「昔男春日野小町」翻刻 初段
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要領は前作に準じます。
昔男春日野小町 作者 故竹田出雲
竹田滝彦
〈序詞〉雲には衣裳を想ひ花には容を想ふ、明皇の解語の花、花うるはしとして容にしかず、人老いて花にしかず、清平調の糸絶えず、その人あればその楽興る。和漢ひとしき古歌の声、詩歌も同じ五七言、五十余り七嗣ぎ、陽成の帝の御徳、〈ヲロシ〉いとやんごとなくおはします。
〈地〉その人なき時はすなはち闕くとかや、王佐の才なしと雖も、太政大臣藤原基経公、君宝算若々しとて万機を関白さるれば、威権朝庭に巾子を並ぶる者もなく、富貴浮かべる雲の上、旧朝の皇子時康王を誘引し、清涼殿の円座に着き給へば、大和国の住人春日前司緒継、執柄の家人として御供に相従ひ、〈フシ〉烏帽子うなだれ伺候する。
基経公簾中に差し向ひ、「〈詞〉これは仁明天皇第三の皇子、君にも親しき御血筋なれども、いつの頃よりかれがれに衰へ果て、今年廿一才まで親王宣下の御沙汰もなく、たゞ時康の王と申し、諸王の列に加はり給ふばかり。一向人臣になり給はゞ、官位昇進心のまゝ。ついては源平の姓を賜るは尋常の御ことながら、基経未だ子を持たず、家の長久おぼつかなし。〈地〉あはれそれがしが子となし、家を継がせ給はらば、先祖の喜び生前の面目、このことに候はん」と〈スヱテ〉思ひ入って奏せらる。
〈詞〉陽成院御気色穏やかに、「〈地〉まことに同じ天照神の末ながら、〈詞〉あるいは世に輝き、あるいは曇るも時世の習ひ是非もなし。朕が子の定省の宮は、いとけなければ天が下を知るべき徳ありともなしとも定め難し。もしその器にあらずんば、彼を捨てゝ東宮にも備ふべき時康なれども、国の柱たる基経、天児屋根の臣より相続きたる旧臣、家の滅亡と聞く時はこの願ひももだし難し。〈地〉この上はいづれとも時康の心にあるべきぞ」と、いとかしこまる詔。王謹んで、「〈詞〉コハ恐れある勅諚。今日まで未だ無品のそれがし、東宮などゝは思ひもよらず。朝庭の補佐基経の子とならんは、身の大慶これにしかず」と勅答あれば基経喜び、「〈詞〉王子を我が子とせんこと、家繁栄の基、嬉しゝうれしゝ。〈地〉然らば今日より我が子藤原時康なるぞ」「ハァ我が父の基経公」と、板敷にひれ伏し給ふ、〈中フシ〉親子の礼儀ぞ神妙なる。
基経重ねて、「〈詞〉君御即位あってのち、摂津守大伴黒主、所労なりとて一向に参内せず。ほのかに聞けば、私の遊猟なんどに出づる由、朝庭に連なるを忌み嫌ふ所存心得ず。急ぎ参内すべしと触れ遣はし候へば、有無の返答これあるべし」と〈地〉申しも終らず参内と披露して、黒主が父、散位大伴山主、八十はいつの春なれや、つゞら折なる山坂を歩むがごとく大内山、嫁の水無瀬が肩に駕し、禁裏に杖つく歳の数、我さへ知らぬ翁さび、姿ばかりは人丸も〈中フシ〉恥じぬばかりに見えにけり。
老眼をすりこすり、「玉座近し、恐れあり」とよろぼひながら白髪の冠を下げ、「〈詞〉臣黒主、図らざる長病によって、参内怠り候こと、公の御不審を蒙り、恐れ入り候へども、君の召しには斎戒沐浴も仕るべきに、病の床に穢れし身、禁中へ参るはなほなほ恐れと存じ、ほかの他出はいたせども、参内を憚る黒主、〈地〉閑居の身ながら九十に近き親山主、名代として参りしは君命を謹む証拠、〈詞〉君の招きに駕を待たずとは申せども、老人の儀、これなる女を殿上へ召し具せしは、輦御免、憚りあり」と〈フシ〉恐れみ謹み申しけり。
春日前司進み出で、「〈詞〉黒主は我らが聟にて候へば、よっく存じ罷りあり。日頃より一徹者、所労と申すは兼ねて関白基経公と快からざる故の〈地〉虚病に違ひ申すまじ」としたり顔に相述ぶる。「〈詞〉アヽ粗忽なり緒継。愚息黒主づれ執柄に遺恨などゝは申すも恐れ。証跡もなきに虚病とは、なにをもって申さるゝ」と、〈地〉歯のなき口の詞漏れ、息巻きしたる老人の、舅と親の諍ひを、よそに見なせど気の毒さ、「父上も夫のこと、取りなしはし給はで、曲もないさかしらごと」と言はせも立てず、「〈詞〉ヤァ我が聟のこと故、なほ明白に言上するが忠臣の魂」と、〈地〉臂を張って争ふ折から、伊勢の祭主大中臣長久、御階の下に訴へしは、「〈詞〉申すに及ばぬ御ことながら、天照大神の御神体、その昔は禁中に安置あり、中頃五十鈴川のほとりに移させ給ふと雖も、天子同一体との御ことにて、内宮の真の御柱は、時の帝の御尺を取って神木の尺とし、神谷川に祓して宮に納め奉ること、往古よりの先例たり。然るに今上御即位あって、未だ遷宮なきによって、御柱今に改めず候へば、このたび御沙汰あって然るべし」との趣なり。〈地〉君宣旨ありけるは、「〈詞〉祭主が申す条理なり。然れども朕姫宮なきによって未だ斎宮を立てず。神谷川の祓には斎宮なくては叶ふまじ。伝へ聞く出羽郡司良実が娘小野小町は、父身まかりてのち、女ながらも家を治め、守り固き者となん。〈地〉彼を斎宮代として祓の役を勤めさせば、神も受けさせましまさん。警衛の役は春日前司、深草少将たるべし。早とくとく」と綸言の〈フシ〉召しに応じて立ち出づる、
芙蓉も及ばず美人の顔、三十二相の面影は、三十一文字の詞にも、おのが姿をおのが手に読み尽くされぬ小町姫、心をかけぬ人もなき、中にも思ひ深草少将在平、五位の雑袍狩衣も、礼儀そゞろの恋衣、心ときめきかしこまる。基経公きっと見やり、「〈詞〉小町を守り固き女とは我が君の御誤り。およそ歌はおのが心の思ひを述ぶる。彼が名句と世にいふ歌、『あるはなくなきは数そふ世の中に、あはれいづれの日まで嘆かん』とは、彼に心をかくる男数多あるその中に、夫にせんと願ふ者一人ありとの恋歌なること明らかなり。〈地〉かゝる穢れ不浄の女、斎宮代思ひもよらず。罷り立て、退け」と席を打ってのたまへば、小町はっと顔赤らめ、「〈詞〉コハ思ひよらぬ御疑ひ。父も母もなき自ら、小野の家を治むれば、良実が代りと思ひ、身を大切に守る故、〈地〉ついにこれまで男には歌詠みかはせしこともなし。斎宮代を勤むるは女の冥加、家の規模、ひとへに願ひ参らする」と操涼しき目の中に、〈フシ〉露を散らして奏聞す。
少将心を思ひやり、基経に打ち向ひ、「〈詞〉関白の御批判、愚案の憚り多けれども、恋歌を証拠に恋する女とは、あながちなる御評定。その時々の題によって、老いたるが若きを詠み、若きが老いの心を詠むも歌の習ひ。御判断のごとくならば、昔より名僧知識に恋歌を詠みしも数多あり。これを証拠に破戒の僧と申さんや。御賢慮のほどおぼつかなし」と〈地〉ものやはらかにやり込められ、「〈詞〉ヤァこしゃくな、歌道の奥義汝らが知るべきか。早立ち去れ」と決めつくる。〈地〉二人の争ひ逐一に聞こし召し、「〈詞〉神明の咎めを恐るゝ基経の難いはれあり。さりながら、小町が身に不浄あらば神受けさせ給ふまじ、たちまち彼が身に御罰を受けん。朕が詞は天下の鑑、一度出でゝ返るべからず。斎宮代相勤めよ。〈地〉少将はかくばかり、和歌の心得深しとは知らざりし。〈詞〉今日より四位に叙し、昇殿を許し与ふべし。また山主が参内、年経ぬる身は老いやしぬると、黒主が詠みつるも親を思ひし孝心に、彼がまことは顕れたり。〈地〉列座を許す、まかん出よ」と老者を安んず聖代の、桐の葉分けの秋の空、月のゑくぼの透き通る、小町に心在平の、情になびく篠原や、小野とはいはで野の宮の、思ひを隔つ小柴垣、御手洗川の末かけて、〈三重〉禊ぞ恋の「始めなる。
御裳濯し、竹の都を今こゝに、白ゆふかけし神谷川、斎王の御座を設け、官女の中より選まれし、小野小町が身の誉れ、斎の宮のかはりとして、慣れぬ役目も唐衣の、〈フシ〉いとゞはへある粧ひなり。
かたへの席は奉幣使深草少将、相役春日前司緒継、不浄を禁ずる大祓、伊勢の祭主大中臣長久、御幣捧げて控へたり。奉幣使立ち上がり、八重の榊に結ひつけし、奏状をさも恭しく、小町の前、亀居に伏してさし置く作法、受け取る行儀も面映ゆく、互に目元を川島の、深き恋路の下行く水。長久は一心不乱、水面に向かって神秘の祓、〈祓ヲン〉天津祝詞太祝詞、恐れみ恐れみ申して白すと、奏状をうたひ上げ、〈フシ〉禊も終れば、大中臣「古例に任せそれがしが旅館にて、神酒の拝酌然るべし」と、案内に随ひ小町を始め〈中ヲクリ〉皆々「打ち連れ立って入る。
御輿岡の松原より、幾十の代々を武家方に、年もひね木の荒くれ前髪、川辺をさしてうそうそ顔、「〈詞〉これはしたり、神事はもふ済んだそふな。これが本のあとの祭り」と、〈地〉つぶやく向ふへ、これもはへぬき御所方に、角額の大髻、両方はたと行き当たり、「〈詞〉これは粗相まっぴらまっぴら。それがしが主人、御神事に役目を受けしその御迎ひ、心がせくから思はぬ無礼」「ムヽさては貴殿は、春日前司様の御家来か」「いかにも前司家来、荒巻耳四郎と申す者」「我ら大筆熊四郎と申して、主人少将の御供先、すなはち神事も今相済んで、前司様も祭主方に御休息」「ムヽさては身が主人前司様も祭主方に。さやうならばあれへ〈地〉後刻々々」と耳四郎、〈フシ〉別れてこそは急ぎ行く。
引っ違へて走り来る妼、「コレコレ少将様の御家来衆、〈詞〉小町様から少将様へのこの御文、こなさん頼む。〈地〉どふぞ良いお返事」「在平様参る、焦がるゝ身より。〈詞〉こりゃなにごと。ハテめっぽうな、少将様は御役目故、この中は大精進。こんな生臭い濡れ文、〈地〉そっちへちゃっちゃと持っていにや」と突き戻せば、「〈詞〉コレなふ、顔に似合はぬ粋なお人、〈地〉コレ拝む拝む」とまた渡す。また突っ返しせり合ふところへ、いと面なげに小町姫、「長久方で打ちつけに、言ひ寄ることもありやうは、側の見る目が恥しさ。それでそなたを仮の使、鳥でさへも文玉章の使をする、つれない人や」と御かこち。「〈詞〉ハヽァこれは珍しい。鳥が飛脚するならば、その鳥頼んでやらしゃませ。〈地〉ソレ戻した」と懐から文ほいと、ちりも灰もつかふど前髪。妼衆も気の毒顔、小町もせん方涙とともに文取り上げ、「〈詞〉ヤァ小野の篠原忍ぶ君へ。ヤァこの文は」「ホヽその文は少将様からおまへへほの字。先を越された拍子抜け、出し端がなさの不調法」と、〈地〉聞くと読むとに小町姫、そゞろ浮き立つ妼はした、「ヱヽ小づらの憎い前髪殿、〈詞〉真顔になってよふこちらに汗かゝしやったのふ」「ヲヽこなた衆の汗よりも、追っつけ旦那と小町様、〈地〉したが川端の色ごとなりゃ、水損が気遣ひな」と見やる向ふへ、「アレ少将様がもふこゝへ、お姫様お嬉しからふ。今のをお忘れあそばすな」と、さゝやく妼、うなづく小町、「〈詞〉ほんに旦那め、こりゃうまい。〈地〉願ふてもない上首尾」と、〈フシ〉木陰へ忍ぶ折も良し、
恋風の絶えずも当たれ深草の、少将はそらさぬ顔、「この寒いのになにをして、風を引いたら良いものか。俺もどふやら恋風で」と、じっと寄り添ふしこなしぶり。「アイその神風でこの恋風、吹き散らされて」とぴんとして、すねるも恋の習ひかや。色には分の知恵深草、わざと投げ首むっと顔、「〈詞〉ハテなんとせう。少将ともいはるゝ者が、アヽまゝよ、〈地〉死んでのけふ」とひぞりの刀、「コレなふ待って」と止むる声に女中たち、「〈詞〉出来たできた。これはさっきのお文の仕返し、小町様のわざぢゃない。〈地〉こらへまして」に小町もともに「今の様に言ふたのがお腹が立つなら誤った。堪忍して給はれ」と縋り給へば引き寄せて、「〈詞〉堪忍せいで良いものか。死ぬると言ふたもこっちのうそ、そなたもこらへてこれこふ」と〈地〉しめかはしたる初恋路、御手洗川にせし禊、これもみそぎの縁結び、〈フシ〉神や受けずもなりぬらん。
妼衆も気は浮き浮き、「相惚れの少将様、夜の雨よりしっぽりと、コレ小町様、ハテそふおっしゃれ」と押しやられても恥しさ、「ヲヽしんきや」と側辺り、気をもみあぐる折こそあれ、小町の執権五大玄蕃、生まれついたる熊鷹親父、それと遠目に駆け来り、「〈詞〉ヤァヤァ少将、大切な禊の場所、不浄を正す身をもって、小町をとらへほてくろしいいたづら者、この黒い目で見ておいた。ヱヽ小町殿も小町殿、コレこなたの体はこの玄蕃が心任せ、基経公へ差し上ぐる。当世は欲が第一、深草雲雀の痩せ公家、指でもさいたら許さぬ」と、〈地〉貪欲無礼の玄蕃が雑言、こらへ兼ねて熊四郎、木陰より躍り出で、「〈詞〉ヤァヤァ主君へ向かって、延びすぎた頬げた。今一言吐き出さば、古けれど皺首すっぽり、サァなんと」と、〈地〉掴みひしがん勢ひに、ぐっと呑まれて負けぬ顔、「〈詞〉ヤァこの玄蕃は老人、素丁稚は相手にせぬ。不義の相手は深草少将、口を番ふた、待ってをれ」「〈地〉ヱヽまだ顎叩くあんごう武士。羽引き抜かん」と立ち上がるを、「〈詞〉ヤレ待て大筆、粗忽なせそ」と押し隔て、「〈地〉いざ帰らん」と深草殿、館をさして帰らるゝ。名残惜しさは夕霧に見失ふまで見送る小町、「〈詞〉ヱヽこれなにをきょろり。コリャコリャ、女郎どももにっくいやつら、姫を伴ひ早く早く」と〈地〉睨みつけられ女中たち、〈フシ〉小町を伴ひ立ち帰る。
魚にたとへし浪人の、扶持を離れし編笠の、五大三郎時澄、玄蕃が側へ近づき寄る。我が子と見れども邪見の親、見ぬふりして行き過ぐるを、「〈詞〉申し申し、親人しばらく御待ち。申し上げたき仔細あり」と手をつけば、「ムヽ言ふこととは主君へ勘当の詫びことか、叶はぬかなはぬ」「イヤその儀でなし。最前物陰より承れば、主君小町様を、基経方へ送らんとの御詞。権威におぢてか、但しは欲か」と〈地〉言はせもあへずぐっとねめ、「〈詞〉黙れ馬鹿やつ。小野小町をいかにも差し上ぐるが、うぬ素浪人の分として推参なり。立って失せふ」とちっとも揺るがぬ金てこ悪、〈地〉三郎は歯噛みをなし、「〈詞〉ヱヽ親ながらも忠義を知らぬ人非人」と、〈地〉言ふを言はせずぐっと引き寄せ、打ち据へ打ちすへ、はったと蹴飛ばし突っ立つ玄蕃、また取り付いて支ゆる三郎、「〈フシ〉放せ」「やらじ」とせり合ふたり。
折から向ふに人音は、なにか白砂踏み立て蹴立て、出で来る前司主従、「〈詞〉ヤァ奇怪なり。あくちも切れぬ頬げたから、我が君基経公を朝敵呼ばゝり、主に背く不忠者、家来でない、立って失せう」「我が子でない、勘当」と〈地〉互に劣らぬ主と親、「それは近頃お情ない」といふて返らぬ主人の怒り、忠言却って耳四郎、親に抜かれし五大力、しほれる若者、我強き老人、曲がれる道筋、直な道、忠孝曇らぬ道筋を、〈三重〉左右へこそは「別れけれ。
狩り初めし難波の春も夢なれや、今も御狩を芹川の御所作り、庭に落ち散る玉敷の〈フシ〉曇らぬ御代のためしなり。
然るに物怪の所為やらん、君この頃物狂はしく渡らせ給ひ、日毎に遊猟猪狩りの御戯れ、公卿殿上人装束脱ぎ捨て狩衣、この仮御殿に移らせ給ひ、女嬬采女御薬参る様なんど、いと騒がしく行き通ひ、「〈詞〉のふお阿茶様、神より尊い帝様、罰の当らふ様もなし、どうふしたことであの様に、御心そゞろにならせられ、様々の変ったお遊び、猪狩りもお飽きなされ、中納言を糸鬢にせいの、姫御前に相撲取らせと、冬の蛍、波の上の雪よりもきつい難題。また追っつけ仕丁を猪にして、人狩りが始まるげな。〈地〉おまへ方も用心さしゃんせ、この次は緋の袴まくって、女中の猪狩りが始まらふ」と〈フシ〉笑ひは御所の許しかや。
ほどなく入り来る太政大臣基経、月日も見下す我慢の相、家の侍堀川太郎国経、久留島軍蔵扈従して、設けの席に押し直れば、げに世につるゝ時康親王、きのふは皇子、けふは臣下の小諸眉、烏帽子うなだれ着座ある。黒主が妻水無瀬の前、衣音高く出で向ひ、「〈詞〉ハァ御苦労に存じます。気の毒なは上様の御心地、毎日かはらぬまさなごと。どふしても神仏の御身に乗り移りましますか、神の罰にて身を苦しむると、そゞろのうちに宣旨あり、〈地〉天が下しろしめすほどの御果報に、月日の触と申そふか、〈詞〉ほんにほんにもったいながらもおいとしぼふござります」と〈地〉語れば基経眉をしはめ、「〈詞〉一天の御主を、仏ばらが苦しむることがなるべきか。思ふに三種の神器の一つ、神璽の御箱は古より開き給ふことあたはざるに、当今に至って初めて叡覧ありし故、天照太神の御咎めか、〈地〉密かに様子を窺ひ見ん」といふところに、警蹕の声高々と、御簾巻き上げ出御あれば、〈フシ〉各々はっと蹲踞する。
玉座近く謹んで、「〈詞〉基経奏聞」と申せども、〈地〉御いらへもし給はず、「〈詞〉天機いかゞ候」と重ねて奏し奉れど、〈地〉たゞうっとりと空蝉の、音をだに出だし給はねば、上臈たちも顔見合せ、せん方もなく見えけるが、なにかは御目に止まりけん、逆鱗の御まなじり、ずんど立って御声高く、「〈詞〉ヤァいづくへ行くらん、止まれ来れ」と〈地〉茵を飛び降り駆け出で給へば、人々御衣に縋りつき、「召さるゝは誰やらん、まづしばらくしばらく」と押し止むれば「〈詞〉誰とはあの日輪よ。天に日あり、地に王あり、朕と膝を並ぶべきに、〈地〉上にあるこそ遺恨なれ。〈詞〉ヤァ誰かある、あの日を取って我に見せよ。〈フシ〉公卿々々」と宣旨ある。「〈詞〉基経こそ候へ、なにとて現なき勅諚を承り候ぞ」と、〈地〉御側に進み寄れば、からからと笑はせ給ひ、「〈詞〉ヤァ汝は追儺の鬼ならずや。あら面白や、鬼追の者どもいづくにある。疫鬼を払へ、とくとく」と〈地〉たちまち龍顔うるはしく、水無瀬も少し胸落ち着き、叡慮いかにと立ち寄れば、呆然と見惚れさせ給ひ、「〈詞〉ハァ美しや美しや。〈舞〉かゝる美人もあるものか、玄宗皇帝が愛せし楊貴妃、虞氏君といふとも、これにはいかでかまさるべき。三千の寵愛、君一人」と〈ハルフシ〉手を取り給へば「コハ恐れあり、もったいなし」と振り放して逃げ出づる。御手に残る裲襠を、なほ抱きしめいだきしめ、「〈詞〉朕が心に任せぬものは、加茂川の水、水無瀬が肌なりけるよ。〈謡〉さるにても我いかなれば、神の譲りを受けながら、遠つみをやの戒めを、恐れざりける咎めにて、かくしどけなき身となりて、〈地〉八百万の神々の、罰を蒙る浅ましや。〈詞〉あれに見えしは月読尊、これは素戔嗚、彦火々出見。ヤァそれなるは春日明神、汝は我が臣ならずや。〈地〉臣とても道なき君は許さじとや。あら悲しや、天照太神、〈詞〉朕が非道を怒らせ給ひ、すでに岩戸に籠らせ給へば、〈謡〉常闇の世となったるぞや。苦しや暗や」と虚空を掴み、玉体かっぱと打ち伏し給ふ〈フシ〉ためし少なき御有様、水無瀬を始め上臈たち、御いたはしくももったいなさ、一度にわっと嘆く声、〈フシ〉たゞ諒闇のごとくなり。
「〈詞〉ヤァ天子の御衣に平人の、涙をかけるは穢らはし。天機涼しくなり給ふまで、おほとのごもらせ参らせよ」と〈地〉基経の指図にて、そのまゝ内侍の輦や、水無瀬も後に随ひて、〈ヲクリ〉泣く泣く「入御なし奉る。
時康御後はるかに見送り、「〈詞〉さて聞きしにまさって一廉のどう気違ひ。一天下を治むる者、狂乱で済むべきか。〈地〉速やかに追ひ下ろし、我も仁明天皇の皇子、彼にかはって天子とならんは、親人いかに」と暴悪の本心面に顕したり。基経ほくほく打ちうなづき、「〈詞〉でかした時康。その器量を見込みし故、我が子とせしそもそもより、陽成院をぼっ下し、汝を天子、我は太上天皇となって、日本を藤原の天下とせん大望、すなはち今日成就の時康、やすやすと手に入れん。関白職にすべき者は、あれなる太郎国経」と〈地〉聞いてびっくり「〈詞〉ハヽァこはあまり冥加なき仕合せ」と〈地〉ひれ伏せば、「苦しうない、これへ参れ」と板敷に押し直らせ、「〈詞〉堀川太郎よっく聞け。汝がまことの父は太政大臣藤原良房。ヲヽ驚くはもっとも、かくばかりでは合点行くまじ。我がために弟なれども、腹卑しとて幼少より下郎になして使ひしは、大望ある基経、汝が忠義の器量を見届けんため。今日までも包み隠せし兄が心腹、もはや大望成就の時節到来、我が翼となし国家の固めとなすべきぞ。〈地〉まづは当座の除目、大納言に任ずべし」と兄の詞に国経ぞくぞく、「〈詞〉それとも知らず今日まで、下郎と思ひ暮らせしは、我が身ながらもったいなし。基経公の弟なれば、なに憚ることあらん。我は関白太政大臣」「ヲヽ気味良き魂、あっぱれあっぱれ」と、〈地〉勇み立ったる非道の三人、久留島軍蔵手を打って、「ハヽァ、〈詞〉割符を合せし御心も理。時康君は御子なり、国経公は御弟。それがしはなんでもなく、やっぱりもとの御家来、国治ってのち拙者めも、〈地〉せめて内裏雑用方、鍋取り公家になりとも任ぜられくださるべし」「〈詞〉ホヽゥけふまで傍輩、脛をもたせ合ふたかはりに、目をかけて使ふてくれん。喜べ喜べ」と〈地〉自然と備はる摂家の公達、太郎国経大納言、いまだ下郎のその謂れ、〈フシ〉この物語に知られたり。
折こそあれ入り来る五大玄蕃、こなたに控へ頭を下げ、「〈詞〉このたび主人小町勅命によって、神谷川の禊相勤めしに、その場において四位少将と、不義のわざくれありしとの風説、小町ことは兼ねて、基経公へ差し上げ申す我が心底。それに引きかへ存じ寄らざる噂承っての難渋、ほかより御耳に達しては小野の家の滅亡、玄蕃が君への申し訳、痛い腹よりほかなし」と〈地〉恐れ入って言上す。「〈詞〉ハヽヽヽヽ、天子の上行く基経、一人の女に目をかけふか。小町が不義は我もとくより知ったれば、先だって少将を召し寄せ、次の間に待たせ置く。呼び出して詮議せんずその間、玄蕃はしばらく侍部屋に控へゐよ。それは小事、朝庭に心憎きは、在原業平、大伴黒主、この両人を呼びつけ、心底を探って、味方につくか、首討つか直々の糾明。軍蔵参って引っ立て来れ。時康は奥へ入って、黒主が女房水無瀬をこれへ呼び出せ。馬鹿天皇を取り逃すな。軍蔵急げ、少将これへ来れと言へ」と、〈地〉なにもかもいっときに、くしゃつく茨の針研ぎ立、真ん中に大仏なり、呼ばゝる身には鬼の間や、〈フシ〉玄蕃が呼びつぐ次よりも、
身の禍は蕭墻に、ありとはいかで底深き、淵とも知らぬ水無瀬もともに、何心なく座に直る。「〈詞〉ホヽ水無瀬を呼び出す仔細ほかならず。小野小町にはこの基経、兼ねて心をかけたれども、あれなる少将と密通して、我が心に任せず。彼が中を思ひ切らせて、小町を我に従はす様に言ひ含めるは、やはらかな女の役目、〈地〉その方に申しつくる」とよこしま非道も常の気を、呑み込む水無瀬が騒がぬ顔。はっと仰天四位少将、「コハ思ひよらぬ御疑ひ。〈詞〉小町とそれがし不義せしとは、神もって覚えなし」「ハテしらじらしい、偽るに及ばず。不義の科は差し許し、汝にも申しつくることあり。黒主が女房、この水無瀬には、当今陽成院、深く御心を移し給ふ。然れども夫ある女、よも一応では得心すまい。色事鍛錬の少将、〈地〉くどきあふせて帝の御心に従はせよ」と言ふに轟く水無瀬が胸、「〈詞〉コレ申し、帝かりそめの御戯れ、まことゝ思し召さるゝは、憚りながら」「イヤ粗忽でない。うそにもせよまことにもせよ、君の詞のかゝりし女、差し上げいでは政道立たず」「ヲヽそふぢゃ、有無の返答サァ聞かふ」「ヤァ推参な太郎国経、下郎に聞かす詞はない」「イヤ下郎とは案外。今日只今基経の舎弟大納言国経。少将、小町を思ひ切るか」「サァそれは」「天皇に従ふか」「イヤイヤそふは」「従はねば夫が身の上」「サァサァなんと」と〈地〉双方より、詰めかけらるゝ難題に、今さらなんと返答も、〈スヱ〉あぐみ果てたる折節に、
「摂津守大伴黒主、召しによって参上」と、和歌には鬼もとりひしぐ、弓馬の達人、つるばみの袍、太刀平緒、衣冠正しくつと参る。「〈詞〉ヤァ珍しゝ黒主。いつぞやより病気と号して、参内せぬ心底いぶかし。それは追って次の間にて聞きつらん。一天の君の叡慮に叶ひし女房、ありがたしと思ひ差し上ぐる所存か、〈フシ〉いかにいかに」と尋ぬれば、ちっとも騒がずにっこと笑ひ、「〈詞〉五臓六腑を君に捧げし大伴黒主、女房はおろか、親が首を召さるゝとも、勅諚とあれば勇み進んで奉れども、この勅諚は勅諚でない。この頃君の御心地、一向これは狂乱のたはごと」「イヤサ狂乱でも綸言は汗のごとし。背くは違勅の大罪人」「イヤイヤイヤさにあらず。乱心かつき者か、定かならざる綸言、もし狐狸の所為ならば、これも勅諚といふべきか。たとへさなくとも、御心乱れし上、もし基経公に腹切れと仰せあらば、これも綸言なりとて切腹ある御心か。無理やりに勅諚ごかし、陽成院に悪名つくる基経公の心の底いぶかしいぶかし」とあざ笑へば、「〈地〉ヤァ無益の長ごと、二つ一つの返答聞かん」と〈フシ〉のゝしり争ふ折こそあれ、
「在五中将業平、只今これへ」と告ぐる声、「〈詞〉待ちかねつ。幸ひ少将が不義の詮議、好色に名を得し業平に言ひつけん。〈地〉それ召し出せ」の詞のうち、立ち出づる業平朝臣、四十余りに老いくれても、昔男の束帯姿、威あって猛きその粧ひ、しづしづと座につき、「〈詞〉委細あれにて承る。黒主は違勅の科人、追伏の役目業平に仰せつけらるべし。深草少将が好色の詮議とは、似合はざる役目、〈地〉この儀は御容赦くださるべし」「〈詞〉ヤァ言ふまいいふまい。深草の家を継ぐといへども、まことは汝が実子たること明白、さればこそ在原の在の字と、業平の平の字を合せて、在平と名乗るが証拠。我が子故容赦するか」「コハ基経公とも覚えず。御諚までもなく少将は、この業平が倅なれども、幼少より深草の家人、養子に遣はしおいたれば赤の他人。容赦の心微塵もなし。不義者とあるからは、委しく詮議までもなし、〈地〉獄屋へ下し刑罰に行はれよ」と見向きもやらぬ大丈夫。国経ゑせ笑ひ、「〈詞〉立派に言ふ下心、やっぱり容赦してくれいか。いっかないっかな、不義の少将、違勅の水無瀬、使の庁へ渡し面縛さする。サァうせふ」と、〈地〉引っ立てらるゝ少将は、身の誤りに父の前、重き頭を国経が、〈フシ〉引っ立て奥へ急ぎ行く。
黒主居丈高になり、「〈詞〉ヤァ業平、その方が曲がりし心の剣戟をもって、濯ぎ上げたる黒主が体、見事追伏してみるか」「言ふにや及ぶ。業平が追伏は、黒主が体に構はず、魂を誅戮する。コレよっくことを弁へよ。当時基経公は、天子の補佐、国の柱。この詞を重んじ従へばこそ国家安穏、基経公の心に背けば、陽成院の御命危ふしとは心つかざるや」「ヤァ忠臣顔取り置け取りおけ。似つこらしう言ひ回しても一つ穴の狐。勅勘を受けば受けよ、非礼は受けざる黒主、御憎しみあるならば、検非違使に仰せて、心任せに行はれよ」と、どふと座を組み詞なし。大口開いて基経、「〈詞〉ハァ物好きなうつけ者。あっぱれ業平、心底を見届けたれば、奥御殿にて密かに語る仔細あり。違勅の科逃れぬ黒主、衣冠を剥いでぼっ払へ、〈地〉者どもやっ」と呼ばゝれば、「アヽしばらくしばらく。〈詞〉科極まりし上は、業平よろしく計らはん。ヱヽさて黒主、心からとは言ひながら、〈地〉一生このまゝ埋もれ木の、薪を山に負ふとても、心の花の陰を待て」と、心余りて言ひ足らぬ、てにはを後に言ひ残し、基経に随ひて、〈中ヲクリ〉簾中「深く入りにけり。
黒主突っ立ち、「〈詞〉どいつもこいつも皆人畜。〈地〉情なや大内は、虎狼の住処とはなりしよな。暫時の間も穢らはし、無道の官位今返す」と、冠装束かなぐり捨て、「一天を冠とし、大地を沓に履く黒主、内裏の名残もこれまで」と、立ち出でんとするところへ、「なふわらはもともに」と、駆け出る水無瀬。「〈詞〉ヤァうろたへ者。日頃言ひしはかやうの時、帝の御心あるこそ幸ひ。お側を離れずまさかの時は、合点か」「ヲヽなるほど誤ったり。〈地〉気遣ひあるな」と呑み込む発明。様子立ち聞く五大玄蕃、「〈詞〉ヤァ油断ならぬ黒主が性根、生けおいては後日の仇、〈地〉逃れぬ覚悟」と斬りつくる、太刀踏み落としどふど踏みつけ、「〈詞〉小野良実が大恩を忘れ、家を滅ぼす極悪人。〈地〉天下の見せしめ思ひ知れ」と、知らせの鈴の真紅の綱、喉にから巻きぐっと一絞めこの世の暇、夫婦の暇、さらばと一声雲霞、〈ハヅミフシ〉行き方知らずなりにけり。
折から奥より逃げ出づる、少将を逃さじと、追っかけ出づる久留島軍蔵、「〈詞〉逃げふとは野太いやつ」と、はったと蹴倒し足下に踏まへ、支ふる水無瀬が小がひな捻ぢ、「少将を落とさんと世話焼くおのれも拷問」と、〈地〉膝に固むる強気の軍蔵、早業早縄下緒のさばきくるくるくる、くるくる狂ふて狂気の帝、思ひがけなく軍蔵が、首宙に打ち落とし、きょろりくゎんたる御気色。嬉しき中に帝の狂気、心に不審立っつゐつ、またもや人目と勧むる水無瀬、うなづくさらば萩の露、〈フシ〉落ち行く末ぞ定めなき。
太郎国経、大納言の衣冠仰々しく、すり立ての奴鬢に、厚額の冠照らしのさばり出で、「〈詞〉ヤァ下郎ども、そこ立ち去れ。〈地〉天子の出御、すさりをらふ」と決めつくれば、「〈詞〉新大納言様の御粗相なことばかり。帝様はこれに御渡り」「ヤァどう気違ひはこゝにをるか。〈地〉玉座近し、すされやっ」と詞のうち、御簾さっと巻き上ぐれば、玉座には時康親王、布衣の上に金巾子の冠、中将業平近侍して、あたりも輝く基経が、国父の形相すさまじく、殿中響く大音上げ、「〈詞〉今日より五十八代時康天子、この基経は太上天皇。謹んで拝せよ。そやつは黒主が女房に、密夫した大罪人、天子とは穢らはし」と〈地〉白洲へはったと突き落とし、睨んで立ったる鳥居立ち。春日前司緒継、一さんに駆け来り、玉座を拝し謹んで、「〈詞〉天下は御手に入ったれども、後の病を除かんため、定省の宮を奪ひ取り、もはや大内裏は味方を招き、四門を打ち囲み候」と〈地〉聞くより基経悦喜の顔色、「〈詞〉でかしたでかした。ソレ国経、密夫の陽成院、女めともに引っ立て、黒戸の御所に押し込めよ。〈地〉業平と春日前司は、この御所に残り、女ばらを擒にせよ。〈詞〉いざ還幸せん、いそふれやっ」と〈地〉下知に従ふ供奉の綺羅、御先を払ふ雲居の空、雲を〈フシ〉起こして立ち帰る。
少将の身の上聞くにたまらず、山道縦横十文字、大筆熊四郎御所へ踏み込み大童、支ふる家来を人礫、黒戸侍踏み散らし、仁王立ちに突っ立ったり。「〈詞〉ヤァ身の程知らぬ若者、ソレ追っ散らせ」と業平・前司、〈地〉しづしづ御殿に入るところ、「〈詞〉ヤァヤァ前司のやけ親父、〈地〉逃しはやらじ」と駆け込むところへ、続いて荒巻耳四郎、後ろ抱きに組みついたり。「〈詞〉シヤ面倒な」と振り放し、「ヤァちょこざいな耳四郎、なぜ妨げる、そこ開け」「〈地〉ヲヽこの荒巻は勘気の身なれど、主君の守護。前司殿には指も差させぬ。〈詞〉そのかはりに業平が朝敵首、いで引き抜かん」と駆け出す鐺しっかと取り、「業平卿は主人の父君、慮外ひろぐとコリャこの熊四郎が許さぬ」と、〈地〉争ふ真ん中八釣伴内、「ソレ逃すな」とばらばらばら。「ヱヽ面倒」と当たるを幸ひ、須弥の増長・多聞天の、前髪立ちもかくやとばかり、〈三重〉四方八面「追ひまくる。
追ひまくられて八釣伴内、うろうろ眼に逃げ回る。「どっちへうせる」と素っ首掴み、引き裂きかける熊四郎、「どっこいそいつはおのれにやらぬ。この耳四郎」とひったくる、「そふはならぬ」と引き戻す、若衆二人に引っ張られ、拝むも馬の耳四郎、首と胴との半分わけ。またばらばらと取り巻く家来、片端張り退け投げ散らし、「さるにても業平を、生けて返すは残念々々」「〈詞〉緒継が皺首五体につけて、いなすが無念、なんとせふ」と、〈地ハルコハリ〉互にねめつけ隔て合ひ、〈ナヲス〉主君を守り忠義を守り、諫めて離るゝ主家来、主人を尋ねに別るゝ家来、道は直ぐなる芹川の、深き底意ぞ道広き。
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