「伊達錦五十四郡」翻刻 三段目

〔道行都のつと
ひな人に姿ばかりはやつせども、詞に知るゝ卿の君、恋しきつまは陸奥に、ありと聞くより思ひ立つ、供は千種が神かけし、伊勢小京太武盛の、竹の杖とも柱とも、田面たのもの月の一つにて、水に映れば二つ三つ、いつかはなれぬ御旅路、泊まり泊まりも定めなく、逢ふ日を数へ松本や、堅田の浦の片頼り、近江と聞けばゆかしくて、粟津と聞けば〈サハリ〉気がゝりや、ほんに世界のならひとて、義理ほど辛いものはなし、心に誠のある者は、必ず愚痴のあるものと、涙とともに〈ナヲス〉落ちてゆく、〈フシヲクリ〉人目「包みのいろいろに、
千草八千草、繁り合ひたる恋仲を、言はで目元が知らすれば、あとにうなづく京薄、菊や桔梗の折違へ、野は十分の花いくさ、華々しかりし御威勢も、さがなき風に散らされて、ついに都を落ち葉焚く、賤が妹背の睦まじさ、このあばらやに住むとても、君と一所に見るならば、都の月も変はらじな。アヽうらやまし浦山を、よそに美濃路の追分や、かゝる難儀にあひの宿、たゞ一夜さへ忘られず、互ひにしめつしめられつ、かはいと言ひし朝烏、それが二人の名残かや。君は痛はしかたし貝、逢はぬ辛さにくらぶれば、旅の辛さはまだ軽く、思ひある身は秋風も、いとゞ身にしむ夜半の床、〈二上リ歌〉夢になるとも逢ひたや見たや、夢に浮名は、さんさ、よも立たじ。よしなやさ、まれに逢ふ夜はうつゝか夢か、語る間もなき、さんさ、短夜や。よしなやさ、里のうたかた我が身の昔、もの思へとか〈ナヲスフシ〉つらにくや。
世を忍ぶ身は主従も、目立たぬ様に道隔て、引き下がりたる義盛が、〈サハリ〉袖や袂にさらさらさっと降りかゝる、時雨がゑがく初紅葉、木草の色は変はれども、二人が色は二世までも、変はるまいぞや川面の、池に立ち寄り水鏡、見ればいつしか乱れ髪、底の藻屑に争ひて、〈地〉アヽ恥しやさりながら、恋しき人に逢ひもせで、誰に見よとて三上山、隔てられたる日陰の身、野路の笹原音すれば、鳥より先に驚きて、直なる道を横田川、これも浮世の浮き沈み、一度はありと夕まぐれ、吹く秋風に鳴く虫を、抱いて散ったる木々の葉の、〈サハリ〉今は時雨を染め返す、濃き紅の袖口の、包めど漏れて落人と、つゐ白川の橋越えて、急げど遅き坂の下、〈ハルフシ〉人目の関を打ち晴れて、たゞいつまでもかはい村、伊勢は我らが本国の、生まれ故郷や小京太が、氏神と申し奉るも、恐れ多しや〈コハリ〉天照す、神の誓ひの違はずば、謀計は一旦の利潤たりとも梶原が、悪事もつゐに顕はれて、〈ナヲス〉主君は御世に泉川、流れも深き源の、御名は響く鈴鹿川、再びもとのみたち川、まだ初川はかち渡り〈三重〉安宅川にぞ「着き給ふ。
道中筋は人絶えなく、鼾かく人駕籠舁く人、肩次第なる世は情け、旅は道連れ二三人、面くせ悪いが勝手にて、人にはよけて通さるゝ、野外れに立ちやすらひ、「〈詞〉長九郎よ、九助よ、このだゞ八は何してゐるぞい」「さればやい、もふ来そふなものぢゃ。〈地〉南無三、ばらばらそばへがきた。幸の辻堂、コレコレこゝに良い床几。地蔵の若衆になってやろ」と仏の膝へ尻どっかり、向ふへくるも乗りかけ馬、〈歌〉男は小さくてもナ、コリャ相撲にゃ強いと思ふてナ、来たのにおまん女郎はねごいよ、「〈詞〉サァ親方、こゝが約束の辻堂ぢゃ、下りた下りた。ヱヽぼっこしもない重たい葛籠、そして何やらぐゎさぐゎさとほてっぱらめが、ゑだ骨が折れたかして、二里の道を五里ほどもかゝった」と、〈地〉一杯ねだる足代に、「旦那危ない静かに」と下ろす辻堂、「〈詞〉ヲヽ来たかだゞ八」「ヤァぐひん、げんのみ、けんねじか。わいらに売らふと思ふて、良い代物持ってきた。馬子よ、売ってから駄賃増して払ふは。その葛籠中開けてそこへ出せ」「〈地〉おっとまっかせ」細引きほどき、開ける中からにょきにょきと、十一二なる幼子の、顔は涙にわかちなく、泣声とめし猿轡、馬子も「これは」とびっくりし、開いたる口の古葛籠、生き物盗んで世を渡る〈フシ〉人買ひとこそ知られけれ。
「〈詞〉ヲヽこりゃけふはいかふ猟がきいたの」「ヲヽ亀山で掴んできた。サァ買ふたり、ふるぞ」と〈地〉首筋掴んで宙に引っ提げ「〈詞〉サァなんぼ、なんぼなんぼ」「一貫よ、一貫よ一貫よ」「一貫二百、一貫二百一貫二百」「一貫五百、一貫五百」「二貫二貫」「〈地〉サァ二貫に値がなった」と連れて退けばその次は「〈詞〉五百、五百五百」「何ぢゃはいこいつは、色は黒けれどたくましい生まれつき、ヱヽ洟垂れてをるで値がない、こっちゃ向け、かんでやろ。ヱヽ何のかのと世話になる餓鬼め、俺が恩あだに思ひをんな。ソレさっぱりとなった。捨て売りにしても八百ぐらゐ。ヤァ八百よ、八百よ八百よ」「〈地〉ヲイ八百」と取り替へる、銭さしよりも爪長き、欲のくまたかまた一人、顔も手足も青じらけ、たゞおろおろと泣くばかり。「〈詞〉ヱヽどんなやつぢゃ、コリャヤイ、貧乏な親のうちにゐよふより、生きた肴のたんとある、面白い島へ売ってやる。サァこいつは病い者と見えて、七百かい。七百よ、七百よ七百よ」「もっと買へ、もっと買へ」「もちっと買ふて七百五十。五十五十五十」「負けてやろぞ。これでさらりと」〈地〉四も五も食はぬすっぱども、めいめい子供を受け取れば、だゞ八は銭読んで、「馬方駄賃」と投げ出だす。「〈詞〉百三十にソレ二十の増し。ヱかたじけない、始めから合点の行かぬお人ぢゃと思ふた」「コリャ必ず脇で沙汰するな」「なんのいな、馬子といや馬の子、それでさへ食ひ兼ねるに人の子を売って食ふとは、結構な御商売」と〈地〉増してもらふたお前追従。「〈詞〉イヤだゞ八、こっちにも良い鳥を見つけておいた。二十歳ばかりと十七八のをなご、うち一人は町人け離れた気高い風俗。あとになり先になり、よっぽどついて見たが、よう聞けば卿の君とて、お尋ね者の義経のてかけ。訴人せうと思へども、ひょっと褒美くれぬのみならず、こちとらが身の詮議などにあふたら、笠の台の落ちること。危ないことせうより、かどはかして売るが上分別、引っ掴んでこふと思へど、そばにゑらいやつがついてをる。〈地〉あいつらをまく仕様も道々工夫しておいた。コリャかうかう」と吹き込めば、すぐに呑み込む蛇仲間、生きたる人を取って食ふ、赤鬼黒鬼「餓鬼めらうせい」と引っ立つれば、「ほてっぱらめ」と追ふて行く、現在餓鬼道畜生道、あとに地蔵は残れども、〈フシ〉この世の鬼は是非もなき。
卿の君とはいひながら、長の旅路に田舎びて、ならはぬ道の疲れにや、心地悩ませ給ひければ、小京太夫婦御手を引き、他事なく介抱申しけり。三郎身を悔やみ、「〈詞〉ヱヽ無念や、去年義経公、西国御発向の折からは、武威に恐れ、面を上ぐる者もなかっしに、〈地〉御運尽くれば宿々の出女にも心置き、この伊勢の国はそれがしが本国なれども、〈詞〉立ち寄らん方もなく、故郷の者にも隠れ忍ぶ様になり果てし、〈地〉武運の末の浅ましや」と〈スヱテ〉侍泣きにぞ泣きにける。
「〈詞〉ヲヽ親人、お気悪い折から、いまはしき御述懐。世間は憂きもの、姫君もくよくよと思し召すな。追っ付け御兄弟御仲直り、玉の様な若君を御平産なされふ」「ソレソレ、それにあやかって、わたしも早ふ腹帯をする様になりたうても、〈地〉とかくおまへが不調法な」と千種がつかつか、小京太は気の毒顔、目はぢきすれば「〈詞〉アヽわしとしたことが、こりゃ差し合いぢゃのにヲヽ笑止」と〈地〉言ひ直すほど悪ふなる、髪のわげ目やもつれあふ、〈フシ〉二人が仲ぞ睦まじき。
卿の君は辻堂の仏の前に手を合せ、「何とぞ夫に逢はせてたべ、再び御世に出してたべ、和子を安々産ませてたべ」と思ひある身は何やかや、取り集めたる願ひごと、〈フシ〉菩薩も憐れみ給ふべし。
以前の人買徒党を引き連れ、ばらばらと駆け来り、「逃さぬやらぬ」とおっ取り巻く。三郎姫を後ろにかこひ、「〈詞〉逃さぬとは昼鳶どもか。〈地〉ちょこざいして怪我まくるな」と言はせも立てず口を揃へ、「〈詞〉イヤ盗賊でない、我々は鎌倉の家来、姿を変へて卿の君の詮議に来た。尋常に姫を渡せ、異議に及ばゞ打ち殺せ。なんとなんと」と罵れば、「そふ聞いてからは許されぬ、一人も残さず撫で斬り」と、〈地〉二尺八寸抜き放し、まっしぐらに斬ってかゝる。言ひ合せたることなれば、二打ち三打ち渡り合ひ、逃げ行くを逃さじと〈フシ〉十町あまり追っかけたり。
姫君、千種は気も気ならず、小京太手早く姫君のうちかけ取って千種に着せ、「まさかの時は合点か」「心得ました」と健気の覚悟、袖引き通す衿つくろふ、二人が油断だゞ八が、いつの間にかは姫君を引っ掴んで駆け出だす。「弓矢八幡渡さじ」と、顛倒半乱、小京太が、命限りと追っかくる。千種は悲しさせん方涙、うろつく後ろに人買ども、「おのれもうせう」と引っ立て行く、襠はるかに三郎が、「南無三宝しなしたり。〈詞〉姫君返せ」と呼ばゝる声、〈地〉耳にもさらに聞き入れず、逃ぐるも追ふも根限り、野辺の草花散り次第、〈三重〉踏み立て蹴立て「揉ふだりけり。
だゞ八は逃げ抜けて、息をも継がず桑名の浜、悪事を繋ぐ人買舟、待ちもふけたる徒党ども、「できたできた、だゞ八」と言ふ間も嵐を追ひくる小京太、「姫をやらじ」と取りつくを振り放して、舟へひらりと飛び乗ったり。「〈詞〉どっこいそうは」と引き留めるを、〈地〉徒党の船頭飛び上がり、むしゃぶりつくを取って投げ、起き上がるを抜き打ちに、肩先よりずっぱと斬り下げ、逃ぐる一人を後ろ袈裟、仏倒しに倒れ伏す。すかさぬだゞ八櫂の柄に、突かれて「うん」と小京太が、ひるむ間に「してやった」と、たくみも十分、帆につれて〈フシ〉姫を奪へばあと白波。
三郎に追っ詰められ、逃ぐるやつばらなんなくぼっ詰め、眉間真っ向当たるを幸い打ちつけ投げつけ張り飛ばせば、助かる者も荒磯に逃げ回る長九郎が、首筋掴んでどうど打ちつけ、「まづ姫君は御安体」とよくよく見れば「〈詞〉ヤァ千種か。さては姫君は奪はれたか、〈地〉ハァはっ」と動転に、小京太もむっくと起き、「何姫君は敵の手へ。ヱヽ口惜しや」とばかりにて、三人顔を見合せて〈スヱテ〉途方に暮れて見えけるが、
「〈詞〉おのれ察するところ、梶原が郎等よな。姫君のありか真っ直ぐに申せ」と〈地〉踏みつくれば、「アヽ申し申し、〈詞〉舟がある故梶原とお見立ては違ふた違ふた。姫君様をひ取りましたも、悪い気ではいたしませぬ。高がつゐあなたを売って、金にせうと思ふたばかり。発頭人はだゞ八といふ、上総の国の人買。これより他には、アヽづゝない、〈地〉命お助けお助け」と言はせも果てず首打ち落とし、「〈詞〉倅喜べ、まづ安堵。鎌倉へさへ捕はれねば、御命には別条なし。落ち着くところは上総の国、奪ひ返すは今のこと。とは言ひながら義盛が、〈地〉かくまで武運に尽き果つる、忠義始めの千種と小京太」「上着を替へたが却って誤り、たとへ奪ひ返しても、義経公の御前にて、〈詞〉親人何と」「申し訳は腹一つより、ハァハァハァ」〈地〉わっと嫁子が泣き出だす、涙の隙も怠りと、諫める父も力さへ、泣きも泣かれぬ憂きことの、上総の国を志し、〈三重〉慕ひ行くこそ「涙なれ。
波打ち寄する国問へば、悪七兵衛景清が、生まれ故郷の上総の国、里離れなる柴の戸は〈フシ〉汐風のみぞおとづるゝ。
海辺のいさご踏み立てゝ、先から先へ泊まりなしの三蔵、取った口綱水車、馬追ひ立てゝくるあとから、「〈詞〉ヲヽイ、待ちをれやい」と〈地〉どやぐあごたも鬼殺しのだゞ八、鞍ひっとらへて「待ちをれといへば待ちあがれ、〈詞〉ろくだまに聞きもあがらずどこへうせりゃ」「ヲヽ桑名でしてきた代物、何でも馬方、してこいとこゝまでつけて来ても、仲間にせにゃ盗んでいて、俺一人が銭にする」「ヤイ馬鹿つくすな。シテそのをなごどこにあると思ふていきゃ」「ハテこゝにをる座頭の坊がところへ、われが預けたを」「知ってゐるか、ゑいはれ、仲間にしてこまそまで。したがわれがいたらよふ出すまい。俺が受け取ってあとから行かふ」「そんならちがへなよ。ちがへをったらもぐはる」と、〈地〉欲に乗ったる馬方が、〈フシ〉横に行く道ゆがむ道。
あと見送ってだゞ八は、庵の前につっぱたかり、「〈詞〉戸がさいてあるはおめく寝てか。ちっと逢ひたい、用がある、〈フシ〉だゞぢゃだゞぢゃ」とつかふど声。「〈詞〉アヽかしましかしまし。〈地〉盧生が栄華の半ばにて、二十四年の春秋を、夢には見れど目には見ぬ、盲目の身となり果て、日向の国へ退きしが、非常の大赦に召し出され、閑居の国をおのが名に、日向勾当とさまをかへ、頭を包む僧帽子、あやしの衣身にまとひ、覚むるをもって昼となし、眠るをもって夜を知る。そもこの身は何故ぞ、故郷へ帰れど晴れ着もなく、指を折っては公達の、過ぎ給ひしに憂きことを、数へ上総の国人の、憐れみ受くる景清が身の上、深山桜の見る人も、なきをせめての頼みかな。〈詞〉ハヽハヽハヽよしなきめくらのよまいごと。〈地〉さぞ待ちかね」と探り出て、簀戸押し開き「今の声はだゞ八よの。〈詞〉用事とはいかなることぞ」「イヤ別のこっちゃない、まづこの中は厄介預けて世話でやんす。銭にしてから礼言はふ。連れにきた、渡してもらを」「ムヽお礼とは何のお礼、渡せとは何を渡せ」「ハテこゝに預けておいた」「預けておいたとは何を誰に」「ヱヽどんなわろぢゃ。こなたに預けたをなごのこと、すぐに大磯へ売らふと思へど、根が仕事したもの故、ちっとの間うづんでおこふと、目の見えぬが幸のこなたに預けた」「アレまだや。をなごとはどこのをなご。わりゃ夢を見やせぬか、但しめくらをなぶりに来たか。呑んでゐるか酔ふてゐるか、〈地〉じゃれなじゃれな」と取りあへねば、袖ちりけまでまくり手に「〈詞〉ヤイ俺を誰ぢゃと思ふぞ。異名でも知れ鬼殺しのだゞ八。真っ黒な目を抜いて、われ一人良いことせうとは、横着などうめくら。良いよい、わりゃもとが侍なりゃ、預からぬといふに違いもあるまい。預からぬものは断りなし、持って行くに言分ない。〈地〉そふぢゃそふぢゃ」と言ふより早く、奥をさして駆け入れば、「ヤァ狼藉な」といふ間もなく、奥にはわっと泣く声の、卿の君をひんだかへ、ほくそづいて躍り出で、「〈詞〉大事の代物人手に預け、うっかりとして良いものか。〈地〉大盗人め」とはったと蹴すへ、駆け出でんとするところを、ずんど立って走り寄り、めくら掴みにひっとらへ、卿の君を奪ひ取り、「〈詞〉預からぬと言へば預からぬにして帰りはせで、詮議立てはにっくいやつ。〈地〉こっちへうせう」と片手に引っ提げ、片手に門の戸しっかと閉め、「〈詞〉景清が御主人、平大納言時忠卿の御息女卿の君、傾城遊女に売らんとは、逆磔にもかくべき大罪、天罰のほど思ひ知れ」と〈地〉腰なる手巾しゅきん解く手も見せず、のんどにまとふてぐっと引く。きゃつもしれ者、手を差し入れ、抜けん抜けんともがけども、強力強勢及ばゞこそ、目玉ぎろぎろ七転八倒、見るにハァハァ卿の君、「こはやこはや」の震ひ声。「〈詞〉アヽこれこれ、こはいことはない。コレサコレサ、御家来の景清が、おために悪い様にはせぬ」「それでもそなたそのやうに」「サヽそんなら傾城に売られる気か。ハテさてさて埒のあかぬ」と〈地〉ぐっぐっぐっとしめつけしめつけ、鼻に手をあて「よしよし」と静かに死骸を縁の下、奥深く押し隠し、「まづまづあれへ」と卿の君の御手を取って上座に移し奉り、主従の礼儀恭しく、「〈詞〉このほども申し上ぐるごとく、兄弟の仲隔たり、義経漂泊の身となれば、付き従ふ伊勢三郎さへ力尽き、懐胎の御身を預かりながら、人買のだゞ八ごときにやみやみと奪ひ取られしを、思はず景清に預けしは、三世の奇縁深ふして、御運の未だ尽きせぬ印。〈地〉とは言ひながら誰あらふ、平大納言時忠卿の御息女卿の君、女御后にも備はり給ひ、一天の君の御添ひ伏しともなるべき身が、怨敵あだかたきの義経が脇妻、妾と謙り、あまっさへ落人とまでなり果て、重き御身を痛はしや。あっぱれ昔の御威勢ならば、医術典薬左右を守り、御一門のもてはやし、御平産の御祈り、御産所の営みも夥しかりつらんに、産着一つの用意もなく、賤のにも劣ったる御有様、もったいなさ」とばかりにて、瞼を漏るは見ゆる目も、〈中フシ〉見えぬも同じ涙なり。
袖を絞りて卿の君、「つれなき人にかどはされ、思はず逢ふは嬉しけれど、小京太夫婦、義盛も、さぞや尋ねん、知らせたや。我がつまのおはします、奥州とやらへやってたも。早ふ行きたや逢ひたや」と、恋に乱るゝ陸奥の、しのぶに余る御風情。「〈詞〉ヲヽ御もっとも、御もっとも。〈地〉とにかくにそれがしが、良きに計らひ参らせん。〈詞〉ヤ、遠山寺の六つの鐘、さぞ暗ふなりつらん。〈地〉かい灯して参らせん」と、探り出だせし燧箱、陣松明のためならでもたぬ燧をこっちこち、「〈詞〉火が移りましたかな。慮外ながらこの硫黄へおともしなされて下され」と、〈地〉行灯引き出し灯心も、憚り多き油さし、さして人目はなけれども、「宵の間はまづ奥へ、いざゝせ給へ」と御供し、〈色ヲクリ〉庵「深くぞ入りにける。
その国と聞きしをせめて便りにて、伊勢小京太武盛は、千種もろともそこよこゝ、卿の君の御行方を尋ねわびしき松の門、思はずこゝにたどり来て、「〈詞〉のふ申し小京太様、卿の君様を奪ふてきた、人買舟は上総の国といふをしるべに、尋ねてきてもあてもなく、〈地〉この様に日を送るうち、もし御身の上に虚事あらば、悲しいことにはなるまいか」と言ふもおろおろ涙声。「〈詞〉ヲヽその案じはもっとも。卿の君様を奪ひしは、この国の舟とは聞けど、もしも道にかゝらんかと、湊々を残らず詮議、今朝親人に立ち別れし時言はれし通り、海手海手が物ぐさし、それ故に手分けして、出会ひ所はこの姉崎との契約も、〈地〉日が暮れたればおのづから御ありか知れがたし。人里遠きこの離れ家、宿借ってよそながら、手掛かりになることもや」と立ち寄る軒は景清が、住みかと知らぬ門の口。思はず拾ふ櫛一枚、提灯差し寄せよくよく見れば、千種が見覚えまがひなき、笹竜胆の御紋付は「〈詞〉ヤァ卿の君様のお櫛ぢゃお櫛ぢゃ。こゝに落ちてあるからは、この家にござるに疑ひなし。奪ふたやつに違ひはない。〈地〉サァ踏ん込んで詮議を」とせり立つ口に手を当てゝ、「〈詞〉声が高い声が高い、御在所知るればなほもって荒立てられず。詮議なんどゝ声高に言ひなしては御身の上も気遣ひ。〈地〉何気なく行き暮らしたる体に見せ、宿を借って詮議せん。我に任せ」と小京太が、せき立つ胸もとんとんと、しづめて叩く門の戸に〈フシ〉「案内もふ」と言ひ入るゝ。
景清胸にや徹しけん、耳そばだてゝゆるぎ出で、「〈詞〉この国に捨てられし盲目、問ひくる人は誰やらん」「北国方へ参る者、連れにはぐれて宿知らず。〈地〉一夜の御無心たゞ二人、簀の子の端に」と言ひければ、「〈詞〉ナニ連れにはぐれしとや。さぞ難儀、さりながら、〈地〉主はめくらの独り住み、壁のこぼれも漏る月も、我が家ながら知らぬ身が、宿を貸すべき様もなし。〈詞〉今少し先には、居並びて宿を貸す、泊りありと聞き及ぶ。〈地〉連れもそこには泊りつらん。早急がれよ」と教ゆるにぞ、「これはこれは忝し。〈詞〉そのお詞に甘へ、お宿の御無心ほかでなし。連れの女が足を痛め、一町も行かれず。〈地〉ひらさら御無心申したし」と、無理につけ込む詮議の種。景清何とか思ひけん、しづしづと簀戸押し開き、「〈詞〉ハテさて笑止千万や。シテはぐれし連れとは男かをなごか」「アイ、女中様でござんす」「ムヽさもあるべし。その名は何といふ人ぞ」「〈地〉アイそれは卿」「〈詞〉コリャコリャ女房、いふてから御存じないこと」「ヲヽそれも理。さぞやこの盲目が、杖失ひし心地せん。〈地〉いざこなたへ」と案内に、案内せられ小京太が、右のかひなの振り合せ、取るよりぐっと捻じ上ぐれば、「こりゃ何する」と言はせも立てず、景清からからと打ち笑ひ、「〈詞〉卿の君を奪ひ返さんとはあざときてだて。両眼の日月は暗くとも、大地を照らす日月をまなことするこの盲目、頼朝・義経討ち亡し、卿の君を守り奉り、再び平家に翻さん、存念叶ふて巡り合ふ景清、何気なく帰さんと思ひしに、御櫛の落ちしを拾ひしこそ汝が不運。軍陣の血祭り覚悟せよ」と、〈地〉言ひも終らずづでんどう、手鞠のごとくもんどり打たせ、足下にしっかと踏みつくれば、「コレのふそれは」と取りつくを、「ヤァ面倒なとちめらう」と取って引き寄せ小脇にかい込む隙間を見て、起き上がらんともがけども、いっかな揺るがぬ仁王脛、踏みつけ踏みつけ、踏みつくる物音に、「何事かは」と卿の君、走り出でたる灯の影、「ヤァ君様か」「〈詞〉そふいふは千種か、小京太ぢゃないかいのふ。〈地〉粗相しやんな、コレ景清、科ない人を何故に」ととゞめ給へば声を荒らげ、「〈詞〉何故とはこなたを世に立てんため。御家来の悪七兵衛景清、義兵の血祭り只今」と、〈地〉締め殺さんとするところを、「マァマァマァ待って下さんせ。〈詞〉そんならおまへが悪七兵衛景清様でござんすか、〈地〉さてはわたしがとゝ様か、のふ懐かしや」と言ふ声にびっくりし、「〈詞〉景清と聞いて親と言ふは、この場を逃れんための謀りごとか、まっすぐに白状せよ。〈地〉語れ、聞かん」と投げ退くれば、「わたしが母様は、〈詞〉亀江かめがえやつに朝霧といふ白拍子。景清様と馴れ初めてもふけし娘はそなたぞや、〈地〉十八日のほのぼの明け、人丸といふ幼な名を、巡り逢ふ印にと、聞いてこっちに覚えのある」「〈詞〉シテシテ今まで我が子ぞとは」「〈地〉サァ申さぬは源氏の代、平家の種を憚れと、それも詳しい御遺言」「さては我が子か、我が娘か」「のふ父上か、懐かしや」と取り付き嘆けば景清は、小京太を取って引き立て、「〈詞〉娘に添ふ汝は我が聟。さては景清が聟娘は、義経の大恩受け、今まで命を繋ぎしよな、〈地〉ハァはっ」とばかりにどうと座し、〈フシ〉呆然としていたりしが、
あつきため息ほっとつき、「〈詞〉ハッアあっぱれ景清こそ、前代未聞の功の者といはれんと思ひしは、僻言でありつるよな。壇の浦の戦ひに、箕尾谷みをのやが錣を引きて、大力の名を顕せしが、はからずもまなこひて駆け引き叶はず、日向の国に身退き時節を待つ折から、平家は早かうこそと聞くも叶はぬ盲目の身、無念や両眼明らかならば、義経が首取って、大将の見参に入れんものと、まぶたを掻いて悔やみのあまり、腹切り死なんと刀に手をかけしも度々、戦場に討死せば御一門と首を並べ、獄門にさらされんに、犬狼の餌食となって、むだ腹切るも口惜しく、生き延ばゝったる折に幸い、義朝追善の大赦として、勾当の官を与へ、本国上総に蟄居せよと頼朝が下知。シヤ時こそ来れ、諂ひ飾って頼らんと、姿を変へし日向勾当、主君の姫に思はずも逢ひ奉り、つぶさに様子を承れば、へッヱ無念や穢らはしや、敵義経が種を懐胎、何とせん。よしよし腹は借り物なれば、快く御平産なし奉り、生まれ落つるは敵の筋、一刀に刺し殺し、義経が冥土の先駆けさせ、女儀ながらも君を守り立て、再び平家の世にせんものと、思ふは一途に先の見えぬ、盲目の垣覗き、思はず知らず景清が娘は源氏に奉公する、主君の姫は源氏に添ひ、源氏の種を懐胎あり、娘も源氏に縁組んだれば、平家の縁は我一人、御一門面を合はせてさへ打ち負けたる平家の業運、いかぬことに骨を折るも、悪心の悪七兵衛、今日只今改むれば、娘の縁に引かれしなんど、笑はゞ笑へ言はゞ言へ、力みをやめて七兵衛坊主、日向勾当、恥もなければ無念もなし。ハヽハヽハヽ、〈地〉面白の境界や」と、工み込んだる五臓六腑、子故に砕くる一念発起、景清が身の懺悔。いつの間にかは表より、立ち聞く伊勢三郎が、心も落ち着く小京太夫婦、昨日の思ひ卿の君、少し心の晴れたるは、二度ながら降る明月の、〈フシ〉明くる日さへた心地なり。
千種はとりわけ嬉しくて、「卿の君様に逢ふた上、年頃父上恋しさの、願ひ叶へばまた一つ、とてものことにお目が見えて、わたしが顔もごろじゃって下さったらば」と泣きければ、「〈詞〉ホヽ父が目が見ゆるならばナ、もふとうに討死して、一生親子知らずにすむ。〈地〉見えぬこの目で親子逢ひ見る。のふ聟殿、一徹者の血を分けし娘、さぞいぶりにあらふ、見捨てばし下さるな」「これはこれは御挨拶。〈詞〉我ら伊勢三郎が倅、小京太武盛と申す者。舅殿を景清殿とは、初めて承りなほもって喜び」「でござるか、ヲヽ聟殿の筋目とても憎からず、重ね重ねの喜びついで、〈地〉引き出物致さん」と言ひつゝ探っていづくより、刀一腰取り出だし、「〈詞〉今言ふて聞かす通り、義経の種なりとも、討って本意を達せんと思ひ込んだる腸、今改めても偽りと疑はれんは必定。改めたか改めぬか腸を切りさばいて、聟殿に落ち着かせん」と〈地〉言ひも終らず抜かんとする、間もあらせず門より駆け入る三郎が、刀をてうど踏み落とすはづみを打ってどっかと座し、「〈詞〉粗忽すな景清。かく言ふは伊勢三郎、互に戦場にて高名の名乗りは聞いつ。参会は今初め。もっともかなもっともかな、先刻よりの段々参りかゝってつぶさに承知、命を捨つるより上の誓言なければ、さらさらもって疑はぬ一つの頼み、倅小京太を相添へ、卿の君を貴殿に預ける。それがしになりかはり、〈地〉奥州の主君義経公に御引き合はせ申してたべ。倅忠勤怠るな、さらばさらば」と刀の柄、「コレのふそれは」と取り付いて、「親人狂気し給ふか」「義盛粗忽しやんな」と嘆かせ給へば無念の涙、「千騎、二千騎の敵にさへ後ろを見せぬ義盛が、〈詞〉わづか二人か三人の人買ごときに君を奪はれ、切先でも奪ひ返すか、景清が手にあって、御供申し候と、何と主君に申されう。〈地〉亀井・片岡・武蔵などに、この面が合はされうか。止め立てして親に恥かゝすか、未練者め」と嫁子を左右に突きのけ突きのけ、刀すらりと抜き放す。「どっこいさせぬ」と景清が、飛びかゝって鍔元しっかととらへたり。伊勢三郎不審して、「〈詞〉コレサ景清、この鍔元を止めたるは、その方は目が見ゆるか」「誠にそれよ、今刀がちらりと見えた。まなこつぶれての光も見えぬこの目に、今刀が見えたは不思議、ハレ不思議」と〈地〉とゞめし手ながら振り回せど、「こりゃ見えぬ、〈詞〉ハレ合点の行かぬ。鞘を離れ、鯉口より切先まで、今ありありと見えたるは、ハテさて不思議なこの刀。〈地〉必定名剣ごさめれ。重代か拝領か、〈フシ〉まづ語られ」と言ひければ、
「ホヽこの刀にこそ三郎が、人らしき手柄もあれ。〈詞〉合戦治って、内大臣宗盛父子を擒とし、義経鎌倉に下り給ひし時、梶原が讒言によって、主君は腰越にとゞめられ、生捕りを渡すべきの由、義盛警護を承り、鎌倉に送り入れる折節、永福寺の御堂供養、人夫の中に怪しき曲者、魚の鱗をまなこに入れ、眇となって入り込み、頼朝公の御座近く忍び入らんとするところを、走りかゝって右の肩先一刀に斬りつけし、何条しれ者手を負ひながら、抜き合せて打ち合ひしが、深手にや弱りけん、よろばふところを畳みかけ討ちとめし、彼が差いたるこの一腰、立ち帰って義経公の御覧に入れ、すぐに賜り差いたる刀」「ムヽしてして、その曲者仮名はいかに」「こと急なれば名も尋ねず」「さてその刀の作りはいかに」「〈地〉ヲヽ頭と縁は蘭菊に狐の彫り物、目貫は那須野の殺生石、鍔には透かしの犬追物」「シテまた中子は」「二尺八寸。無銘なれどもあっぱれ上作」「〈詞〉サヽサヽサヽその焼刃は大のだれ、刃むねへ廻ってあらざるや」「なるほどなるほどその通り」「その討たれし者の年恰好は」「六十近き頑丈男」「ムヽ色黒ふして左の鬢先」「ヲヽ矢傷と見えて癒えたる跡あり」「〈地〉ヤァア」とばかり刀押っ取りすっくと立ち、「〈詞〉それこそ我が兄上総五郎兵衛忠光、その刀は景清が秘蔵のあざ丸。盲目となり日向の国へ退く時、筐とて渡せしが、〈地〉却って兄が筐となり、見えぬこの目に見えたるは、最期を我に知らせしか。〈詞〉西海の戦ひ生死も知れず、流れ矢にや当たりつらんと、無念に無念を重ねしに、頼朝を狙はんとて、鎌倉に忍び入り、さては御辺に討たれしよな。最前も言っしごとく、義経には敵たはねど、親とも頼みし兄忠光、目には見ずとも眼前の敵、逃さぬ三郎、参りそふ」と〈地〉めくらなぐりに打ちかくる。抜いたる刀ではっしと受け、「せくな景清。〈詞〉我が君への申し訳に、切腹する命なれば、敵討ちでは得死ぬまい。めくら相手に返り討ちもおとなげなし。〈地〉思案しかへて出直せ」と詞について卿の君、「コレのふ景清早まるまい。どふぞ思案はないことか」「とゝ様どうぞ了簡して、斬り合ひやめてくだされ」と、心うろうろ小京太も〈フシ〉まなこを配ってひかへたり。
景清刀を引きもやらず、「〈詞〉さ思はゞ返り討ちに我を斬れ、尋常よのつねのめくらと違ふこの景清、汝を討って卿の君は義経へ送り届ける。〈地〉臆せずとサァ勝負」と、さっと引いて打ちかくる。また受け止めて「まづ待てまづ待て、〈詞〉汝が持ったその刀も、とっくと見れば確かに見覚え」「ヲヽ待賢門の戦敗れ、落ち行くところをぼっかけて討ち取ったる、伊勢巌頼義列いせのがんらいよしつらが持ったる太刀」「ヤァさればこそ、目覚え違はずそれこそ我が親。不興を受けてその戦に出合はざるに、〈地〉知らぬ敵を知ったる刀、最前脛にて踏んだる時、思はず足へこたへしは、父が刀であったるよな。〈詞〉親の敵悪七兵衛、そっちから逃しても、こっちからもふ逃さぬ」「ヲヽそっちのためには親の敵、こっちのためには兄の敵。この景清容赦はせぬ。あいやけ同士敵同士。コリャ娘こゝへこよ、〈地〉こゝへこゝへ」と手を取って、つかつかと表の方、突き出して戸を引き立て、「〈詞〉ヤイ千種、けふ初めて逢ふた親子、縁はこれまで、勘当ぢゃ」「ヱヽ」「ゑいとはおのれが心に問へ。敵の倅と添ふたる娘、景清が子ではない」「〈地〉これのふそれはどうよくな」「〈詞〉ヤァどうよくとは馬鹿者め。たとへ討っても討たれても、景清が子でなければ、添はれぬといふ夫もない。〈地〉恨みごと言ふ口があらば、『よう勘当して下さった』と、なぜ礼はぬかしをらぬ」と叱れば三郎感じ入り、「〈詞〉君子は危うきに近づかず。〈地〉まづこなたへ」と卿の君を無理に表へ伴ふて、我が子も門へ突き出だし、立てる門の戸「〈詞〉ヤァさてはこの小京太も」「ヲヽ知れたこと。サァ景清、邪魔払ふた、踏ん込んで斬るぞ」「ヲヽいしくもしたり、いざ参る」と、〈地〉待ちもふけたるだんびらもの、真っ向かざして斬りつくる、狙ひはそれて行燈の、〈フシ〉土器二つに真の闇。
三郎喜び「出かした景清、〈詞〉そっちはめくら、こっちは暗闇、勝り劣りのない勝負。参る」と声かけ打ち合はす、〈地〉互に声を狙ひの的、はっしはっしと太刀音の、聞こえる表は我が体を、切らるゝよりもなほ辛く、押せども強きかけ金に、「コレのふ待って、のふ待って」と焦る内にはゑい声の、勇むばかりにむだ打ちは、子のかはいさに斬られんと、互に思ふ親心、知らで泣く子がハァハァハァ、「お慈悲余った御勘当、大事の場をよそにして、何とまだまだ見てゐられう。父より先に」と抜く刀、「イヽヤわたしが」「イヤ俺が」と、せり合ふ二人をとゞめかね、「これのふ死ぬるといやるはいのふ」「イヤァ」と表へ三郎が、出づる足音「こりゃこりゃこりゃ、〈詞〉逃ぐるは卑怯か臆したか」と〈地〉人は制して我が行く、「その足音は景清逃ぐるか、〈詞〉叶はぬ卑怯か、サァどうぢゃ」と〈地〉言へど心は戸の外へ、「もし早まりはしをらぬか、ヱヽ必ず死んでくれなよ」と心に言へど得も言はぬ、互の心差し足に行き当たっては「〈詞〉おくれたか」「やらぬ」「逃さぬ」〈地〉言ふたるばかり、心は門に「〈詞〉ヲヽそれよ、刺し違へて、夫婦一緒に死ぬならば、敵討ちは互に済む。この世の敵、未来の夫婦、〈地〉覚悟は良いか」と大小を、抜き取る二人を暗紛れ、「〈詞〉小京太、千種、待っていのふ。一人でどふも止められぬ、〈地〉止めてとめて」と御声を、聞いてたまらず表の戸、めりめりぐゎったり踏み破り、目開き、めくらの差別なく、駆け出で探り引っとらへ、「〈詞〉おのれらが助けたさに、勘当したが気がつかぬかやい」と〈地〉言ふも一緒の声に恥ぢ、「〈詞〉そこ止めたは義盛か」「そこ止めたは景清か。出まいと思へどこの足が」「ヲヽ俺もこの手が止めに出た」「こりゃ俺が嫁女か」「そんならこれはほんに聟ぢゃ。〈地〉思はず知らず取り違へて、止めたも不思議に深い縁。〈詞〉子に迷ふと叱っておくりゃんな、未練なと笑ふてくださんな。〈地〉愚痴も恥辱も世の誹りも、まさかの時は思はれぬ、面目なうござるは」と取り乱しては義に強き、武士も女もわかちなく、前後不覚に見えにける、理せめて哀れなり。子故の闇の夜は明けて、しのゝめ告ぐるとりの声、三郎はっと心つき、「げにそれよ、敵討ち怠れり。〈詞〉ヤァ倅どもよっく聞け、親々が討ち果たすに、汝らが刺し違へて、姫君は誰が介抱。粗忽せば七生まで。サァ景清」「げにもげにも。止めんとして怪我すな」と、〈地〉覚えの刀拾ひ取り、「サァ参らふ」と立ち向かふて斬り結ぶ。「のふ情なや、こりゃまぁしやうは」泣いても止めても聞かばこそ、せん方尽きたる後ろより、刀を支へて投げ込む俵。「ヤァ面倒な」となぐり捨て、打ち結んだる真ん中へ、「待てまて、待てまて待て」と出でたる馬方三蔵が、左右の柄を両の手に、しっかと握ってとゞめしは、何かは知らず人々の〈フシ〉嬉しさたとへんかたもなし。
伊勢三郎声荒らげ、「〈詞〉何やつなれば邪魔ひろぐ。汝が知ったことでなし、〈地〉すっこんでゐよ」と言はせもあへず、くっくっと吹き出だし、「〈詞〉平家で景清、源氏で義盛、二人が刀を一どきにかう止めた手の中は、なみなみの馬方でないと、ほてっぱらに覚えがあらふ。この馬方が親方は、畠山といふ大ばくろ、義経の残党を、見つけ次第にから尻と、頼朝公からお伝馬うけ、詮議するは乗りかけばかり、関所関所もつゝがなう、大目に見て通し馬、そのためのこの馬方、伊勢の桑名でだゞ八めが卿の君を奪ふたを、南無三宝荒神と、ついてきた目早馬は、何と良い仕合せ馬、畠山の手飼ひ馬は、うそでないほんだ、ナァこの本田」〈地〉本田本田と己が名を、馬によそへてはね廻せば、「ムヽさては畠山重忠の家臣本田次郎近経、義経一類助けんため」「アヽこれこれ、〈詞〉次郎とも近経とも、あからさまに名を言ふては、鎌倉殿へ主人が不忠。たゞいつまでも馬子の三蔵、〈地〉両人が敵討ちもまた不忠、討たねば不孝、両方を取り外さぬこの刀、こっちへ渡せ」とひったくり、「〈詞〉義盛が刀を景清が腰に差せば、景清が腰を貫く道理、景清の刀もまた義盛が腰に差せば、義盛を刺し通す。刀は互の引出物、聟も娘も死なずに済む。〈地〉得心あれ」と取り替へて、両人が手に渡し、「三郎生まれは伊勢の人、相手は名を替へ日向勾当。〈詞〉伊勢の人の魂と、日向の人の魂と、入れ替はればことは済む。ナ心得たるか」と頓智の詞、〈地〉はっと喜ぶ親と親、伊勢や日向の物語と、〈フシ〉言ひ伝へしはこのことかや。
本田重ねて「ヤァヤァ方々、これより先には関々あれば、関所の切手参らせん」と、以前の俵ひっぽどき「これこれ小京太。〈詞〉この笈摺にこの菅笠、姿やつすは秩父が計略。〈地〉秩父坂東観音順礼同行四人、早とくとく」と勧むれば、「何から何までお心ざし、指図に任せ御用意」と、夫婦てんでに三郎も、「〈詞〉死なんとせしは不忠の不忠。とかく主君に奥州へ」「ヲヽヲヽヲヽヲヽ、道の案内はこの馬方。〈地〉どうでもお世話宿々で」「娘介抱怠るな。〈詞〉おのれも無事で御先途を、景清が目のかはりに〈地〉見届け申せ」と教訓も、また立ち別るゝ親子が涙、「とゝ様おまめで」「景清さらば、御息災で」と暇乞ひ、恩愛主従哀別離苦、見送る目さへ耳に借る、あとに心のひかれつゝ、行く足音も真砂路に、打ち寄る波に聞こえぬは、もしも遠くやなりぬらんと、垣につっぽり「〈詞〉早いたか」「とゝ様さらば」「まだ行かぬか、〈地〉娘さらば」とばかりにて、〈謡カヽリ〉互に声を聞き残す、これぞ親子の〈ナヲス〉筐なる、これぞ親子の筐なる。

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