「安倍晴明倭言葉」翻刻 二段目
〈地〉石に名の残るは同じ残るにて、死して天下の礎たる、御廟の守り多田の院、満仲公三回忌に当たればとて、方丈には和尚の勤め、堂の庭には供養の施餓鬼、両足の弟子常楽・安地、衣に汗の玉襷、無縁の亡者も極楽へ、導く法の声高々、「〈詞ヨミクセ〉如是我聞一時薄伽梵成就殊勝」〈地〉一切如来の口真似は、〈フシ〉いとも尊く見えにけり。
聖衆来迎の声ならで、この世を渡る現銀商ひ、「〈詞〉上燗々々。こんにゃくの田楽、熱燗で一杯引っかけてござりませ」と、〈地〉口も軽々荷ひ売り。かくと見るより両僧一度に経読みさし辺りを見回し、小声になり「〈詞〉上燗屋、待ち兼ねた。今朝からいまいましい、経や念仏で引き入る様になったところ、〈地〉さらば一杯」めいめい茶碗、施餓鬼の坊主が餓鬼に水、「〈詞〉ヲットこぼれる」「アイアイアイ、お肴は豆腐なりと、こんにゃくなりと」「ヘッ何ぢゃ、精進物か。ヱヽ寺へくるからは知れたこっちゃ、鼈汁か鯲汁なぜ持ってこぬ」「ヱイあのおまへ方は、生臭物を上りますか」「ますかとは無粋な。精進酒が呑まるゝものかい、コレ後生ぢゃ、どふぞ肉を食はしておくれ」「ハァア、与五作もそふあらふと思ふて、持って参った鰻の蒲焼、お目通りで只今焼きます」「できた、それでこそ酒が身に付く。こふしたところはこの世からの生き仏、ハァ南無三、どいつやらうせをる」と、〈地〉また経広げ、「〈詞ヨミクセ〉観世音菩薩、爾時無尽意菩薩」〈フシ〉即座にかはる顔形。
左馬之助頼信は、兄頼光の勘当受け、心から着る深編笠、しるべを尋ね多田の院、木の本に立ち止まり、「〈詞〉申し御出家、今日の御法事は、満仲公の御追善でござりますか」と〈地〉尋ぬれど、こなたはむっと「知りませぬ、〈詞ヨミクセ〉観世音菩薩無量百千万億衆生、ソレソレ鰻が焼きすぎる、一心称名なまぐさものぢゃ腐らすな、そこなうんたら大事のところへあたけたい観世音菩薩」〈地〉相手にならねば是非もなく、〈フシ〉庫裏の方へぞ入り給ふ。
「〈詞〉ヱヽ良いことには悪魔がさす。安地も俺も喉がぎくぎく、サヽちゃっと成仏さしてくれ。さってもうまし、この鰻で冷や飯一杯」「イヽヱ」「飯はないか、〈地〉なくばこゝに」と施餓鬼の飯、南無幽霊鰻と一蓮託生に、かき込み引き受け呑み食らふ。「〈詞〉テモよふ上がる。鰻の精のはけどころが」「あるともあるとも。慮外ながらこの安地、神崎の一客。坊主臭いといはれぬ様に、買っておいたこの鬢かづら、きゃつをトウかけて出かけると、良い男であらふがな」「イヤそりゃ悪いお物好き。当世子供狂言がはやって、坊主でなければ色が利かぬ。まだこゝに取っておきの肴、けさ茨木から出でゝきた蛸が一杯」「ヲット切るに及ばぬ」坊主の肴は蛸の共食い、〈地〉これぞ師匠の脛かぶり。後ろに住僧凡長和尚、「常楽・安地」と呼び給へば、「南無三観世音菩薩」〈フシ〉経もしどろにうろたゆる。
和尚怒りの声ふるひ、「〈詞〉ヱヽ性根を見違へた畜生めら、殺生戒・飲酒戒を破って、清浄潔斎のこの霊場を、よくも汚せし悪僧ども、〈地〉見るもなかなか腹立ちや。仏祖釈尊の御罰思ひ知れ」と、老人ながらつきつめし、杖振り上げてりうりうりう。逃げても逃さず老いの足、「もふ御堪忍」と上燗屋、止めても聞かずせんかたなく、大天目にちろりの酒、ごすごす一杯注ぎ入れて、「〈詞〉申し申し、重々御もっともなれど、その様にお腹立てられては、お癪が上る。〈地〉マァ白湯一つ上がりませ」と、無理に突きつけ天目ぐち、ぐっと呑ませばむせ返る、下戸の悲しさ五臓にしみ、和尚俄にひょろひょろひょろ。「〈詞〉アヽどふやらふらつく、ふらつく」と〈地〉どうどこければ二人もびっくり、抱き抱ゆれば〈中コハリ〉顔真っ赤い、痩せた鳴神見るごとく、次第々々に目がすはり、舌も回らぬ高笑ひ、「〈詞〉ハヽヽヽヽ、どふもいへぬ。常楽坊、安地坊、何の短い浮世、酒も呑んだが良し、大黒も置いたが良いは。ドレその鰻一切れもらはふ。ハテ坊主になるもたくさんに、肴食ふたり女房持ったりしたさのこと、そぢゃないか。とかく浮世は色と酒、とつちりてん」「〈地〉これは奇妙」と手を打つ二人。「〈詞〉イヤそのはづ、そのはづ。あの酒はおまへ方に呑ましたのとは違ふて、神変奇特酒といふて、一滴でも呑むやいな、たちまち脛腰の立たぬ大毒酒。さる人から伝授を受け、銭払はずに暴れるやつには、これを呑まして括り上げ、醒めると命に別条ない。商ひの邪魔する和尚、もふそふしたら死人も同然。おまへ方にはこちらの酒、構はずと上がりませ」「〈地〉こりゃきゃうとい」とまた天目、脛は中風の凡長和尚、酒にたはいの安地坊、常楽手酌でぐっぐっと、あとは鼾に〈ウフシ〉なるところへ、
寺の男がいっきせき、「〈詞〉たった今歴々の奥様が、和尚様の授戒を受けにお出でなされ、門前に待ってござります。ヤァこりゃ和尚様は何となされた。ムヽ酒臭い、こりゃどふもならぬ。名代に安地殿、ムヽこの人も酒臭い。またこの様にくらはずば、ぢゃといふていなされはせず、〈地〉こりゃどふせう」を立ち聞く頼信、「〈詞〉その思案貸してやらふ」「ヤァこなたは誰ぢゃ」「誰ぢゃあらふと仕上げを見い」と、〈地〉和尚の衣引っ剥いで、身に引っ掛けた世話焼き顔、「花の帽子で頭は隠れる。住持になって逢ふてやる」「〈詞〉ハァア忝い。したが和尚様は年寄り、その顔では」〈地〉といはれて心机の端、大文字筆の毛をむしり、眉毛にちょっと長老眉、「これは上作」上燗屋、「奈良漬どもを片付けふ。男衆ござれ」と三人を〈ヲクリ〉引っ立て「庫裏へ入る後へ、
いと品やかなる足取りに、音するものは絹の香や、被きの風のぼっとりさ、もとより色に素早き頼信、きゃつ一切れとは思へども、和尚の役目に屈める腰、杖にすがって「ヱイヱイヱイ。〈詞〉さてさてさて、若い女中の奇特千万な。戒を授からふとは尼になる心ぢゃの。ヲヽ安いこと、安いこと。その代りにはそっちからも、戒を授けてもらはにゃならぬ。そのもとも見たところが、上戒と見える。ほっそりすうはり柳腰、愚僧が本尊大黒天にいたしたい。しかし尼の大黒、この間祟ります。まづ十念を授けませふ。サァサァ近ふ寄らっしゃれ。なむあみなむあみ、なむあみなむあみ南無阿弥陀」〈地〉ふっつりつめる太腿を、「〈詞〉ヲヽコレ何あそばす」「イヤこれが印文を渡すのぢゃ。なむあみなむあみ、なむあみなむあみ、〈地〉もふたまらぬ」と抱きつけば、逃げゆく拍子に吹き散る被き、「〈詞〉ヤァ兄嫁御、夕なぎ御寮。〈地〉面目なや」と飛び退けば、「〈詞〉頼信様か。いつの間に坊さんにおなりなされた」と、〈フシ〉互に呆るヽばかりなり。
「〈詞〉かやうの対面いたすのも、色故こんな左馬之助。三の君に不義した科とて、兄頼光の勘当。只今の通りちっと悪い手癖はあれども、三の君の御戯れは、恋でない御頼みの筋。そのこと御存じありながら、勘気は深き御所存ありや、〈地〉とにかくよろしう御詫びを、夕なぎ殿の御取りなし」と、頭をすりつけ頼むにぞ、「〈詞〉アヽ申し、わらはにお頼みなされうより、夫頼光直筆の、この一通に御対面あそばせ」と、〈地〉差し出せば取る手も早く、「さては頼光の赦免状。ハヽァ忝しかたじけなし」と、戴きいたゞき披き見て、「〈詞〉ヤァこりゃ去り状。頼光の手跡で去り状とは、すりゃ夕なぎ殿、こな様は」「恥しや、去られましてござんす」と、〈スヱ〉かっぱと臥して泣きゐしが、
「〈詞〉常々から、女に心を明かされぬ我が夫、どうした訳とも言ひ聞かさず、切って放したこの去り状、仔細なふては叶はずと、〈地〉案じてみるほど女の知恵、力に思ふはおまへ一人。思案なされて下さんせ」と、頼まるゝ身も頼む身も、梢定めぬ濡れ烏。「〈詞〉ハテ心得ぬ。日頃不和な兼盛が娘を、頼光が妻に申し受けたと約束して、女房を去り弟を勘当、但しは堅い顔してゐても、兄貴もちっとは思案の外か。サァ何にもせよ姿をやつし、ひとまづ帰って様子を見よ。頼信もよそながら心底を窺はん。まづ一安堵は三の君の御行方が大方知れた。最前茨木の酒売りが持ってきた、神変奇特の毒の酒、晴明が家の秘方、ゆかりの者に極まった。晴明のありかさへ知れたら、三の君も御一緒にましますは必定」と、〈地〉いふ声聞くより安地坊、「良いこと聞いた、科人の頼信、お尋ねの晴明がありか注進する」と駆け出だす、出合ひ頭は上燗屋、荷箱のすり鉢打ちつくれば、頭へすっぽりとがらし味噌、目鼻真っ赤い息は出ず、安地が出過ぎたおとがいから、〈フシ〉腰骨棒に一殴り、
「〈詞〉コレ頼信様、イヤ若いお人。これで気が落ち着かふがな」「そんなら今の様子を」「ハテ、食ひ逃げのこのづくにう、ぶち殺してしまふたら、今のこと知った者は三人ばかり、必ず沙汰なし。何にも夕なぎ」〈地〉夕まぐれ、時分も上燗〈詞〉あんばいよし、「御大義」「さらば」「わたしもさらば」〈地〉引き分かれゆく法の庭、関白の家来三国左忠太、手の者引き具し駆け来たり、「〈詞〉頼信の狼藉者、確かに寺内へつけ込んだり。〈地〉捜せ捜せ」と乱れ入り、残る方なく尋ぬれど、上人姿の左馬助、花の帽子をまぶかに被り、「〈詞〉コレコレいづれも、頼信が逃げをったところは愚僧が知ってゐる。まぁ一杯引っ掛けて、力をつけてござらぬか」と、〈地〉差し出す徳利毒とは知らぬ下作者、「これは住持気がついた」と、めいめい茶碗に引っ掛けて、呑むと等しく真っ先に、大将左忠太ぐにゃぐにゃぐにゃ。家来残らず脛よろよろ。頼信気味よく「コリャたはけ者、〈詞〉左馬助はこゝにゐる」と、〈地〉帽子を取れば「ソレ逃すな、やらぬやらぬ」は口ばかり。反りは打っても脛立たず、「ゆるりとそれに」と駆けゆく頼信、回らぬ呂律に大音上げ、「〈詞〉ヤァそれへ逃ぐるは左馬助頼信、卑怯者返せ戻せ」と〈地〉いふ折節、酔ひ醒めの凡長和尚、誰がしはざにや鬢かづら、かけたも知らず目をすりすり、「ソレ頼信ぢゃ」と折り重なり、早縄かゝる迷惑は、〈三重〉酒罰とこそ「聞こえけれ。
昔誰かゝる桜をこの庭の、種は清和の末広く、枝葉栄ふる源や、頼光朝臣の下館、武家の格式引きかへて、掃除の役も色を持つ、花の姿のチョイチョイしょきしょき、水も玉散る情の雫、吉野初瀬も及びなき、〈フシ〉花の御所とや申すらん。
お側去らずは新参の、三筋足らざる猿淵兵馬、「〈詞〉殿のお出で、頭が高い、下がれさがれ」に〈地〉びっくりはいもう、待てども待てどもお成りもなし。「〈詞〉コレ兵馬さん、殿様がお出でとはどれどこに」「〈地〉不肖ながらコレこゝに」と、斜に構へたる獅子舞鼻、おかしさこらゆる妼ども、ばらばらと取り巻けば、中に梢が小差し出て「〈詞〉ほんにこれは誤った。お姿なら御器量なら、どっこに一つの言ひ分ないが、あったら事は御崎殿、あなたに前髪あったらば、〈地〉お鼻に似合ふたせんまの役」「〈詞〉イヤこいつ慮外者。当時出頭のそれがし、せんまが番とはなぜいふた」「ホヽヽヽヽ、それはけうとい聞き違ひ。御寿命は千万年もと、〈地〉思ふはほかのことでもない。おまへの様な愛らしい殿御に抱かれて寝てみたい」「〈詞〉こいつがこいつが、そふいふて俺を釣るのか。なんぼう三筋足らいでも、その手でたびたびはまった」と、〈地〉ふいと背けば三人が、なぶってやらふと小つるが発才、「わたしが好いた殿御の顔は、鬢先のぼっとした」「〈詞〉ヱこれな。これは追っ付け出世して、公家にならふと延ばした鬢先、鍋取りのみばへでゑす」と、〈地〉いへば吹き出す笑ひを隠し、「〈詞〉ソリャ何ぢゃ、あなたの女房にゃわしがなる」「イヤわしが、わしが」とつかみつくやら食ひつくやら、兵馬はひょんな顔つきにて、べったりすはった石臼なり、目ばかりぎろぎろ「女性たちしづまり給へ」「〈詞〉しづまれといはんすは、夫婦になってくだんすか」「サァ足は一本女は三人、どふもしやうがないさかいで、そこで我らが思案の奥の手、俺にめんない千鳥をかけて、わいらをどれなとつかまへる。〈サハリ〉それがすなはちあづま菊」「ほんにこれは良い御思案。サァサァ括ろ」と三人が、嗜む手拭ひ括ってしっかり、「もふよごんす」と突き放せば、「〈詞〉サァこれからが肝心要、〈地〉結ぶの神へ願掛けたり」と、あなたへ走りこなたへ走る拍子に頭ぴっしゃり、どっと一度に外す妼、外さぬ忠義渡辺が、さしうつむいたる〈ウフシ〉屈託顔。
しづしづ出るを取り違へ、「コリャしてやった女房と」抱きつくを二、三間、突き飛ばされて「コリャ強し、〈詞〉女に似合はぬ功の者、閨の戦もさぞかし」と、〈地〉また取り付くを帯際とらへ、宙に提げ投げつくれば、「うん」と一息いふを耳にも聞き入れず、両手を組んで思案のとむね。めんない千鳥をそろそろ解いて、「〈詞〉これは違ふた、夢ではないか。夢ならば、〈フシ〉醒めよさめよ」とばかりなり。
「〈詞〉ヱヽ談合相手にならぬ馬鹿者。当家に預かる友切丸、大政官へ差し上げねば家の滅亡、ベんべんと暇取られず、〈地〉直に御賢慮伺はん」といふ次の間より奏者の役、「〈詞〉我が君へ直々に御対面なされんため、平兼盛お出でなり」と、〈フシ〉言ひ捨てゝこそ入りにけれ。
「〈詞〉ムゥ兼盛が来たりしは、太刀の詮議に極まったり。ムヽムヽ」と〈地〉思案を極むる渡辺が、顔しづしづと打ち眺め、「〈詞〉テモこはし。その髭面に睨まりょより、こちゃ旦那様の側へいて、〈地〉遊んだが百倍まし」と〈フシ〉跡をも見ずして逃げてゆく。
引っ違へて入り来るは、駿河前司平兼盛、兼ねてたくみし心の一物、己がほかには人なしと、上段の間につと通れば、渡辺末座に威儀を正し、「〈詞〉主人頼光この頃より、引き籠り罷りあり、仰せ置かるゝことあらば、〈地〉承らん」といはせも果てず、「〈詞〉ハヽヽヽヽ。紛失の友切丸、べんべんといつまで延引。催促するもほかではない、道長公の仲人。太刀さへ出れば娘が花聟、嫁入り盛りの赤染姫、預かり者は気が張り申す。早く手渡しいたしたい。頼光は天下の名将、その上貴殿は付き添ふからは、太刀のありかも知れたであろ。どふぢゃ綱殿知れたか」と、〈地〉己が盗みしその太刀の、詮議の底を探りにくる、邪智は源氏を挫かんてだて。源五はわざとそらさぬ体、「御退屈、お茶たばこ」と、挨拶すれば「〈詞〉イヤ心遣ひ無用、茶もたばこも喉へ通らぬこの屋敷、この方ばかりずはずはと、たばこ吸ふてもゐられまい」と〈地〉いふに短気の渡辺が、ずっと寄って詰めかくれば、「イヤこりゃ何めさる。〈詞〉陪臣の分としてこの兼盛に刃向かふか」「ヤァいはせておけば存外至極。〈地〉その頬げた斬り下げん」と抜かんとするを鐺返し、「〈詞〉サァなら斬って見い」「ヲヽ斬らいでは」と抜き打ちに、〈地〉肩先目掛けてうど打つ。「心得たり」と手練の早業、受ける猛将、斬り込む勇者、争ふ切先はっしはっし、りうりうさっと吹きそふ春風、奥の間より、紛々然たる香の音。思はず兼盛たぢたぢたぢ、「ヤァおくれたか」ととまた斬り込む、〈コハリ〉ひらりと飛んで斬り結ぶ、音ははたはたてうてうてう。〈ナヲス〉帳台の間より御声高く、「〈詞〉頼光直に見参」と、〈地〉立ち出で給ふ優美の顔色、思はず両人さっと引き、〈フシ〉息を詰めたるばかりなり。
武将しづしづと席を改め、「〈詞〉珍しや兼盛。関白殿より上意の趣、頼光直に承らん」「ヲヽ問ふに及ばず手詰めの詮議、太刀を渡すか切腹めさるか、二つの返答、サァ何と」と、〈地〉詰めかくるにちっとも騒がず、「〈詞〉さあらんと思ひ、貴殿の入来を待ち侘びたり。紛失の友切丸、やうやう今日尋ね出だし、頼光が手に入ったり」と、〈地〉聞いてぎょっとし「〈詞〉ナニ友切丸が手に入ったるとは、そりゃ真実か」「今日になって何偽り。このほどより草をわかって詮議いたした友切丸」「シテシテその太刀はどこにある、ドヽどれ早くお見しゃれ」とせきにせいたる〈ウフシ〉その顔色。
「〈詞〉ヲヽ只今貴殿に渡す太刀、イザ寄って拝見あれ」と、〈地〉差し出だす太刀一振り。不審には思へども、押っ取って御太刀の作りとっくと見、「ムヽムヽ」と焼刃物打ち見透かし見すかし、「〈詞〉ムヽいよいよこれが友切丸」「いかにもそれこそ友切丸。とっくりと拝見あれ」「ムヽ面白しおもしろし。兼盛確かに受け取ったり。この太刀が出る上は、娘衣紋が輿入れも今宵のうち、用意して待ち受けられよ」「いかにもきっと相待ち申す、舅殿」「聟殿さらば」「〈地〉さらばさらば」と目礼式礼、兼盛は〈フシ〉心残して立ち帰る。
後見送って襖立て切り、頼光の御側近く差し寄って、「〈詞〉紛失の友切丸、今渡されし友切丸、天下に友切二振りありや。御賢慮いかゞいぶかし」と憚りなく言ひ放せば、〈地〉大将にっこと打ち笑み給ひ、「〈詞〉源家代々預かり奉る友切丸、この頼光が友切丸といはゞ、それこそは友切丸」と、〈地〉温々和々たる御詞。始終を立ち聞く御法御前、弦せぬ弓矢右手に携へ、しとやかに立ち出で給ひ、「〈詞〉友切丸失せしにつき、この頃の心遣ひ思ひやる。またこの弓矢はこの母が、心をこめし贈り物、折から庭に飛び交ふ小鳥、あの鳥を射て見せよ」と、〈地〉仰せに頼光弓押っ取り、「〈詞〉ムヽ弦なき弓は察するところ、二張の弓を引かすまじと、夕なぎが離縁の詫び。この弓にて小鳥の所望、頼信といふ小鳥、勘気の弦を許せよとの〈地〉ことならん。この弓矢益なし」と打ち捨て給へば、「〈詞〉イヤイヤ目当てが違ふた違ふた。この母が送りし心、弓に弦せぬその弓は、赤染の衣紋姫、頼信と訳あること、ほのかに母も知ってゐる。それに何ぞや、輿入れを相待てとは、二張の弓を引かすのか。弦なき弓は愚将の譬へ、恋といふ大敵にて、心の迷ふ愚かな頼光、源家の相続おぼつかなし。サァこの返答いへ聞かん」と、〈地〉恨みの目の内はらはらはら、涙先立つ母の御方、見向きもやらず「コリャ渡辺、〈詞〉咲き乱れたるあの桜、一枝手折り参れ」との、〈地〉仰せおぼつかなけれども、扇さっと押し開き、〈フシ〉一枝切って差し出だす。
「ムヽ咲きも残らず、散りも始めぬこの桜、〈詞〉手折れと申しつけたれど、折り取るは心なし。この小枝元のごとく、あの桜へ返すべし」「コハ仰せとも存ぜぬ御意。一旦切りしこの桜、継がれぬは御存じあるはづ。元のごとくいたせよとは、狂気ばしなされしや」と〈地〉詰め寄ればにっこと笑ひ、「〈詞〉兼盛は上使の役目。存外を申せしとて、この枝のごとく切り放さば、いつかまた継がれるや」「トハ仰せとも存ぜぬ一言。言ひ訳にはこの源五、腹十文字に仕る」「ホヽその方が腹何千何百切ったりとて、君のためにはちっともなるまい。その上赤染の衣紋姫、夫妻に申し受くるからは、兼盛は舅。〈地〉慮外やつにっくし」と、枝押っ取ってりうりうりう。打たれて怯まぬ忠義のものゝふ、「〈詞〉スリャ御真実赤染姫を」「ヲヽ恋ひ焦がれたこの年月。恋は思案の外、意見いふな聞き入れぬ。目通り叶はぬ早立て」と、〈地〉詞も荒波立ち兼ぬる、渚の千鳥しほしほと、入るを待ち兼ね御法御前、「ヱヽ口惜しや浅ましや。継しい仲のそち兄弟、朝夕隔てぬ母が心、よふ知ってゐやろがの。それに何ぞや源五を打擲、この母への面当てか。義理ある仲の隔てとも、思はゞ思へ意見の種。〈詞〉美女御前は母が実の子、六歳のぐゎんぜなく、行幸の御車先、乗り打ちせしを道長公、悪様に言ひなし給ひ、御咎めありし時、これまでの忠義を言ひ立て、御願ひましまさば助かるは定のもの。〈地〉武威に誇るといはれては、一天下治らずと、〈詞〉仲光が方において、不憫や美女は殺された。〈地〉さほどすぐなる満仲の、その子によふもそちが様な、道知らずがあるものか。恋の仇とて科ない弟、よふ勘当したなァ。〈詞〉なんぼうそちが勘当しても、この母は勘当せぬ。孝行尽くす嫁夕なぎ、〈地〉離縁した不届き者、意見するが気に食はずば、サァ母を打ち殺せ。打ち殺せ打ち殺せ」と身を惜しまぬ、恩愛せつなる親身の意見、〈フシ〉涙先立つばかりなり。
やゝあって落花の一枝、母上の御前に直し置き、「〈詞〉花ものいはねど頼光が、不孝の二字を込めたる小枝、とっくりと御思案あれ」と、〈地〉詞の花や心の宝、咲き乱れたる親子の中、〈フシ〉奥深くこそ入り給ふ。
母は後にてうっとりと、小枝一もと思案の伽、「〈詞〉ムヽ花の散ったこの小枝、時を得て継ぐ時は、また来る春に花咲くこの枝、〈地〉ハァアどふがな」と胸の氷を結ぶ手の、いつか解くらん〈フシ〉春の風。
庭に奴がかっつくばひ、「〈詞〉御門前に女の鳥追、簓の竹のちょきちょきと、一節歌ふ面白さ、てんとびゃくらいたまらぬで〈フシ〉ごはりまするでごはります」「〈詞〉ムゥ時ならぬ弥生の鳥追、ことに女とあるからは、聞きたい聞きたい」「ないない、お上へ召しまする。鳥追参れ、早参れ」「〈三下り鳥追〉やんらめでたややんら楽しや、千町や万町の鳥追が参りて、福の神祝ひこめ、しらげもよねやろ、ましらげもよねやろ、よねやろがぢゃうには、福と徳と参りて、宿かろと申す、宿借り候はゞ殿も栄えさぶらふ、我が身も栄えさぶらふ」〈ナヲス〉栄えはきのふと夕なぎが、写す姿の鏡山、曇る思ひの悲しみを、包むは人目我が夫の、つれなき逢瀬祈る身の、「〈鳥追〉ましらげもよねやろ、妬みないのがぢゃうには、母御様へ参りて、お詫び頼もと申す、仲直り候はゞ、わたしは嬉しうさぶらへど、殿はいかゞおぼさん」と〈ナヲスフシ〉歌ひけり。
歌の唱歌に心付き、さてはと思へど辺りの人目、「〈詞〉コリャ関助、用はない、部屋へ行け」「ないない」と、〈地〉立てゆく切戸切れ果てゝも、心は切れぬ嫁夕なぎ、かはいの者といはんとせしが、最前の品といひ、思ひに思ひを重ねんより、帰さんものと立って行く、裾に取り付き母様とも、得いはぬ胸の薄氷、〈スヱテ〉解けて流るゝ涙顔。
振り返り見て「コリャよふ聞け。〈詞〉花咲く折のこの小庭、花々しい今宵の品、鳥追姿取り置いて、〈地〉通れ通れ」とつれなくも、いふ身の上のつれなさと、知らぬ女の恥しい、「夫に去られた因果なわたし、死なふと思ひ詰めたれど、後に夫の名が立とかと、ながらへし憂き身をば、不憫と思ふてコレ母様、たった一言嫁ぢゃといふてくださりませ」と、伏し拝む手をじっと取り、「〈詞〉コレ嫁女、思ひ思ふてきたそなた、つれなふいふたこの母が、さぞ憎かったであらふのふ。赤染の衣紋姫、今宵輿入れする故に、ちっとの間なとそなたの胸休めたさのこのしだら、意見の種を尽くしても、悪魔が見入れて聞き入れぬ。〈地〉母が心の切なさを、推量してたも嫁御寮」と、語るに開く胸の内、「夫の心の善悪は、をなごによるといふからは、みんなわたしが悪さ故。不孝と思ふてくださんすな」と、夫を思ひの誠の心、「もったいないこといやる。〈詞〉意見しても聞き入れぬは、母の育てが悪いから。今さらそなたに面目ない、〈地〉なんであらふと赤染姫、いよいよ祝言するならば、その上ではこの母が、しやうもやうは胸にある。こゝは端近、マァこちへ」と、伴ふ奥口ざゞめいて、早嫁君の御入りと、上下賑ふ御寿、祝ふは菊の大燭台、運ぶ妼、待ち女郎、〈フシ〉花を飾りて出で迎へば、
〈半太夫〉深山なる、雪の綿帽子洩れ出づる、月も今宵は恥しく、顔に紅葉の赤染姫、〈ナヲス〉衣紋の衣の香り恋しきその人の、軒葉は同じ松の間の、千代をこめてぞ座し給へば、御酒も鳴戸の襖押し明け、千鳥足なる御大将、梢が肩を杖柱、「〈詞〉最前より待ち兼ねて、奥にて一献糀の花嫁、御来光と聞きし故、礼儀立ても堅苦しく、寝巻きのまゝの花聟、当世はこれでゑす。二世も三世もかはらぬ盃戴き申そ。をなごども銚子持て」「〈地〉あい」と返事のしとやかに、妬みの色香埋み火の、胸に羽を敷く蝶花形、三方携へ土器の、内曇りなる夕なぎ御前、それと御覧じ御声荒く、「〈詞〉ヤァにっくい女、けがらはしい。〈地〉早立ち去れ」に「アイアイアイ、〈詞〉わたくしはたった今、御奉公に参りました嫁御寮のお側使。申し奥様、お目かけられてくださりませ」「ムヽ奥赤染が召使か」「アイ」「置いてくれう、サァ酌せい。恋人盃戴き申そ」と〈地〉いへど衣紋は返事もなく、取り上げ兼ねし盃を、御崎が押っ取り「これ申し、申し申し」と勧められ、「〈フシ〉無理なことを」と袖覆ふ。
「〈詞〉ヲヽ道理々々。その初心なが命取り、〈地〉サァサァ一つ」としこなしぶり、末はどふとも知らねども、さすや御崎が仲人役、千代もかはらぬこの盃、「忝い」とずっと干す。思ひ設けし夕なぎが、目に持つ涙に心付き、さてはと思へどこの場の品、とやせんかたも赤染姫、さしうつむけば「こりゃなぜ泣きやる。〈詞〉大切な祝儀の盃。ムヽ聞こえた、コリャ女、勝手へ行け」「イヱイヱ、あの人の科ぢゃない」「それでも泣き顔」「「アイ、これはあまり今宵のめでたさ」「嬉し涙か、そのはづ、そのはづ。〈地〉愁ひを晴らす琴の一曲、そもじの爪音聞いて心が慰めたい。妼ども琴を持て」「あい」と答へて御前に直すは名におふ仙洞代、心の調子取り直し、口でいはれぬ身の言ひ訳、思ひを糸の音色かや、「〈二上り歌〉恨み詫び干さぬ袖とは今ぞ知る」「〈詞〉サァ一つ注げ、ヲトヽヽヽ」「〈二上り歌〉君は繋がぬ沖の舟、風の誘へばよる身ぢゃものを」〈地〉慕ひ頼信薦僧姿、恋の歌口小門口、「〈二上り歌〉我は磯辺の蜑小舟、つまよつまよと叫べども」〈ナヲス〉呼べどもあはれぬ我が夫の、竹の音色に駆け寄れば、「〈詞〉コレ衣紋そのなりは」「アイこれは」「マァ下にゐや。今の後を、サァサァ早ふ」「〈二上り歌〉つらい浮世の山颪」〈ナヲスコハリ〉音に紛れて入り来る曲者、桜を幸ひ足しろと、〈フシ〉身をひそめたる梢の陰。
「〈詞〉今一つ注げ。そふあがっては御身の痛み、留めてよければ衣紋が留める。〈地〉サァ注げつげ」と引き受ける、盃きっと「〈詞〉コレこの内に何やら塵が」「〈二上り歌〉よその浦端へ吹いてよる、昼ともわかで忘られぬ」〈ナヲス〉夫に知らせの爪音と、知らぬこなたの心の廻り、縁に衣紋が立って見ゐて見、外にも同じ心と心、隔ての垣を押し破り、入らんとするを「コリャコリャ梢、〈詞〉そちや思ふたより野太いやつ、頼光が間しようとはけうとい上戸。大盃で呑み干し呑み干し、五升三升、七生まで勘当する。妼ども、ナ合点か行け」と〈地〉詞の謎、是非なくすごすご〈フシ〉身を忍ぶ。
「〈詞〉コリャ今参りのお妼、献々の盃済んだれば、お格式の長枕。サァ居間へいて床とれ」「ヱヽ」「ヱイとは嫌か」「イヱ」「そんなら行け。サァ行け早ふ」も〈地〉回らぬ舌、胸のたく火の夕なぎは、〈フシ〉涙拭ふて入りにけり。
「〈詞〉サァ衣紋、これからが祝言の色直し。その白無垢取り置いて、祝儀の装束着替へておぢゃ」「〈地〉アイ」としづしづ立ち上がり、着替へる奥の化粧殿、濃き紅の色結ぶ、妹背の中着上着まで、錦あやなす三重の帯、一腰さすが平氏の姫君、何か白木の三方は、九献にかはる腹切刀、首桶もろとも頼光の、御前に直し置き、その身は上座に押し通り、「〈詞〉上使なり」といふ声に、〈地〉遥か下がって御大将、「御諚いかに」と一揖あれば、後ろに窺ふ後室・夕なぎ、見合す顔に障子をびっしゃり、〈フシ〉なほも様子を聞きゐたり。
「上使の趣ほかならず。〈詞〉天子より預かりの友切丸、盗み取られし身の誤り、その上最前自らが父兼盛に、友切丸とて渡されし、コレこの太刀は有り合ひの偽物。上を欺く朝敵同然、官位を差し上げ切腹あれと、父が指図の検使の役。源平不和の家筋ながら、一旦の契約なれば、源氏へ遣はす嫁入りの白小袖、今脱ぎ捨てゝ色直しのこの小袖は、取りも直さず平家の赤旗、すなはちけふの討手の大将。サァ尋常に切腹あれ、違背あらば討手の一矢参らせん。なんとなんと」と詰めかけたり。〈地〉頼光は返答なく、悠々と座に直り、上着さっと脱ぎ捨つる、下は無紋の〈ウフシ〉薄上下。
「〈詞〉その討手を待ち受け、とくより我も用意せし、この白無垢は源氏の白旗。〈地〉二世と契らん閨の友、たちまちかはる敵と敵、〈詞〉引出物の腹切刀、確かに落手仕る。介錯の役人は猿渕兵馬、〈地〉兵馬々々」と呼ぶ声に、「あい」とひょかすか「コリャ何ぢゃ、〈詞〉野送りにおいでるか」「ヲヽ頼光が切腹の介錯せい」「ヱヽ介錯とはへ」「ハテこの首を切れ」「ヱヽあのわたしに」「ヲヽこの日頃頼光が首を取らんと付き添ひゐる、兼盛が家人岡田六郎、望みのごとく首をやる。サァ寄って介錯せい」と、〈地〉五臓を見抜く大将に、声かけられて突っ立ち上がり、真っ二つと振り上ぐる、太刀のなまりか刃の錆びか、鍔元より折れ散ったり。すかさず差添すらりと抜き、切り込む腕首引っ掴み、広庭へはったと蹴落とし、腹切刀を恭しく、押し頂き押し頂き、「〈詞〉この剣の威に押され、介錯の切先折れ散ったる眼前の不思議、疑ひもなく尋ね奉る友切丸の名剣、今こそ我が手に入ったり。〈地〉ハッアありがたし忝し。〈詞〉サァ赤染、この友切を奪ひ取ったる盗賊の首、定めて持参しつらん、実検せふは」とありければ、「〈地〉すなはちこれに候」と首桶の蓋引き開くれば、年寄り首の平兼盛、「父が身の果てご覧ぜ」と、わっとひれふす赤染姫。「〈詞〉ヤァこりゃ主人の御首か、〈地〉ハァはっ」とばかりにどふど座し、〈フシ〉呆れて詞もなかりけり。
頼光朝臣謹んで、友切丸の御座を設け、両人に打ち向ひ、「〈詞〉そもこの友切丸と申すは、尋常の太刀にあらず。忝くも三種の神器のその一つ、十握の御剣の御ことなり。然るにこの御宝を、奪ひ取らんとする逆臣、大内にはびこれば、〈地〉花山の法皇これを恐れ、宝剣の名を包み、友切丸と仮に名付け、東山の社に納め置かれたり。〈詞〉さればこそこの剣、外の太刀と一所に置けば、己と抜け出で数多の刃、ことごとく切り折りしは、神徳の御不思議と、知ったるは父満仲一人。〈地〉密々の勅を受け、源家に守護するこの年月、〈詞〉武威を嫉む平兼盛、神前に忍び入り、この宝剣を盗み取って立ち退く時、斬り殺されし二瀬源次、死骸の側に落ちたる抜き身は、兼盛が重代、これ盗賊の確かな証拠。最前友切丸なりと、この方より渡したる、すなはちソレその一腰が、落として置いたきゃつが刀。身動きならぬ証跡に、逃れん方なく宝剣を我に返し、腹切って相果てしは、己が罪己を責むる、〈地〉頼光が忠心の切先、こたへたか兼盛」と、〈フシ〉武威厳然たる御詞。
六郎無念の歯噛みをなし、「〈詞〉ヱヽ口惜しや。頼光が寝首を掻き、源家を滅亡させんものと、主従心を合せしに、〈地〉計略の裏をかゝれ、最期の御無念いかばかり。眼前の主の敵、一太刀恨んで斬り死に」と、詰め寄すれば「コレコレ六郎、〈詞〉頼光様に敵対すると、とゝ様への不忠になるぞや」「とはまた、ナヽ何として」「さればいの。とゝ様のお腹召したは、太刀のことばかりでない。今はの際に自らへのお物語、『最前この館にて、蘭奢待の名香の音、一天の君ならで持つことならぬこの香を焚くからは、さては花山の法皇、行方なくなり給ふと言ひ立て、誠は頼光が館に、かくまひ守護し奉ると、初めて知って感じ入り、その忠臣に引きかへて、たゞ源平の意趣に募り、君への忠も打ち忘れ、敵に与せしこの兼盛、我と我が身に恥入って、この切腹は法皇への申し訳。〈地〉一念発起はしながらも、生まれついたる武士の意地、〈詞〉親にかはってこの太刀を佩き、頼光に向かって討手の大将と一言名乗って見せたらば、源氏に一矢射掛けし心。それで日頃の遺恨も晴れる。〈地〉孝行立ったその上では、父が首をみやげにして、頼信殿に添ふてもらへ。敵の娘と疎まれてくれるな』と、御最期までもわらはがこと、苦になされたが悲しい」と、わっとばかりに伏し沈む、〈中フシ〉心ぞ思ひやられける。
御大将もまぶたの時雨、重ねて御諚ありけるは、「〈詞〉頼光がこの装束、定めて不審に思ふらん。最前兼盛、その太刀受け取って帰る時、切腹して相果てんと、極めたる心底察せしに違はず、ソレその首。この白小袖は兼盛が、死後を見送る情の装束。末期の一句に不忠を改め、忠心となったるは、あっぱれ義者。〈地〉いで存念を達せん」と、衣紋が帯する太刀押っ取り、「〈詞〉源平両家は勇者の友。その一人の友を切る、この太刀こそはすなはち友切。今より源家の重宝とし、友切丸と改め、頼光帯し忠勤を励む時は、兼盛・頼光両人して、君を守護する道理ぞ」と、〈地〉仁徳厚き御詞、さてこそ源氏に伝はりし、友切丸と申せしは、〈フシ〉この御太刀と知られたり。
衣紋は父の首に取り付き、「コレとゝ様、〈詞〉頼光様の情にて、今はのお詞立ちまして、〈地〉さぞお嬉しうござらふ」と、返らぬことの悔やみ泣き。六郎白洲に突っ立ち上がり、「〈詞〉ハァ迷ふたり、迷ふたり。主君の魂ソレその友切、頼光帯し給ふ上は、今より我も源家に仕へ、恐れながら頼光の、一字を取って定むる心底。生国の名をかたどり、碓井貞光と改名し、〈地〉名を後代に顕さん、〈フシ〉御免あれ」と平伏す。
始終窺ふ頼信・渡辺、「御賢慮詳しく承り、誤り入って候」といはせも立てず「コリャコリャ修行者。〈詞〉兼盛が冥途の手向け、この生首供養のため、手の内くれう、〈地〉手の内くれん」と突き落とす、縁は妹背の頼信・赤染、「ヤァこれは」「〈詞〉兼盛といふ亡者のために経を読め、ナとっくりと念誦せよ。コリャ綱、イヤサ勘当の詫びの綱が、鼻の先に、ナ、花にとっくと気をつけよ。〈地〉我は御剣を清めん」と、〈フシ〉殿中深く入り給ふ。
「ハァはっ」と渡辺が、折れたる切先取るより早く、はっしと打てば桜の枝、どうど落ちたる忍びの者。「〈詞〉法皇これにましますこと、吟味にうせた道長が回し者、勘当の詫びよくしてくれた」と、〈地〉すかうべ微塵にこの世の暇。「とてものことに頼信が、勘当御免の御願ひを」「〈詞〉イヤその勘当許しはせぬ。この御法が許さぬ」と、〈地〉襖ぐゎらりと「コリャコリャ頼信、〈詞〉この母が改め勘当の印はこれこの桜の小枝。取りも直さず花山の法皇、軍勢といふ幹を見立て、この枝を継ぐならば、花の都の返り咲き、ナそれ故に勘当する。コレ頼光、これで不孝の返事が済んだ」「ハァさすがは母人」と、〈地〉装束改め御大将、「〈詞〉コリャ衣紋。仮にもそちと盃すれば、離縁の印この一通、大事に書け」と差し出だす。〈地〉手に取って押し開き、「ヤァ、〈詞〉こりゃ朝敵退治の勅書。〈地〉ハァありがたし、ありがたし」と、夫婦一緒に押し頂き、「何から何まで御慈悲を、反古にはならず、これよりすぐに軍勢催促、はやお暇。〈フシ〉衣紋来れ」と立ち上がれば、
「〈詞〉ヤァその女帰しはせぬ。仮にも夫を寝取りし恨み、〈地〉受けてみよ」と投げつくる、的は外れぬ情の黄金、「〈詞〉ヤァこれは」「ハテ旅の御用意」「ヱヽ忝い」「奥でかした」「そんならやっぱり元の夫婦」〈地〉出で行く夫婦が糸桜、匂ひ桜の兄嫁が、「お二人ともに随分無事で」はや吉左右をきく桜、残る老木の姥桜、散りてはかなき父上の、名残桜や無常の桜、しをれ桜を勇むる勇士が虎の尾桜、千里も響く大将の、友はこの世の薄桜、情をこゝに友切丸と、その名を世々に残しけり。