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「3隻沈んで初めて反撃」舞鶴研修で知った国防の今

舞鶴基地は昨今の北朝鮮ミサイル問題やロシアとの関係で大きくフォーカスされつつある日本海に面する日本の重要な防衛拠点。実際に足を運んで知った現状と舞鶴の今を解き明かす。

1.初めての舞鶴

30日朝8時、ゼミのフィールドワークとして海上自衛隊舞鶴基地を見学するため、集合場所である京都の東本願寺前に向かった。

現場に着くと、既に半分以上の参加者が京都地方協力本部の担当者と一緒に集まっていた。学生15人教授3人、教本(協力本部)の方の誘導でマイクロバスに乗車した。

京都から高速を通り、京都北部丹波の山岳地帯を2時間程で超えていく。現地には10:00に着いた。

舞鶴海自基地までの道のりで数隻のミサイル巡視艇を見かけた。いずれも奥に重なって見えたイージス艦と比べると小ぶりだ。

「到着しました」。基地内に入りマイクロバスを降りると昭和以前に作られたのであろう石とレンガ造りの重厚な記念館が目に入った。

2.記念館と東郷平八郎

舞鶴基地 東郷平八郎像

そのまま足を運ぶと日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った海軍司令官東郷平八郎の像が立っていた。後ろにはレイテ沖海戦で沈んだ戦艦秋津島の艦旗が飾られていた。

通路を順に歩いていくと明治から昭和にかけての日本海軍の歴史が分かる展示品が並んでいる。「東郷平八郎推し過ぎですよね」。広報担当の自衛官の方が話し掛けてきた。

確かに明治時代の展示品のうち「皇国の興廃此の一戦に在り」と書かれた直筆の掛け軸がいくつもあり、東郷ビールなるものまで展示されていた。東郷率があまりに高過ぎると言えばその通りかもしれない。

「山本五十六さんは何で飾られてないんですか?」。何気なく聞いてみると、どうやら「勝っていない」ことが問題らしい。海自の中では明治時代の完全勝利が未だに尾を引いているようだ。

確かにバルチック艦隊を破ったことが日本の勝利に貢献したことは言うまでもない。彼らが半年掛けて地球半周した状況で、士気がかなり低かったことや武器弾薬の性能が圧倒的に違った話などは聞くだけで敗色濃厚だ。

いずれにしても近代海戦で勝利したことは紛れもなく日本に軍事的な自信をもたらしたのだろう。

3.舞鶴基地講座

記念館から講堂に移動し、舞鶴基地の役割と歴史について同基地の幹部職員に話を聞いた。

舞鶴基地は日本海側の沿岸1800キロメートルを一手に引き受けている。カバー範囲が広く、北朝鮮やロシアといった国々と直接対面している。

幹部は基地負担が大き過ぎるのではないか。という質問に対して、「鎮守府ができた海軍時代そのまま、今のところ日本海の拠点を増やすことはない」と語った。

一方で、現状日本が対面する軍事的ウェイトは日本海側と東シナ海に集中しつつある。

呉や横須賀、神戸、佐世保といった太平洋ないし瀬戸内海といった安全海域に海自の主力が集中しているのは、即応性の観点から問題があるのではないかと感じた。

今年夏にロシアと中国の艦隊が日本海上で共同訓練を行い、津軽海峡を通って日本列島一周をしたことを鑑みると素人ながら不安感が残った。

また、海上自衛隊による日本海側の原子力発電所の防備について尋ねると「現状は何もない。恐らく上司が考えているのではないか」と話す。

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