「昔男春日野小町」翻刻 五段目
〈地〉僻める時は汝の戮となる、悪逆まさに超過せし、藤原基経、陽成院を滅さんと、車崎に出張を構へ、在原業平・春日前司両臣を、己が左右の翼とし、四方に龍の旗を靡かし、〈フシ〉威儀堂々たる有様なり。
基経業平に打ち向ひ、「〈詞〉大伴黒主、陽成院が倅のちっぺいめを大将と守り立て、津の国玉造の辺に屯し、朕を滅ぼさんなんどゝ謀る由、蟻の髭にて泰山を崩さんとするの譬へ。さりながら朕が側近く、馬の蹄を入れさせんもむやくし。この車崎に出張を構へしも、軍評定なさんため。〈地〉謀もあらば言へ聞かん、両人いかに」とありければ、春日前司詞を正し、「〈詞〉もっとも戦は時の運とは申せども、不意を討つに過ぐべからず。未だ備へも夏の夜の、眠りの夢の覚めぬうち、人馬に枚を含ませて、無二無三に駆け入れば、〈地〉味方の勝利疑ひなし。この儀いかに」と伺へば、業平卿進み出で、「〈詞〉前司の詞もっともとはいひながら、善の善なるものにはあらず。戦はずして敵を崩すは、兵糧馬草の道を断ち、変を窺ひ切って入らん。味方は兵糧塩噌の用意、丈夫に構へし業平が、〈地〉早先立ってこの辺へ申し渡せし御物成、かはりに納める兵糧馬草、早くはやく」の詞に廻る牛車、罪も報いも下々の、身はきさんじの頬被り、遠慮並木に二輌の車、〈フシ〉繋いでこそは控へゐる。
基経莞爾と打ちうなづき、「〈詞〉ヲヽ今に始めぬ業平の了簡もっとも尤も。さりながら、先立って光孝天皇に国経を相添へ、淀の辺りに隠し置き、黒主都へ討って登らば、思ひ崖なき半途に待ち受け、一人も残さず討ち取る手筈。〈地〉見よみよ追っ付け勝ち戦の注進あらん」と、詞も未だ終はらぬところへ、息を切って遠見の役、御前に向ひ手をつかへ、「〈詞〉さても味方の御勢は、淀橋本に身を隠し、寄せ手を待つ間も荒巻を真っ先立てゝ大伴黒主、〈地〉軍勢を引率し、人馬の足も鳥羽畷、叡慮はこゝぞと国経卿、合図の太鼓乱調に打ち立て打ちたて、不意に起こって斬りまくれば、思ひがけなき寄せ手ども、あるいは討たれ、あるいはまた、淀の川瀬に埋もれ木の、華々しき味方の勝利、御知らせの言上」と、聞くより基経大きに勇み、「ヲヽ気味良し、心地良し」と喜ぶ声ともろともに、勝鬨の音〈フシ〉かまびすく、
光孝天皇真っ先に、立ち帰る大納言、「大伴黒主・深草少将を生け捕り帰り候」と、縄付き御前に引き据ゆれば、業平・前司詞を揃へ、「〈詞〉いしくも候、国経卿。〈地〉いで両人が首を刎ねん」と、突っ立つ二人を基経止めて、「〈詞〉ヤァ首討たんとは並々の科人。罪科も所の名に寄せて、幸ひの車裂き。それを肴に一献酌まん」と〈地〉いふに人々打ちうなづき、「古今に稀なる大悪人、仕置きにことを欠いたるに、車裂きとは火に入る虫。それそれ用意」といふより早く、大筆・荒巻現れ出で、「〈詞〉ヤァ基経のうっそりめ。日頃の剛悪滅する只今、〈地〉もはや逃れぬ、覚悟せよ」と仁王立ちに突っ立てば、「コハ何故」といふ間もあらせず、黒主・少将縄切りほどき、「何故とは愚かおろか。〈詞〉汝をこれへ釣り出さんと、業平・前司に心を合せ、このところへ向ふたり。尋常に腕回せ」と〈地〉声々に呼ばゝれば、基経怒りの歯噛みをなし、「ヤァ謀られしか、無念々々。国経参れ」の声の下、「我も朝家の臣なり」と、いふより早く飛びかゝるを、「ヤァ奇怪なり」と大手を広げ、当たるを幸ひ投げつくれど、黒主・荒巻・大筆が、勇気に叶はぬいましめの、「かゝる罪科舟にも積まれず、車裂き」と、左右の股を車の両輪、括り付けたる牛の綱、焚き捨てたる篝火に、蒸し立てられて二匹の牛、駆け出す拍子引く拍子に、体は二つに車裂き、恐ろしくもまた心地良し。「ヲヽめでたしめでたし、今日よりは定省の宮を位につけ、宇多天皇と尊号し、我は姿も剃髪染衣、悪人ながらも父子の約束、基経が跡弔はん」と、もったいなくも御髻、切って治まる君が代の、恵みに育つ天が下、五穀豊饒民安全、動かぬ御代ぞ久しき。
宝暦七年丁丑 十二月十五日
作者
千前軒門人 竹田小出雲
北窓後一
竹 土丸
近松半二
(以下奥書省略)
(了)