「昔男春日野小町」跋

「昔男春日野小町」は、竹田出雲・同小出雲・近松半二その他の合作により、宝暦7年(1758)12月15日に竹本座で初演された五段続きの時代浄瑠璃であります。これもいわゆる「王代もの」で、小野小町に関するさまざまな伝説、また在原業平や大伴黒主の件などを、天下を狙う藤原基経の陰謀に絡めて描いています。
小町に関しては、すでに初代出雲の「七小町」が享保期に出ており、旧作で往々悪人とされる大伴黒主を忠臣とすること、また荒巻耳四郎・大筆熊四郎・五大三郎といった人物は、ほぼここから借りています。また宝暦4年に竹本座で上演された「小野道風青柳硯」を受けたところもあり、この作品の好評に気をよくして本作が生まれた可能性はありましょう。二段目の黒主と五大三郎の達引は、大近松の「嵯峨天皇甘露雨」三段目の翻案ですが、文辞脚色とも洗練の度合いは高まっています。
ストーリに関しては、やはり「天皇劇」という一本通った縦糸はしっかりしているいっぽう、各段がほぼ親子のドラマで一貫しているというのもひとつのポイントでしょう。そしてそれが敵役の基経と光孝天皇にまで及んでいるという点は、宝暦期の旧作よりも間口が広がっている感があります。そしてその中で苦悩する深草少将、業平、黒主、その妻の水無瀬、小町、少将と兄妹であることを知らず慕うお露などは力の込められた描写になっています。華やかさと陰惨さの混じり合ったふんいきも時代設定とよく合っていて違和感はありません。
もっとも、先の「親子のドラマ」については、逆をいえば趣向が重複していることにもなるわけで、ことに二段目と四段目は、幼児の犠牲死というあざとい愁嘆場が重出する点で、目障りになってしまうことは否定できないでしょう。さらに四段目の場合、光孝天皇が暴君と見せて実は善王であったというのが、おそらくは初段の段階で予定されていると考えられるだけに、けっしてうまくいっているとはいえません。わざわざ黒主の意図をわかっていながら、三若を殺す必然性が弱いからで、浄瑠璃の爛熟期から頽廃期にさしかかっているころの多くの作品に見られる露悪的趣向に走っている感が否めないのです。
そのようなところを見ると、再演がついになかったのもやむなしと言えましょう。しかしながら、先に挙げた趣向や人物の造型、詩句(多くの例に漏れず三段目が傑出しています)などを見ると、捨てがたい味があるのも確かで、それゆえあえて取り上げました。

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