ロサンゼルス生活7日目

昨日の大雨とはうって変わり、本日のロサンゼルスは晴れ。

本日も朝からお出かけ。車でお迎えに来ていただき(いつもありがとうございます)、サンフェルナンドバレーのお寺へ向かった。キリスト教の教会も日曜日の午前中には礼拝があるのだと思うが、仏教のお寺でも日曜の午前中にはやはり礼拝という言い方ではないと思うが、似たような集まりが行われているようである。

私は小学生の頃にキリスト教の日曜学校に通っていたことがある。だからだろうか。日本人特有の宗教に対する馴染みのないような感覚は私には特にない。今でも特定の宗教に対する信仰のようなものは持っていないが、そういうものを持っている人の気持ちというものもある程度は理解できる方であると思っている。

お寺に着くとピアノの周りで人々が歌を練習していた。キリスト教でいうところの讃美歌のようなものであろうか。私も練習に加えて頂き、みなさんと一緒に楽譜を見ながら歌った。歌詞はもちろん英語である。だからあまり意味は分からない。しかし人と一緒に歌を歌うというのは楽しいものである。

時間になり礼拝的なものが始まった。歌を歌ったり、先生的な人のお話があったり、形式的にはキリスト教の日曜礼拝とそれほど変わらないようである。しかしここはアメリカ。なんというか日本人とは明らかに主体性のようなものが違うような気がする。どんな時でも主体的に自分がその催しに参加するという気持ちを参加者が等しく持っているように感じられた。このような空気を私はとても好ましく感じた。

日本人はどんな集まりでも基本的に受動的である。まずは周りの空気を読む。そして読んだ上で動かない。動くとしても動くべき理由のようなものを探す。人から批判されることを極端に恐れるからだ。このような空気を私はあまり好ましく思わない。そんなことでは何をやっても楽しくないだろう。

午後になり自宅に戻ると、近隣に住む日本人の方がコストコに連れていって下さるという。全くアメリカに住んでいる方々はどうしてこうも優しいのであろう。いつか頂いた分はどこかで返していこうと思う。

コストコに向かうが、残念ながら本日はお休みの日であった。日曜日なのにどうしてだろう、と考える。そういえば今日はイースターのようである。日本ではイースターの日に店が休むなんて考えられないが、キリスト教の国ではそういうものなのかもしれない。

コストコは諦めてミツワというスーパーマーケットに立ち寄った。ここには紀伊国屋書店が入っている。小説のコーナーを見てみると、それほど種類は多くはないが日本語の本も置いてある。値段は安くはないが手が出ないレベルではない。これでひとまず一安心である。日本語の本に渇望を感じたら、ミツワの紀伊国屋書店に駆け込むことにしようと思う。

ミツワを出た後はマルカイというスーパーマーケットへ。ここはいわゆるドンキホーテのような店である。水やビールがとても安い金額で売られている。日本のスーパーで買うのとほとんど変わらない金額レベルではないだろうか。喜び勇んで水とビールを大量に買い求めた。

自宅に戻るとまだ夕方の16時前。久しぶりにゆったりとした夕方から夜の時間を過ごした。それにしてもこちらは日が長い。暗くなるのは夜の20時頃ではないだろうか。日本の夏よりもまだ長いように感じる。この時期でこの長さ。夏になったら一体どれほど長くなるのだろう。日が長いと得をしたように感じるのは私だけであろうか。まだまだこんなに明るい。まだまだたくさん活動できるじゃないかと。すぐに暗くなってしまう日本の冬を私はとても損したように感じていた。

今日の夜はジャクソン・ブラウンの「プリテンダー」を久しぶりに聴いた。かつてよく聴いていた曲である。英語の詩と訳詞を読みながらじっくりと聴いた。ジャクソン・ブラウンはドイツ生まれではあるが、ロサンゼルスの育ちのミュージシャンらしい。このように明るい土地柄に育っても、あのような内省的な歌詞を書くソングライターが育つ。生まれた場所とその人の持つパーソナリティというものにはそれほど関係はないのかもしれない。だとしたらその人のパーソナリティというのは一体何をもってどう育つのであろうか。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの曲も久しぶりに聴いた。これまでにあまりしっかりと聴いたことはなかったのだが、なぜだかこのバンドの名前が頭に浮かんできたのだ。サザンロックっていうんだろうか。こちらはアメリカの西部や南部にぴったりとくるような音楽である。彼らの曲も私のお気に入りに加わることとなった。

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