返す余白の虚空を只物々しく歩んでゆく。静寂とした部屋に一人時を刻む。閑散な胸中に意気揚々とした自分が居るのが分かる。もうすぐ家に帰れる。自分の私生活を取り戻せる。実家で暮らせる事がどんなに幸せか。両親と笑い合いながら団欒出来る事がどれ程囁かな光か。其れだけじゃ無い。輝に会える。彼と又日々を歩みたい。思い出を作りたい。解り会える時間が希望を生みプラスに働き元気な生命の身体を造っていく。私は希望だった。其れで生きて行けた。退院が楽しみだ。

 調剤薬局事務。其れが僕の新しい仕事だった。偶々取得した通信講座の資格が面接官の目に留まり、街外れの小さな薬局で一日がスタートする。パソコンに客の投薬等の情報を書き込み薬剤師に渡し円滑にサポートする。元々黙々としたパソコン作業が割に合っていた僕にとってこの職業は大ヒットだった。活ける。此の仕事は僕に似合いすぎている。其れだけじゃ無い。薬局の入口の自動扉が開閉し一人の客が入る。いや、外には車もある。恐らく其れで来たのだろう。其れが誰かなんて愚問だった。小さな職場の窓から入る逆光がその人を神々しく照らしていた。
「来ちゃった」
「処方箋を渡せ」
「私は客よ?」
 涼子だった。有れから三ヶ月の月日が過ぎて彼女は無事、退院した。何時もと変わらぬ健気な姿。僕は此の日を心待ちにしていた。僕等は目線を送り合って会話をした。募る話は尽きない。バックヤードへ行くと店長に「あんな可愛い人知り合いなの?」と言われ、外の自家用車の助手席のおばさんに会釈され、涼子には顎でクイッと促される。其のどれもがどんなに嬉しかった事か。僕はこの歓びを叫びたかった。涼子が一言呟くとそこには小さな包み紙があった。僕は其のメモらしき物を直様ポケットに仕舞い込んで彼女と別れた。やられた。あの時のお返しか。僕は仕事が終わりのを心待ちにしていた。まさか初日にこんな出来事が起こるとは、神も想定外の出来事に違いない。夜、帰宅した僕はシャワーを浴びて寝支度を済ませた後彼女からのメモを見る事にした。
 彼女は詩人だった。

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