成人病の予防とその自然治癒について-1
三石巌の書籍で、現在絶版して読むことができない物の中から、その内容を少しずつですが皆様にご紹介させていただきます。
全7回シリーズの第1回目となります。講演(口語)を文章にしているため、読みにくい部分もあるかと思いますが、三石巌の考え方を知ることができる貴重な内容ですので、是非お読みいただけますと幸いです。
第1回 自然の自己運動
私が三石でございます。
こういう離島にあがりまして、そういうところで、どういう方が、どんなふうに暮らしていらっしゃるか。例えば健康について、どのように考えていらっしゃるか。そういうことを興味深く思っております。
この前は、渡嘉敷島にまいりましたし、石垣島にも、宮古島にもまいりました。どんな小さい島にも、だんだんにお訪ねしたいような気がしております。
ところで、いま司会者が私のご紹介をなさいましたが、だいぶん難しいことをおっしゃいましたので、私の話も難しいんだろうと、みなさん想像されたのではないでしょうか。
「自己運動」ということをおっしゃいました。これもあまり耳馴れた言葉ではないだろうと思います。
さっき、人間の自己運動とおっしゃいました。また、自然の自己運動ということも言われました。私どもは人間ですが、きょうは病気のお話をすることになっていますね。こういう、身体とか病気とかいうものは自然の自己運動に入ります。
先ほど、高血圧の方がたくさんいらっしゃるということを聞きました。高血圧になった方もご自分が高血圧になりたくてなったわけではないでしょう。どうしてなったのかというと、人間というものは、結局は自然物であって、まあ、人間を自然物だというとちょっといい過ぎになるような気がいたしますけれども、自然の成りゆきによって生まれてきたもの、それならば自然物であるわけです。もちろん両親から生まれたわけですけれども、といっても両親が、こういう顔つきのこういう人間をつくろう、と思ったからなのではなくて、自然によって生まれてきたものというように考えます。そういうものを自然の自己運動と、私は言っているのです。そうすると病気というものも自然の自己運動であると思っているわけです。
私ども人間は自然物なんですね。それは、魂があるとかいうような話はまあ、別にしまして、自然物と考えなければならない。それは水を飲んだら、水は身体になりますね。肉体になってゆくし、また脳へも入っていくでしょう。また、魚を食べれば、それも私どもの身体になってゆきます。それはまったく、私どもがやろうと思ってそうなるのではなく、自然にそうなっているんですから。自然にそうなっているということは、自然の自己運動であるというように、私は言っているわけなんです。あるいは、考えているわけです。
そうしますと、今言いましたように、高血圧のようなものは、それはなろうと思ってなったわけではありませんね。自然になっちゃったわけで、これは自然の自己運動である、と私は考えているのです。だから、私どもが生まれたのも自然の自己運動だし、死ぬのも自然の自己運動であるということになりますね。それなら私どもには、手もつけられないことかというと、私は、なんとかして手をつけようと、自然の自己運動に手をつけようと思っているわけです。例えば高血圧なんていうのが知らない間におこっちゃった。これは、誰もあの人を高血圧にしようと思ってやったわけでもないし、自分がそう思ってなったわけでもない。自然になってしまったんだが、それはいったいどうしたことなんだろう、という問題。こういう問題を私は考えるんです。
先ほど、司会者からご紹介がありましたように、私は物理学者です。みなさんもおわかりのように物理学というものは医学とは違います。お医者さんの学問ではないし、栄養の学問でもない、薬の学問でもない。そういう物理学を勉強した人間が、例えば成人病についてお話をしようとしている。いったいどんなつもりでそんなことをしているのかと言いますと、物理学というのは、例えば、今ここに蛍光灯がついています。電灯がつくということは、電気を通すとここから光が出てくることですね。この光はどうして出てくるのだろうか、というようなことが物理学の問題なんです。つまり、自然の自己運動というものを、物理学というのは、まともに扱っているわけです。
そうすると、医学というものは、もっともっと複雑なものだろうと私は思いますが、人間の身体についてお医者さんが考えていらっしゃることがあるけれども、私は、まるで違うことを考えているわけです。
高血圧になるのも、自然の自己運動であると考える。つまり、電灯があって、これに電気を通せば光がでるということと、同じ現象であると考えるんです。けれども、高血圧にならない人もいるのは、それはどうしたことかというと、それもやっぱり、自然の自己運動として扱えばよろしいわけなんです。そうしますと、問題は、別の角度から考えることができることになります。
みなさん、今日の夕食はそれぞれ違ったものを食べていらっしゃる。全く同じ献立ということもあるかもしれませんが、まあ勝手にやっていると言ってよいでしょう。
私どもが何か食べますと、身体になってきますね。その食べたものから力も出るし、熱も出るし、身体の働きも生まれる。それもすべて自然の自己運動だと、私は思っているんです。自然の自己運動によって食べ物から身体が作られるのです。それをどうやろうと、私も考えないし、みなさんも考えられるわけでもないのに、自然に身体ができてゆくのは、それが自然の自己運動であるから、というように、私はみているわけなんです。
※本文中の表現は、講演内容を教え子たちがテープから文章に起こしたものを、出版当時(1982年)のまま掲載しておりますが、一部読みやすく編集しております。
三石巌 全業績 27 「講演集1」より抜粋
出版社:現代書林
発売日:1983/1/20