「安倍晴明倭言葉」翻刻 四段目

[道行四季の花籠]
〈二上りタヽキ〉やすらはで寝なましものを小夜更けて、傾くまでの月を見し、旅寝の床の春秋を、廻り廻りていつしかに、故郷出でしは花の頃、あだし二人がとりなりも、人に見られじ忍ぶ身の、〈ナヲス〉後振り返りてヲイヲイ、〈歌〉こゝへござれと呼ばれて男、道に遅れて茨や躑躅、木の葉根笹に、くゞりにくい道を、くゞりくゞりくゞって、くゞりくゞりくゞって、松のかくいでな、あいたしこ、何とした、〈ハルフシ〉とふつとはれつ道草も、若いが花の作り花、さぁ召せ召せと売り声も、やつす姿もならはねど、慣れし旅路の頼信夫婦、かはり果てたる世の憂きも、軽しと荷ふ花籠の、おふさきるさもいとひなく、もつれあふたる葛草、結び結びし白糸の、糸にや若草、幾夜経て、〈フシヲクリ〉こゝは「難波の町外れ、
見渡せば春の朝日のほのぼのと、霞に埋む生駒山、よそに見なして行く水野、清き流れを越して見る、江口の里の浮かれ女が、〈二上り歌〉恋はどふぢゃとナ、心に問へばナ、恋はいきぢのナ、いよゐなものよな、それでこれこの〈ナヲス〉身とはなりぬる、身の憂きことの数々を、思ひ出だせど思ひあふ、中は離れじ離さじと、笑ふ笑顔は春の山、峰もけはひの白妙は、雪に見まがふ如月桜、その一本を御愛樹の、天満神あまみつかみの跡垂れし、佐田にしばしと休らひて、「〈詞〉サァサァ子たちのお慰み、お買ひなされて恥しからぬ、めうとが夜なべの作り花」〈地〉春ごとに咲くや初花根白草、芥子の若葉のそれよりも、ほう法華経と〈文弥〉囀りの、声に咲いたか窓の梅、闇はあやなき玉椿、夏は涼しき風車、くるくる回るおでまりの、花の姿の美人草、二葉草より愛らしく、小褄もしゃんと鹿子百合、末摘花の花あやめ、釣鐘草に引きかへて、ほのゆふ顔の糸薄、もたれかゝりし藤袴、思ひ草かや身を忍ぶ、草の通ひ路、百夜草、今は一夜のかへり花、正木の葛、冬牡丹、色持つ花の色見草、おしへ草召せ、〈ナヲス〉召しませと、四季の草花そこそこに、花を集めてとつかはと、急ぐそなたは枚方の、宿を過ぐれば石清水、〈江戸〉武運守りの御神と、〈道具屋〉祈る心は国々の、味方に賜る綸旨の使ひ、〈詞〉四国に河野、越智の一党、筑紫に太宰、肥後に阿蘇の、〈江戸〉手筈を合せ都に攻め入る、その出立ち、連銭芦毛、白月毛、鍬形打ったる兜の星、思ひ思ひに弓と矢携へ、〈詞〉朝敵道長討ち滅ぼさん、「喜べ女房」「我がつま」と、〈地〉勇む心もいそいそと、よどまぬ淀の水車、廻る月日も早立ち過ぎて、都へ帰るけふの身は、旅の汚れも錦の袂、見返りの森、木々の末、夕日にかざす里々に、続く山崎、鐘の声、早九重も近づけば、それぞ東寺の遠からぬ、名にし四つ塚、四つの道、よしや吉野の花心、〈三重〉朱雀をさして「たどり行く。
〈鹿ヲドリ〉鶯の花踏み散らす〈ナヲス〉春霞、行き来も足をとめ木の梅、我が宿なりと羽をのして、法華経の声聞き入るは、〈フシ〉げにも朱雀の野辺なりし。
関白のお側去らず、肩で風切る早木大学、供人引き連れ出で来れば、こなたへ出づる三国左忠太、それと見るより小腰を屈め、「〈詞〉これはこれは大学殿、いづくへのお越し」と〈地〉いふに大学立ち止まり、「〈詞〉ヲヽ左忠太、毎日の詮議役大儀々々。シテ衣紋姫が行方は何と」と〈地〉問はれて頭へ手の行く左忠太、「〈詞〉このごとく毎日々々尋ね廻れど、闇に烏を追ふ様で、未だ在処が知れませぬ」「ハテサテそれは気の毒千万。それがしも神璽の行方、詮議の役目承り、毎日の歩行。とかく油断が大敵、心を配り詮議めされ。万事は屋敷で申し合はさん。〈地〉後刻々々」と一礼し、〈フシ〉左右へこそは別れゆく。
世渡りの種は品々品玉取り、せなに風呂敷、手に破れ茣蓙、花の木影に立ち止まり、敷くや茣蓙の裏、東訛りの声高く、「〈詞〉始まり始まり、品玉の始まり、〈サハリ〉てんてつとんてとてんつてんつる、つてつゝつゝつ、つゝつんてつ」〈ナヲス〉口三味線の人寄せに、どこからとなくばらばらと、集まる見物へきりのきり、かきかき廻るもべり続け、「〈詞〉押すまい押すまい、木戸が破れる。〈サハリ〉てんてつとんてと、てんつてんつるつてつゝつゝてんてと、〈ナヲス詞〉東西々々、最初に仕りお目にかけますが、虎の子渡しと名付け、この茶碗よりあの茶碗へ移りますが早ふござい。これもかう改めて、ヨイハァア、〈サハリ〉てんてつとんてと、〈ナヲス詞〉御褒美にどっとほめたり。〈サハリ〉てんてつとんてと、〈ナヲス詞〉東西々々、さてこのたび仕りますはこのわろでござい。この長いわろをお目通りで入れるでござい、ト股倉へ入れます、と股倉を離れまして、あれなる斎垣の内へ移ります。ヤどこへ、いごくまい。これもこふ改めて、ヨイハァア〈サハリ〉てんてつとんてこてんつてんつるつて、〈ナヲス詞〉ハァアヨイヨイ」〈地〉酔ひどれてくる大男、「片寄れ片寄れ、俺様のお通りぢゃ」とひょろひょろこけ込む群集のうち、鐺にばったり髭奴、「〈詞〉コリャ何とする慮外やつ」と〈フシ〉きっぱ廻せば、「〈詞〉何ぢゃいなんぢゃい、びこびこと太刀魚をひねくって、それを肴にも一つ呑めか。イヤイヤもふくだされぬ、それともお強いなさるゝなら、太刀魚よりもっそふ頭、〈地〉かぶりかくが良い肴」と、拳振り上げ二つ三つ。「〈詞〉イヤこいつくらひどれ、もふ堪忍がならない」と、〈地〉力む奴をおだてる見物、「〈詞〉そふぢゃそふぢゃもっともぢゃ、踏め踏めどづけ」を〈地〉力にて、むしゃぶりかゝるやっこらさ、首筋掴みくるくるくる、群集のうちにも腕自慢、「俺が相手」と二、三人。「〈詞〉アヽこれこれ、芝居の邪魔になります。喧嘩なら所をかへてしてもらを。所かはれば品かはるでござい、〈サハリ〉てんてつとんてと、〈ナヲスノリ〉手てんがうすなやい」と、ころりころりと手玉品玉。「〈詞〉始まり始まり、喧嘩の始まり、〈サハリ〉てんてつとんてと」〈ナヲスノリ〉手もなく一人に投げつけられ、品玉よりは目玉の宿がへ、皆散り散りに逃げ散ったり。「〈詞〉アヽこりゃこりゃ、銭置いて行かぬかい。品玉の食ひ逃げでござい、〈サハリ〉てんてつとんてと」「〈ナヲス詞〉コリャ雷同、もふ人はない、取りおけとりおけ」「ほんになァ、口癖の口三味線」と、〈地〉あたり見回し小声になり、「〈詞〉鬼同きどうよ大儀であった。この様にわれや俺が姿をかへ、手に立つやつらもあらふかと、喧嘩にことよせ謀れども、がらくたばかりで役に立たぬ」「ヲヽ雷同がいふ通り、お頭の言ひつけで、味方になるべき器量を見立て、一人なりと一味させうと、われを玉にしてこの鬼同が、毎日毎日当たって見れど、腰抜けめらでかゝらぬかゝらぬ」「シテお頭はどこにござる」「イヤどこにやら、けさ別れたまゝ。おりゃ壬生の方を尋ねてこふかい」「ヲヽどこから廻っても、集まるところはこの大師堂。おりゃこゝに待ってゐよ。大儀ながら尋ねてこい」「ヲヽそふせう。〈地〉雷同後に」と言ひ捨てゝ、〈フシ〉鬼同は壬生へと尋ねゆく。
後に雷同こてこてと、見世片付ける入日陰、赤染を先に立て、息をはかりに駆け来る頼信、「〈詞〉コリャコリャ放下師、仔細あって我々は、あとより追手のかゝる者。いづくになりともしばしのうち、影を隠して得させよ」と、〈地〉余儀なき頼みに打ちうなづき、「〈詞〉見たところが若い女中に若い男、お定まりの色事でゑすの。頼むとあるを無下にもなるまい。幸ひの大師堂、〈地〉あとはわしが呑み込んだ」と、戸を押し開き二人を忍ばせ、狐格子で思ひつき、人を騙すは狐の身ぶり、これ幸ひと品玉の、獣の革を後ろに挟み、〈フシ〉そらさぬ顔で立ったるところへ、
きょろきょろ眼に三国左忠太、「〈詞ノリ〉コリャコリャ者ども、足弱を連れたれば、遠くはよもやと思ひのほか。頼信めは逃すとも、主人がおてきを手に入れよ」と、見回し見回し、「ヤァものくさいこの辻堂。ソレ詮議せよ」と下知より早く、〈地〉ばらばらばらと立ち寄る下部、取っては投げ退け、掴んでは、打ちつけ打ちつけ品玉取り、〈フシ〉まがまがしくも突っ立てば、
左忠太いらって「〈詞〉ヤァ妨げひろぐ蝿虫め、うぬは何やつ、どっから出た」「どっから出たとは、天から降らず地からも湧かず、木の股からはなほ出られず、コリャお定まりの穴から出た」「何ぢゃ穴から。ヤァ申しお旦那、油断をなされますな、むしゃくしゃが生へてござります」と、〈地〉聞いて左忠太身の毛立ち、こはごは見やり眉に唾、「〈詞〉コリャコリャ者ども、安倍晴明は主人関白殿の家来なれば、身どもとはきつい仲良し。その晴明殿の母上は信田の森の恨み葛の葉といふ、夜の殿のお頭。晴明殿と近づきぢゃによって、そのお頭と身どもとも入魂じゅっこんに致す。さるによって、野干やかんたちはこはいとも何とも思はぬ。家来ども、汝らはさぞこはからふ、こはいと思はゞ身どもにじっと取り付いてゐてくれ」と、〈地〉いふにおかしさこらへる品玉、なほ取りかける畜生足、「〈詞ノリ〉さてはこなた晴明の母上と、ねんごろになさるゝとや。ハァ左様とも露知らず、官上りの目見え働きに、一化かし化かさんと、思ひしことのもったいなや。この後またも白小女郎に、〈地〉お逢ひなさるゝことありとも、このこと沙汰し給はるな。〈詞〉そのかはりには我が通力にて、お尋ねなさるゝ者どもの、在処を教へ参らせん。〈文弥地〉アレアレ南に当たって、小深く茂る高嶺あり。その山越えてこなたの山に、隠れ屈んでゐるほどに、必ず逃し給ふな」と、取りすへられて左忠太が、「〈ナヲス〉過分々々」と一礼も、こはさに躍る動気をおさへ、〈歌〉わざと静かにのしのしと、歩む心の関助・可内、「〈詞ノリ〉申しお旦那、必ずおきつにつまゝれさんすな」「ヲヽつまゝれな」と〈フシ〉後をも見ずして逃げ帰る。
「〈詞〉ハヽヽヽヽ、いかゐたはけ」と、〈地〉狐格子押し開けば、赤染嬉しく立ち出でゝ、「〈詞〉どなたかは知らねども、〈地〉いかゐお世話になりまし、かたじけなふ存じます」「〈詞〉ヲヽそれそれ、見ず知らずの我々、お世話になるも不思議の御縁。お礼は重ねて、〈地〉心急けば早お暇」と衣紋伴ひ行かんとす。「〈詞〉コレ待った、若いの。かけ構はぬ人の肩持つも、夜打つ礫で当てがある。〈地〉いにたかこれに判していにや」と一巻さっと押し開けば、頼信近く立ち寄り給ひ、「〈詞〉ムヽこりゃ天下を望む謀反の連判。この連番を所持する汝は」「イヤ大将はこちらがお頭。行き来の人の心を試し、味方につけるは俺が役。見りゃ賤しうも育たぬ人、難儀救ふた返報に、〈地〉この連判に血判めされ」と、のっぴきさせぬ手詰めの難儀、頼信・衣紋は顔と顔、〈フシ〉ほっと吐息をつくばかり。
始終の様子を立ち戻り、窺ひ聞いたる三国左忠太、しすまし顔にうなづきうなづき、縁を下りしも後ろより、ぬっと差し出す古木の腕、忠太がたぶさ取るより早く、ぐっと引き抜く根引きの菊、〈フシ〉鼻息もせず死したりけり。
かくとも知らず雷同五郎、「〈詞〉ヤァこの場になって何猶予。一味が嫌なら今の侍、呼び戻し憂き目を見せうか」「サァそれは」「サァ何と」と〈地〉詰めかけられて難儀の瀬戸際、「〈詞〉イヤ若いお人、気遣ひせまい。討手のやつらは片付けた」と、〈地〉生首腰に数珠繋ぎ、すっくと立ったる有様は、只者ならず見えにけり。「〈詞〉ヤァお頭か、いつの間に」「ヲヽ壬生から戻る野外れに寄り集まる、関白が家来ども、様子あらんと一々捻ぢ首、戻りかゝるこの堂に、大事を聞いたるこの侍、見逃しならず一蓮托生」と、〈地〉話すを聞くに赤染が、こはさに側へ頼信の、手を取りそっと立ち上がる。「〈詞〉コレ若いの、こはいこともなんにもない。一味が嫌なら心次第、そのかはりに懐中にあるそっちの連判、こゝへ出せ、受け取らふ」と、〈地〉いふにびっくり頼信・衣紋。「〈詞〉ハテさて隠すまい、知ってゐる。頼光が弟源頼信、諸国の軍勢催促し、帰国したか重畳々々」と、〈地〉聞いて頼信身を固め、「〈詞〉それがしを頼信と知り、諸国の軍勢集むる大事を、〈地〉知ったる汝は何者ぞ」と、詰め寄り給へばせゝら笑ひ、「〈詞〉あくちも切れぬ分際で、我が名を問ふて何にする。一天下を覆さんと謀るそれがし、軍用に暇なければ、国々廻らす隙がない。幸ひ汝が所持する連判、それがしが手に入れば、諸国は残らず我が味方。こまごと言はさず受け取れやっ」と、〈地〉梅の節根に尻かたげ、寛々たる面魂、〈フシ〉逃れつべうは見えざりし。
雷同五郎突っ立ち上がり、「〈詞〉かふ我々が見入れたからは、逃げても逃さぬ。サァ連判渡すか、命を取らふか、〈地〉何となんと」に赤染が、心消え消え、気も消え消え、「〈詞〉ヤレものゝふならば、〈地〉物のあはれは知るぞかし。自らはともかくも、夫の命助けて」と、泣きわぶれども耳にもかけず「〈詞〉サァ連判渡すか、頼信何と、何となんと」と〈地〉せりかくれば、ものをもいはず座したる優美。「〈詞〉ヤァ返答せぬは不敵者、〈地〉この世の暇くれんず」と、段平するりと抜き放し、ちゃうど打つをかいくゞり、「ヤァ聊爾あるな、手向かひせぬ」と、連判かしこへ投げ出だし、飛びしさって両手をつき、「〈詞〉今日より頼信も、〈フシ〉お味方申す」と敬へば、
見向きもやらず高笑ひ、「〈詞〉ハヽヽヽヽ、その手もある。真実味方すればとて、小野郎一人娑婆塞げと思へども、頼光を計るてだての一つ、引っ括り館へ連れ行け」「〈地〉かしこまった」と小腕取って三寸縄。「のふ情なや」と立ち寄る赤染、同じく容赦も荒縄に、括し上げたる雷同五郎、「〈詞〉でかした、でかした。この連判の手に入るも吉左右々々々。もはや暮前、渡辺が屋敷へ赴く時節到来」「ハァそれを存じて雷同が、とくより用意仕る」「イヤ小賢しい、用意とは何か用意」「今宵渡辺が屋敷へござるお頭の、心を固むる用意はこれ」と、〈地〉風呂敷開き取り出だす兜、鎧は入日に輝く緋威ひおどし。「〈詞ノリ〉ヲヽよくも図りし、うゐやつ、うゐやつ。二人を片付け後より来れ」と、〈地〉鎧兜を小脇にかい込み、〈三重〉飛ぶがごとくに「駆けり行く。
春雨の音静かなる一館、頼光の家臣渡辺綱、羅生門の変化を従へ、三七日の物忌みと、門戸を閉ぢて取り籠もれば、聞き伝へたる家中の喜び、思ひ思ひの付け届け、取次のこしもとはした、口から奥へ行きつ戻りつ〈フシ〉櫛の歯を引くごとくなり。
「小笹、ちっと休みや。〈詞〉この間は主人渡辺様、羅生門で鬼神とやら変化とやらの、片腕を切ってお帰りなされし故、その武勇にあやかりたいと、一家中から毎日々々、この様に夜に入るまでの送りもの、〈地〉取次役にほっとくたびれ」「〈詞〉ヲヽ小品のいやる通り。したが物忌みも今宵ばかり、何とまぁその恐ろしい変化を切り取った渡辺様は、きつい手柄ぢゃないかいの」「アヽもふその話おいてたも。こはいこはいと思ふてゐるのに、ひょっと鬼神がこゝへ出たらどふしやる。ソリャ化け物が出るやら〈地〉笛が鳴る」とがたがた震へば「ヲヽあの人としたことが。〈詞〉あの笛は奥御殿、今宵も楽が始まるそふな。同じ築地の内でも、この屋敷は渡辺様のお部屋、奥御殿は頼光様の御所、雨夜のつれづれ、お伽にあそばす楽の調べ。化け物でも何でもない、〈地〉比興な人や」と〈フシ〉袖打ち覆ふ折からに、
門番の侍罷り出で、「〈詞〉御堂の関白公より、上使として月村丹下殿、御出でなり」と〈地〉聞いて皆々立ち騒ぎ、「御上使とあればこの通りお知らせ申そふ、皆おぢゃ、おぢゃ」と妼ども、〈フシ〉打ち連れてこそ奥へ入る。
遠慮会釈もぬっと出る、影恐ろしき師走の月村、こなたへ出づる渡辺が、礼儀に屈める腰刀、携へ末座に敬へば、のし上がったる面つきにて、「〈詞〉このたび羅生門において、変化の片腕切り取りし由、主人関白殿の聞に達し、それがしに参り実否を糺せよとの仰せ。さるによって只今推参。片時も早くそのかひな、お出しやれ渡辺、見分せん」と、〈地〉てっぺいひしぎにちっとも動ぜず、「〈詞〉天地の間にそれがしが、恐るべきは主人頼光たゞ一人、そのほかは蝿虫同然。ハヽヽヽヽ、その主人の上覧にさへ、未だ入れざる変化の片腕、関白殿の仰せかしこまったと、得こそは承知いたさず」と、〈地〉こともなげに言ひ放せば、「〈詞〉ヤァ存外なる渡辺。当時関白公の仰せは勅諚も同然、違背せば頼光が身の上ならん。物忌みも今宵限りと聞き及ぶ。夜明けまでは待ってくれん、明け六つがごんと鳴ると、いやでも応でも吟味する。まづそれまでは奥で一睡、馳走申し付け召され」と、〈地〉弱みはくはぬ関白の、〈フシ〉家来は奥へ入りにけり。
渡辺は後見送り、「〈詞〉ハテ合点の行かぬ」と〈地〉諸手を組み、思案に塞がる裏門口、主は誰とも白雪に、見紛ふばかりぼんぼり綿、塀際近く立ち寄りて、門の戸ほとほとおとづるれば、源五耳にや入りたりけん、「〈詞〉夜に入って忍びやかに門を叩くは何者なるぞ、用事あらば表へ回れ」と〈地〉いふにいよいよ身を差し寄せ、「〈詞〉そふいやるは綱ではないか、コレ津の国の伯母がきました。こゝ開けてたべ甥の殿、〈地〉伯母ぢゃ伯母ぢゃ」といふ声に、聞き捨てならず門に立ち寄り、「〈詞〉コハ珍しき伯母御のお出で。早速対面いたしたけれど、さる仔細の候ひて、三七日の物忌み、出仕さへいたさぬそれがし、一家なればとて私の対面叶はず。用事あらば重ねてお越しなさるべし」と〈地〉にべなき詞に打ち恨み、「〈詞〉末は知れどもその元知らずとは和殿がことよ。父母に離れみなしごとなったる汝、この伯母が育て上げ、頼光の股肱の臣といはするは皆自らが陰ぢゃぞよ。〈地〉その元を忘れ、はるばる逢ひに上ったものを、門前から帰れとは、よふもいはれた人でなし。義理知らず恩知らずを、慕ふてきたが悔しいくやしい。詞かはすもこれ限り」と立ち帰らんとするところ、「ヤレ待ち給へ」と下部に言ひつけ、門の戸開くそのうちに、渡辺庭に下り立って、「〈詞〉ハァ御もっともなる御恨み。幼少より育てられ、産みの親とも存ずるそれがし、心安さの今の詞、重々謝り奉る。〈地〉まづまづこなたへ、こなたへ」の詞にさすが親しき仲、心も解けて打ち通り、「〈詞〉そふいやれば腹も立たぬ。イヤ源五、聞けばそなたは羅生門で、変化の腕切ったといふが、それが誠か」「なるほど羅生門にて変化に出合ひ、片腕切り取り立ち帰り、晴明の指図を受け、三七日のこの物忌み」「ヲヽあっぱれ手柄、〈地〉さすがは伯母が育てから。〈詞〉何とその腕一目見せてたもらぬか」「イヤその儀は」「サァ姫御前のあられぬ望みなれども、年寄っての話の種、この伯母が一生の頼み。ムヽうつむいてゐやるは嫌か。ハテ嫌なものをたってといふもこちの無理、もふ見ますまい、見ますまい。〈地〉ドレ帰らふ」と立ち上がる、折から勝手騒がしく、「後室様の御入りなり」と〈フシ〉呼ばゝれば、
「〈詞〉ハテ折悪しや、気の毒千万。伯母御の望みも黙しがたし。奥にてよろしく計らはん。〈地〉まづまづ一間へ、一間へ」と〈中ヲクリ〉伴ひ「てこそ奥に入る。
将軍の母君と、かしづかれたる御法みのり御前、屋敷の内はきさんじに、末武が妻唐花、ふせやといふて貞光が、おかもじなれぬ派手姿、召し連れ廊下に立ち止まり、「〈詞〉渡辺の屋敷といへど同じ軒端、供は入れぬ。唐花・ふせや、大儀であった、休んでたも」と〈地〉人をいたはる後室の、詞を察して二人の女、「しからば後方お迎ひに」と別るゝ二人、出迎ふ夫婦、「こは冥加なき御入来」と、〈フシ〉畳にひれ伏し敬へば、
御法御前しとやかに、「〈詞〉ヲヽ渡辺夫婦、この頃は打ち絶えし。変はることもなかりしか」と、〈地〉仰せになほも頭を下げ、「〈詞〉このたび主人の仰せを蒙り、羅生門の悪鬼退治、三七日の物忌みに出仕も怠り候ところ、御機嫌良き御容態、この上の喜びなし」と、〈地〉詞に妻も手をつかへ、「〈詞〉只今夫が申すごとく、晴明様のお指図で、三七日の物忌みも、丁度今宵が満ずる夜。明けなば早々上様の、御機嫌を伺ひにと、思ふに図らず今宵のお成り。〈地〉もし気遣ひなことではないか、憚りながら御様子、〈詞〉ホヽヽヽヽ、私としたことが、夫を差し置き出過ぎたこと、〈地〉お許しなされてくださりませ」と会釈こぼれて見えければ、後室も打ち笑み給ひ、「〈詞〉ヲヽ夜に入って来たりし自ら、夫婦ともに不審なは理ながら、少しも気遣ふ品ではなし。羅生門の変化退治しやった喜びやら、また一つには、勇ましい手柄話、聞かふと思ふてそれで来ました」「コハありがたき御仰せ。さりながら、申さば鬼畜に等しき変化、手柄と申すはおこがまし。〈地〉この儀は御免」と卑下する詞、「〈詞〉イヤそふでない。行き来の人を悩ませしとあればいはゞ朝敵、討ちとめしはあっぱれ手柄。ぜひとも聞きたいその夜の話」「〈地〉イヤどふあってもこの儀は御免」「〈詞〉ハテサテ辞儀もことによる。その時は毎夜の徒然、頼光の御前に若殿ばらが寄り集まり、政道の善悪、世間の雑談、話すうちにも保昌御前に進み出で、『東寺羅生門に鬼神住んで、行き来の人を悩ます由。早く討手を遣はされ然るべからん』と勧むれども、鬼神といふに聞きおぢし、我向かはんといふ者の、なきも理、腰抜け武士」と〈地〉気を持たされてこらへぬ半蔀、ずっと立って裲襠脱ぎ捨て、「〈詞ノリ〉夫渡辺末座にあって、『保昌の詞虚実は知らず、それがしかの地へ馳せ向かひ、実否を糺し参るべし。印をたべ』と乞ひければ」「ヲヽその時頼光、印の金札、渡辺に渡されしまでは聞いてゐる。サァこの後が聞きたい、聞きたい」「ホヽヽヽヽ。腰抜けとおっしゃったお詞に励まされ、思はず知らずの物語、〈地〉ついでながらお聞きあそばせ。〈詞〉綱は印を賜って、〈江戸〉すぐに館に立ち帰り、物の具堅め、たけなる駒にゆらりと乗り、印の金札、総角にさしもゆゝしく出で立ったり」話もありあふ門前に、よろふたる武者たゞ一騎、同じく金札小脇にかい込み、乗ったる馬にばいを含ませ、忍びやかに窺ふ有様、〈地〉内にはかくともしらま弓、「やたけ心の一筋に、宿所を過ぎて大宮を、南頭に歩ませし、〈下コハリ〉時は子も過ぎ丑三つの、暗き夜嵐、降る雨は、〈ナヲス〉丁度今宵の春雨に、似たりや似たり」〈中コハリ〉表の曲者、塀に身を寄せ耳を寄せ、聞くともいざや「東雲の、〈ナヲス〉近づくらんと一さんに、羅生門に馳せ向かへば、〈一セイカヽリ〉俄かに吹き来る風につれ、〈地〉ものすさまじく鳴神の、音はものかは鬼神の姿、夫が着たる兜を掴み、引けば引かるゝ柳の糸の、兜の締め緒引きちぎり、飛びしさって抜き打ちに、ちゃうと現か夢幻、ひらひらひらと〈コハリ〉その形、雲を起こして逃げ失せし。されども腕を切り取りしは、我が大君の国の徳、さらさら夫の手柄にあらず」と〈フシ〉袂に汗をひたしけり。
興に乗じてかの曲者、鞍坪にすっくと立ち、塀をひらりと飛鳥のわざ、怪しと影を御法御前、こなたの渡辺立ち覆ひ、見せじと計る折からに、家来一人慌たゞしく、「〈詞〉津の国の伯母御と名乗り、主人へ直にお目にかゝらんと、只今これへ」と〈地〉聞いて半蔀不審顔、「〈詞〉ハテ心得ぬ。連れ合ひの伯母御といふは、宵に見えて奥にござる。それにまたもや伯母御とは、申し源五殿、おまへは覚えがござりますか」「ハテ何にもせよこれへ通し、詮議も一つはお慰み。その者早く」の詞のうち、〈地〉出づる姿は渡辺が、尾花といへば秋草と、思へど夏の花あやめ、引きやわづらふ半蔀が、心の不審とつおいつ、こなたは何の気もつかず、御法御前と見るよりも、遥か末座に手をつかへ、「〈詞〉お珍しや後室様、源五が伯母千枝にてさぶらふ」と、〈地〉聞いて遥かに見やり給ひ、「〈詞〉ヲヽ久しう逢はぬ綱の伯母、そもじもまめで」「あなた様にも御機嫌で」と〈地〉いふ物ごなし、なりふりまで、似はせぬ本の伯母御様、「そんなら奥のが、ハテめんよふな」とあなたを見やりこなたを眺め、立ったりゐたり呆れる女房、心迷ふて渡辺も、両手を組んで〈ウフシ〉思案顔。
またもしきりに降る雨と、どっと吹いたる風につレ、俄かに奥の間騒がしく、「のふこはや、恐ろしや」と、こけつまろびつ逃げ出づる妼はした、「こは何事」と後室囲ひ立ったるところへ、色真っ青に月村丹下、「〈詞〉ヤレすさまじや恐ろしや。宵から来てゐた綱の伯母、一丈あまりの鬼神となり、『我が片腕を取り返す』といふかと思へば飛び上がり、アレ奥の間の破風蹴破り、そのあとは真っ暗闇」と、〈地〉きょろつく眼、千枝にばったり「〈詞〉ヤレ悲しや、また伯母ぢゃ。〈地〉許せ許せ」といっさんに、後をも見ずして逃げ帰れば、人々も呆れ果て、〈フシ〉たゞ呆然たるばかりなり。
綱は無念の拳を握り、「ヱヽたばかられしか、残念々々。いづくまでもぼっかけん」と奥をめがけ駆け行くを、「〈詞〉ヤレ待て源五、うろたへたか」と〈地〉伯母が詞になほもせき立ち、「〈詞〉ヤァうろたへたかとは何のたはごと。いづくまでもぼっかけて」「サァそれがうろたへ者。弓矢取っては誰憚らぬ渡辺、風を起こし雲を呼ぶその妙術を汝は知ったか。神変不思議を得たる変化、力業には叶はぬ」と、〈地〉いはれてはっと渡辺が、ものをもいはずどっかと座し、差添手早く抜き放す。「のふ何故の切腹」と、駆け寄る女房、驚く伯母、止めかねたる有様を、側にじろじろ御法御前、「ホヽヽヽヽ。〈詞〉さてたくんだり、拵へたり。誰あらふ頼光の家臣渡辺ともいはるゝ身が、マァ仁体にこそ寄ったもの。見苦しい、取り置きや、取り置きや」と、〈地〉いはれてぎょっと渡辺が、「〈詞〉何、それがしが切腹を」「ヲヽうそとも、うそとも、正真の赤うそ。まだそればかりぢゃない。変化の腕切り取ったといふもうそ。また今宵その手を取り返されたといふも、みないつはりの拵へごと」「ムヽ変化の所為をいつはりとは」「イヤあらがふまい、知ってゐる。羅生門の変化といふは、美女御前であらふがな」「サァそれは」「サァ何と」と、〈地〉問ひ詰められて言句も出ず、たゞ「ハッはっ」とばかりにひれ伏す源五、女房側から引っ取って、「〈詞〉羅生門の変化を美女君様とおっしゃるは、証拠ばしあってのことか」「ヲヽそれそれ、我が腕なりと取り返せし鬼神の姿、眼前見たる月村丹下」「黙れ千枝、その丹下といふがうその正銘。誠関白の上使といふは早木大学、三七日の物忌みも今宵限りと、将軍の館へ来たり、夜の明くるを待ってゐる。察するところ丹下といふは、汝らが回し者に極まった。伯母御お出での様子は知らねども、裏から抜けて二人前、〈地〉ホヽいかゐ大儀であったの」と、底の底まで見透かされ、三人詞投げ首し、〈中フシ〉手持ち無沙汰に見えにけり。
中に千枝が気色を正し、後室の前に膝つっかけ、「〈詞〉ヱヽ恨めしい御法様。いかにも御推量の通り、美女御前を守り奉り、羅生門に取り籠る夫仲時、討手に向かふは甥の渡辺。若君様を奪ひ取り、とりことはしたれども、将軍の上覧に入るれば変化の正体顕れて、殺さにゃならぬ若君、三七日の物忌みは命の日延べ、どふぞ助けて返してたべと、頼んだ伯母が詞を立て、その身は不覚者になって、鬼の腕を取り返されしと方便の情は、幼い時手塩にかけたこの伯母への恩返し。また二つには、綱がためにも元は御主人、満仲のお子の事と、たいていや大方心を砕いたことかいの。おまへばかりはでかしたとこそおっしゃらずとも、〈地〉見ぬ顔なされにゃならぬところ。〈詞〉正しう御前のおためには、真実お血を分けられた美女御前様」「サァその真実の子ぢゃによって、見逃しにはどふもならぬ。頼光ほどの大将が、羅生門の鬼神を美女丸といふことを知るまいか。その鬼を退治せよと、渡辺に言ひつけられしは、美女御前を斬れといふ心の謎。それと知りつゝ血を分けた我が子を助け、義理ある子の頼光へ、自らが立つべきか。〈地〉いかなれば父満仲の憎しみ受けし美女御前、親に背くを鬼子といふ、譬へに漏れず口の端に、羅生門の鬼よ鬼神と、聞くたびたびにこの母が、胸を貫く憂き思ひ、皆の衆の心遣ひ、忝いと言ひたい、礼を得言はぬ心のうちを推量して、〈詞〉コレどふぞ美女を討たしてたも。〈地〉義理故現在子を殺す、この母こそは鬼、鬼神。敵となり味方となるも、人の変化、天地の変化は、〈サハリ〉雨となり風となる、その雨風は防ぐとも、子故にこぼす涙の雨を、防ぐ宿りはないわいの」と、天下の武将の母君も、世を恨みたる御詞に、千枝は恨みもどこへやら、半蔀ももろともに、「お道理様」とどふど伏し、涙限りはなかりけり。
〈地〉渡辺突っ立ち一間より、携へ出づる一つの箱、御法御前の前に直し、「〈詞〉満仲公の後室、あっぱれながらさすがは女儀。頼光朝臣それがしを、羅生門の討手に向けられしは、さやうの小さきことならず。これこそ日の本の神宝、神璽の御箱。藤原仲時、奪ひ取って羅生門に立て籠り、鬼神と号し行き来を悩ます。美女御前は彼が片腕、その片腕を擒にせば、逆心の角も折れ、神璽はおのづと手に入らんと、大将の深き御賢慮。仲時心を翻すや、返答を相待つための三七日、案のごとく伯母千枝、夫が謀反思ひ止まりしその印と、この御宝を我に渡し、代りに若君、命を助け返しくれよと、頼むは思ふつぼながら、羅生門の変化の落着、世の人口を塞がんため、言ひ合せたる今宵の次第。〈地〉御宝も恙なく、御大将の手に入れば、謀反と呼ばるゝ手も切れて、身に曇りなき美女御前、〈詞〉助け返すも忠義の一つ。渡辺誤り申せしや、御察度あらば承らん。〈フシ〉御賢慮いかに」と相述ぶる。
御法御前横手を打ち、「〈詞〉ハァア助くる仁心、求むる智謀、神璽をもって取り替ふるとは、いやといはさぬ主従の志。忝しとも嬉しいとも、詞に余る情ぞや。たゞいつまでも変化と言ひなし、美女丸が名を隠すが肝要。ヲヽげにまこと、自らが手を離れ、津の国茨木の里にてひとゝなれば、皆人ごとに茨木童子と呼ぶと聞く。その茨木が片腕を羅生門にて切り取りしを、伯母と変じて取り返せしと、太政官の記録に記させ、末世末代渡辺が手柄とするが、せめてもの人々への恩返し」と、〈地〉仰せに開く胸の花、美女と名づけし幼な名を、恩にかへたる茨木童子、その片腕にて納まりし、〈フシ〉綱が手柄ぞ世に高き。
渡辺重ねて、「〈詞〉大切なるその御宝、一時も早く頼光の御覧に入れん。それがし供奉しまいらせん、〈地〉いざ御立ち」と勧められ、ぜひなくなくも立田山、楓を後に老木の花、しをるゝ千枝、半蔀に〈フシ〉別れて御館みたちに帰らるゝ。
後に二人が顔と顔、「〈詞〉案じるより産むが安いと」「ヲヽこれと申すも夫婦のおかげ、〈地〉お礼は重ねて夫の待ち兼ね、早お暇」といふうちより、「〈詞〉イヤ仲時はこれにあり」と、〈フシ〉美女君誘ひ立ち出づれば、「〈詞〉ヤァ蔵人殿、若君様もまだそこにか。サァサァめでたふ館へお供、〈地〉夫婦もろともいざいざ」といふを打ち消し、「〈詞〉ヤァ帰りたくば一人帰れ。頼光が首取るまで、この館は動かぬ」と、〈地〉いふにびっくり女房が、「〈詞〉何ぢゃ、頼光様の首取るとは、心を改めお味方申すと、わしに渡した今の神璽」「ホヽそれこそ偽物、誠の神璽はこれにあり」と、〈地〉鎧の引合せより恭しく取り出せば、「〈詞〉ムヽすりゃどふでも謀反を起こす気か」「ヲヽこの年月の我が大望、いたづらになすべきか。頼光が謀に乗ったる体にもてなし、偽物をもってたばかりしを誠と心得、若君を助けしは、天の時至るところと、破風蹴破って帰りし体に見せ、この館に忍びゐしは、奥御殿へ斬り込み、頼光が寝首を掻かん計略」と、〈地〉聞いて千枝が目に涙。半蔀凛々しく身を固め、「〈詞〉それとも知らずたばかられたか。女とても綱が女房、〈地〉仲時やらぬ」と詰め寄れば、「〈詞〉ヲヽ我とても身の言ひ訳、容赦はならぬ」と詰め寄る二人、〈地〉いつの間にかは雷同五郎、「〈詞〉ヤァお頭に敵たふ不敵者、かくあらんと思ひし故、宵より帰らず守護する雷同。女とて容赦はない」と、〈地〉いふを制して「ヤァ五郎、〈詞〉捨て置くとて女ばら何ほどのことあらん。我はこれより奥御殿へ斬り込み、頼光と雌雄を決せん。この御宝守り奉り、若君もろとも館へ帰れ、〈地〉急げ急げ」と御宝渡せば受け取る雷同、〈フシ〉美女君誘ひ立ち帰る。
「あら心安や」と鎧の上帯締め直し、御殿を目掛け駆け出づる。「〈詞ノリ〉ヤァそふはならぬ」と支ふる半蔀、隔つる千枝、〈地〉蹴飛ばし蹴飛ばし駆け行く御殿、折から始まる夜陰の楽、太鼓の音も笛のも、ひいひい声に二人の女、後を慕ふて「駆けり行く。
〈江戸〉間ごと間ごとを見切りの高塀、門も築地も飛び越えはね越え、〈ナヲス〉大将の御殿間近くのっさのっさ、広庭に立ちはだかり、「〈詞ノリ〉頼光が寝所へ斬り込む主馬蔵人、我と思はん者あらば、出で合へやっ」と呼ばゝれども、〈江戸地〉静まり返る夜陰の楽。「〈詞〉ヤァ落ち着き過ぎた楽人ばら。楽の太鼓を引きかへて、修羅の太鼓を打たしてくれん、〈地〉いで見参」と駆け上り、一間に掛けたる御簾引きちぎり、「こゝにはゐぬか、こなたの一間」また引きちぎる御簾の内、こゝも空しき唐絵の襖、正面・南面・居間・帳台、御簾も几帳も引き切り引き切り、尋ね廻り駆け廻れば、楽も静まり人音は、〈フシ〉無人城見るごとくなり。
「〈詞〉察するところ風をくらひ、館を逃げしに疑ひなし。ハテ残念や、何とせん。このまゝ空しく帰るとも、将軍の寝所まで斬り入りし、後日の証拠、〈地〉これ究竟」と、後ろの金札かしこに立て置き、立ち帰らんと見上ぐる軒端、額にありあり書いたる文字、「〈詞〉仲時こゝに至って死す、源頼光これを図る」と、〈地〉読みも終らずからからと打ち笑ひ、「〈詞〉ヤァ口賢く書いたりな。仲時死すか死せざるか、こゝへ出て相手になれ、逃げ隠るゝ腰抜けども。衣を断って存念を晴らせし、毛唐人を学ぶにはあらねども、頼光と書いたる文字、突き貫くが虫養ひ」と、〈地〉兜の鍬形引き離し、はっしと打つがとたんの拍子、ばっと燃え立つ合図の狼煙、あはやと見やる間もなく、俄かに聞ゆる鐘太鼓、〈フシ〉耳を貫くばかりなり。
「〈詞〉さては頼光が計略に乗り、早まって深入りせしか。よし何万騎にて囲むとも、何ほどのことあらん」と、〈地〉鎧づきして立ったるところへ、息を切って鬼同三郎、大童に駆け来れば、「〈詞〉ヤァ三郎、何故来たりし、仔細は何と」「さん候、御主人の留守を窺ひ、将軍頼光軍勢従へ、羅生門を十重二十重、厳しきこと鉄桶のごとく、味方の侍途方を失ひ、繋げる馬に鞭あをり、打てども射れども弦もなき、弓矢取っては稀代の名将、息をも継がず攻め討つ故、味方危ふく見え候。〈地〉早く御出馬あるべし」と、〈フシ〉申し捨てゝぞ引き返す。
「〈詞〉ヤァ出し抜かれたか口惜しや。〈地〉駆け向かって蹴散らさん」と、言ふ間ほどなく雷同五郎、朱になって刀を杖、「〈詞〉ヤァ御主人は恙なきか。〈地〉ハァ嬉しや」とかっぱと伏す。「〈詞〉ヤァ五郎でないか。何故に手を負ふた、性根をつけよ」と〈地〉聞くに苦しき息をつき、「〈詞〉それがし主人の仰せを受け、神璽とともに若君の御供し、四塚の辺まで参るところに、思ひがけなく頼光が手勢に巻かれ、御覧のごとくこの深手」と〈地〉言ふも切なきその有様。「〈詞〉コリャコリャ手は浅い、気を確かに。その後は何となんと」「口惜しや、神璽を奪ひ取られし」と〈地〉聞くより仰天、「〈詞〉シテシテ若君様は、ナヽ何とした」「御痛はしや美女君様も、乱軍のうちに御最期」と、〈地〉聞きも終らず〈詞〉何若君様は御最期とな。〈地〉ハァはっ」とばかりに腰も抜け、勇気も挫け立ったりゐたり、無念の涙はらはらはら、〈フシ〉霰玉散るごとくなり。
「〈詞〉ヲヽそのお嘆きもさることながら、生は難し、死は易し。いづくになりとも影を隠し、時節の至るを待ち給へ。サァ落ちさっしゃれ、落ちさっしゃれ」の〈地〉声も深手に苦しむ手負、こなたも血走る眼を見開き、「〈詞〉ヱヽそれがし供奉せば、かくやみやみとは討たすまじ」「ヲヽもっとも、もっとも。理ながら叶はぬ場所、一時も早く落ちさっしゃれ」と〈地〉いへど答へず兜かなぐり、「〈詞〉ヱヽさぞ御最期には、仲時をお恨みあらふ。〈地〉ヱヽ思へば無念」と鎧の上帯引きちぎる。「〈詞〉コリャこなた討死の用意よの。ヱヽ是非もなし、これまで」と、〈地〉よろぼひよろぼひ庭の井筒に片足かけ、「冥土の先駆け、おさらば」と、刀を腹にぐっと突き立て、〈フシ〉そのまゝ井戸へ真っ逆さま。
落ち入る家来を見向きもせず、「〈詞〉ヱヽ言ひ甲斐なきやつばらに、大事を預けし一生の誤り。この上は片時も早く、若君に追っ付かん」と、〈地〉どっかと座を組み差添抜き、「〈詞〉たとへ死すとも生きかはり死にかはり、この恨み晴らさいでおくべきか」と〈地〉怒り罵る折も折、「うせいうせい」と早木大学、千枝が髻引っ立て引っ立て、「〈詞〉良いところで出っくはした。神璽のありかはおのれならで知る者なし、サァ真っ直ぐに白状せい」と、〈地〉きめつけられて何とせん方見やる方、「〈詞〉ヤァ仲時殿か、我が夫か」と〈地〉いへど答へも眼を閉ぢ、氷の刃腹にぐっと突き立つる。「〈詞〉のふ悲しや、若君様を殺され、それ故の切腹か。ヲヽさぞ無念にあらふ、〈地〉わしも生きてはゐぬ覚悟」と身を焦れども動かせず、「〈詞〉サァ言へ、言はねばかうぢゃ」と〈地〉かたへの水鉢突きつけ突きつけ即座の水責め。上には苦痛に苦しむ手負、ほとばしる血は早瀬川、筧に落ちて皆紅。夫が無念に凝ったる血潮、皮肉に入りしかたちまちに、か弱き姿引きかへて、獅子奮迅の荒れたる勢ひ、大学が襟上取ってもんどり打たせ、足下に踏まへ突っ立てば、〈フシ〉ぐっともいはず死してげり。
なほも逆立つ気は半乱、「〈詞〉若君の仇、夫の恨み、晴らすは頼光、いづくにある」と〈地〉奥をさして駆け行く向かふへ、半蔀・ふせや・唐花が、「どっこいやらぬ」と立ち塞がり、「〈詞ノリ〉大将の寝所間近く、姫御前の無遠慮千万。止まり給へ」としっかと抱く。「イヤ小賢しい」甥嫁の血筋も切れて多聞天、〈地〉増長・広目・毘沙門の、勢ひなして振り離せば、横にころりと投島田、〈詞ノリ〉兵庫鎖にあらねども、繋ぎとめんと両方より、〈地ノリ〉差すは両差し花かんざし、薄ともぢる腰車、くるくるくると風車、吹上髪の根取り良く、〈トル〉姿乱れぬ片笄。さすがは武士のおかもじと、乱れ合ふたる秋草の、萩もあらはに争ひしが、「イヤ面倒な」と突き退け突きのけ、押しのけられてさっと退く。なほも尋ぬる御殿の隈々、こなたへ忍びくるすか藤太、篠崎八郎なんどゝいふ、名に負ふあら身の槍提げ、隙を窺ひ付け回す。千枝はそれとも白書院、降り立つ目先へ突き出す槍、ひらりとかはす間もなく、また突っかくる穂先と穂先、篠を乱して「戦ひしが、
只者ならぬ働きに、叶はず皆々逃げ散ったり。「〈詞〉ヤァ無益の腕立て、暇費やし」と〈地〉なほ奥深く進むところに、正面の襖さっと開き、源頼光、美女君の装束改め、渡辺夫婦、伺候の武士、各々素襖掛烏帽子、〈フシ〉悠々として座したる有様、
「〈詞〉ヤァおまへは美女君様。御安泰にましますか」と〈地〉喜び半分不思議なは、「〈詞〉雷同五郎・鬼同三郎、そこにどふして、その訳は」と〈地〉いふ声聞いて手負も起き立ち、「〈詞〉何若君は安穏とや」と〈地〉眼を開き見回し見回し、「〈詞〉ヤァ眼前死したる雷同五郎、その場にあるはいかにいかに」「ヲヽその不審、もっとも、もっとも。とくより汝が家来となり、肌許さしてこのごとく、詰腹切らせんそのために、わざと死したる体に見せ、井戸より抜けしこの五郎は、頼光の家臣卜部末武」「ヲヽこの鬼同は碓井定光。汝が悪事の隠し目付、頼信公御夫婦も、恙なく取り返せし」と、〈地〉聞くたびごとに無念のほむら。渡辺進んで御前に手をつき、「〈詞〉御賢慮のごとく、偽物を受け取りたはけとなって謀りし故、誠の神璽こと故なく、御手に入って候」と、〈地〉聞くにつけ見るにつけ、五臓をもみ切る手負の苦しみ、「することなすことかほどまで、見探されしか、口惜しや。無念々々」と身をもがき、金札取ってめりめりめり、折ったる中に怪しき一通。女房目早く押し開き、「〈詞〉ヤァこりゃ満仲公の御遺状」「ドレドレ誠に、こりゃどふぢゃ。〈フシ〉これはこれは」と呆るゝ夫婦。
頼光涼しき御声にて、「〈詞〉美女丸を大切に思ひ過ごせし悪心なれば、助けたくは思へども、禁庭の聞こえやむことを得ず計らふ頼光、天下に弓引く主馬蔵人、切腹せしその上は、美女に犯せる科はなし。父満仲の御遺言の通り、今日より源頼国と名を改め、頼光が跡目相続。その金札こそそれがしが、心を込めし寸志の餞。受け喜びて成仏せよ」と、〈地〉情の詞にさすがの仲時悪念発起、「〈詞〉アヽ愚なるかな、妄なるかな。誠をもって堅めたる一天下に、邪非道のへろへろ矢、太刀も刀も立つべきか。いかなればそれがしは、かく情ある大将に、〈地〉仕へぬのみか後々末代、朝敵謀反の名を残す、浅ましき前世の悪業、〈詞〉今ぞ断ち切る、いづれもさらば」と〈地〉きりゝきりゝと引き回す、その手に縋る千枝が嘆き、突き退け突きのけ合掌し、庭の溜まりへ落ち入って、はかなく息は絶え果てし、「ハァはっ」とばかりに女房が、そのまゝそこにどふど伏し、〈フシ〉前後涙に取り乱す。
頼光わざと御声高く、「〈詞〉かゝる勇士の妻とも覚えぬ不覚の嘆き、汝知らずや胎内には、夫が筐を残したり。その証拠こそ眼前に大学を殺すといひ、か弱き女に似合はぬ働き、察するところ夫が血潮、胎内に宿せしに疑ひなし。人とならば不思議の勇士、我に得さゝば臣下となさん。〈地〉これこそ主従固めぞ」と、折れたる金札携へ給ひ、「〈詞〉この金札の頭字と、父仲時が一字を合せ、金時と号すべし」と、〈地〉仰せにはっと喜びの、また悲しさも尽きせぬ別れ、是非なくなくも立ち出づれば、「コレのふしばし」と半蔀が、「たゞならぬ身を持ちながら、どこをせうどに出で給ふ」「ホヽ生所も知らず、定むべき宿とてもなきこの体、〈謡〉たゞ雲水をしるべにて」「〈詞ノリ〉ホヽ尼法師とも様をかへ、菩提を弔ふなんどゝいふ、生ぬるい性根にて、腹な倅を養育とはおぼつかなし」と励ます渡辺、「ヲヽ理なり、さりながら、〈地〉身二つになるまでは、惜しからざりし黒髪も、剃らでこのまゝ山に入り、春は梢の花かいらぎ、伐木丁々ゑいやっとふに心冴えゆく秋の夜は、月を灯りに学ばす武芸、さてまた冬は峰の雪、谷の氷も厭ひなく、踏み分け踏み分け登る山、身は鉄石もつんざく武士と育て上げんはこの母が、一念鬼女の心をなして」「〈詞〉ヲヽもっともなる千枝が詞。宵には変化と見せたる姿、たゞ山姥と人や見るらん、〈フシカヽリ〉よし見るとても恥しからず、邪正一如と見るときは、鬼とてなどか隔つべき」隔てぬ情、頼光の、跡目も納まる古今の勇士、〈詞ノリ〉末武・定光・綱・金時、〈地〉その出生までお命をと、思へどかいなき死出の山、山また山に山姥が、見る目苦しき山廻り、行方も知らずなりにけり。


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