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成人病の予防とその自然治癒について-2

三石巌の書籍で、現在絶版して読むことができない物の中から、その内容を少しずつですが皆様にご紹介させていただきます。

全7回シリーズの第2回目となります。講演(口語)を文章にしているため、読みにくい部分もあるかと思いますが、三石巌の考え方を知ることができる貴重な内容ですので、是非お読みいただけますと幸いです。

第2回目(全7回シリーズ)

 食生活というのは、それぞれの家の習慣がありますから、魚をたくさん食べる家もあるし、カボチャをたくさん食べる家もあるでしょう。それぞれがいろいろな傾向をもっていますね。そういう食べものの違いからくる自然の自己運動のなかから高血圧が出たり、あるいは出なかったり、ということがあるにちがいないと私は考えているんです。

 そうしますと、たとえば、Aという人が高血圧であって、Bという人はそうではないとします。するとAさんがBさんのような食事をしたら高血圧がなおるのか、というとそういう場合があるんですよ。Aさんは高血圧になるような食事をしていたんだし、Bさんはそうではなかった。そこでAさんがBさんのような食事をすると、自然に高血圧がなおるということがあるわけです。こういうことを自然治癒といってるんです。つまり、お医者さんの腕にかかったり、特別な薬を飲んだりしなくても自然になおったわけですから。こういうことを自然治癒というんですけれども、お医者さんにかかってなおったというときでも、それは自然の自己運動でなおるのだから、自然治癒としてよろしいのです。

 つまりからだのなかでは、自然にいろいろなことが行われているものであって、そのなかで病気になってみたり、なおってみたりしているわけです。そういう意味で自然治癒といっているんですが、どっちみち病気がなおるのは自然治癒であって、なおる条件が与えられれば自然になおる、というぐあいに私は考えているのです。これは、私は医者ではありませんから、病気をなおすにはどうしたらいいか、その条件を食べものだけから考えていこうとしているんです。

 たとえば車がガソリンで走りますね。プロパンガスで走る車もありますが、ガソリンで走る車に灯油をいれたり、重油をいれたりすると、おそらく調子が悪いでしょう。アルコールをいれてもそうですね。アルコールだって燃料なんだから、それでもいいかといったら、アルコールじゃあうまく走らないとか、故障がおこるとか、そういうことがあるでしょう。人間でも同じなんですよ。

 車が、ガソリンだといちばん調子よく走るのに、ガソリンでないものを使ったら、ちょっと調子が落ちるのと同じように、人間でもいちばんいい食べものというものがあって、そうでないものを食べたら、調子が悪いにきまっていると、私は考えています。

 私は、いまご紹介にありましたようにことし八十歳になります。来月になりませんと、満八十歳になりませんが、生まれた年が天皇陛下と同じなんですよ。明治三十四年に生まれました。もっと年上の方もここにいらっしゃるかもしれませんが……。

 私は、おそらく天皇陛下より元気だろうと思うんです。元気ということは、膝がガクガクしないというようなこともふくまれるし、頭の働きについてもいえるわけで、どちらも私は、天皇陛下より上だろうと思っているわけです。そういっては申しわけないですけれども。それはなぜそんなことになるのかというと、天皇陛下はおそらくご馳走を食べていらっしゃるでしょうが、その食べものがよくないんですね。こういういいかたは申しわけないかもしれませんが、ひどくいえば栄養不良なんですよ。私からみれば天皇陛下は栄養不良ということになります(笑)。

 これはなにも、とくに天皇陛下をけなそうという気持があっていうわけではありませんけれども、みなさんがよくごぞんじの方であって、たまたま私と同じ年だからということで、ひきあいにだしているだけです。天皇陛下のほうでは迷惑されるかもしれませんが、こんなことを、ぢかにおきかせするわけではありませんから、私もまあ、平気な顔をしていうことにしています。天皇陛下であろうとなかろうと、栄養が不足すればおかしなことになるのだといいたいのです。

 要するに、何を食べていてもいいということはないんですよ。たとえばおいしいものを食べていれば、好きなものを食べていれば、それで人なみ以上に、からだも頭も働くと思ったら、それは大間違いなんです。なにを食べてもいいというものではありませんから。

 たとえば、ここに高血圧の人がいるとしましょう。高血圧というのは成人病のひとつですから、これを問題にすることにしましょう。

 この人には、ひとつか、ふたつか、栄養上の欠陥がある、といわないわけにはゆきません。これは、食べ物の上で欠陥をもっている、ということなんです。

 このようなことを申しますと、みなさんは、私に「理想的な食事をしているのか」とおたずねになるかもしれませんが……。

 私は、理想的な食事をしているだろうと思っているわけです。それは、朝は何を食べるのか、昼には何を食べるのか、というようにきちっときまったものを食べている、ということではありません。何でも食べたいものを食べているんですから。じゃあ、食べたいものを食べているだけで理想的な食事になるのかといったら、むろんそうではありません。食べたいものを勝手に食べているときには、何かたりないものが出てきます。ですから、そのたりないものを補うことをしているわけです。たりないものを補えば、それで完全になるはずですから。とにかく食べたいものを何でも食べる。食べたくなければ、それは食べないということをしているんです。けれども、その日にたりない栄養はないように気をつけている、それだけのことなんです。 

~次回につづく~

※本文中の表現は、講演内容を教え子たちがテープから文章に起こしたものを、出版当時(1982年)のまま掲載しておりますが、一部読みやすく編集しております。


三石巌 全業績 27 「講演集1」より抜粋
出版社:現代書林
発売日:1983/1/20



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