ロサンゼルス生活19日目
このところのロサンゼルスは少し寒い。なんなら東京の方が暖かいのではないか。どういうことなのだろうか。
今日の夜は映画を観た。「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。2015年のアカデミー賞作品賞受賞作品である。このところアカデミー賞関連の作品を観ることにはまっている。
いや、はまっているというというよりも、考えてみると、アカデミー賞がらみの作品を観ることが、一番効率がいいような気がしてきたのだ。どんな人が審査しているのか私は知らない。知らないが、審査員になるぐらいだから、きっとそれなりに目の肥えた人が審査をしているに違いない。さらには大衆性とか芸術性とか現代性とか、そういった様々な要素を加味した上で審査しているに違いない。そうなると私のようなド素人が、当てずっぽうとか、なんとなくこれ面白そうとか、そういった勘みたいなことで作品を見始めるよりも、ハズレが少ないように思えるのだ。
また、私とアカデミー賞との相性みたいなものも悪くはないような気がする。過去に観たアカデミー賞の受賞作品には、かなり印象に残っているものも多い。というわけで、このところはアカデミー賞がらみの作品を観るようになっている。
さて「バードマン」である。ハリウッドの大衆作品で有名になった過去をもつ俳優が主役。今は忘れ去られている。主演はバットマンの主演を務めたマイケル・キートン。過去の栄光を引きずる一方で、その虚しさというかやるせなさのようなものも心得ており、映画スターに返り咲くことよりもアーティストとしての新たな境地を切り開くことに執念を燃やしている。
映画の舞台はニューヨークのブロードウェイ。キートンが脚本演出主演を務める舞台が開ける数日前。上演する舞台はレイモンド・カーヴァーの「愛について語る時に我々の語ること」。バードマンとは真逆の硬派な古典演劇。バタバタの公演準備を経て、どうにか初日に漕ぎつけるが、、といった内容。
マイケル・キートンが今忘れ去られているかどうかは分からない。だけどバットマンの主演俳優をこの映画の主演に起用するところが面白いと思う。そしてある部分でハリウッド映画の在り方のようなものを皮肉っている内容にも関わらず、この映画がアカデミー賞の作品賞を受賞しているということ。これはこの作品が素晴らしいということはもちろんのこと、審査員たちの公平性というか映画やエンターテイメントや芸術といったものに対する寛容さというものを顕しているいるように思える。
まさに大衆性とか芸術性とか現代性とか、そいういったものが見事にテーマになっている映画であった。また観たいと思う。
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