能「文覚」私作復曲台本
※詞章は「未刊謡曲集」続19によりました。節章に関しては、前掲諸作に準じました
文覚
無名氏 作
シテ 文覚上人
(前)角帽子(沙門着け)、水衣、白大口、腰帯、着付-厚板、持物-扇・数珠 (後)前に同じ ただし笠を被り鞭を持ち、文を懐中する
ツレ 六代の乳母
面-深井、鬘、鬘帯、唐織(着流し)、着付-摺箔
子方 六代
稚児袴、着付-縫箔(モギドウ)、持物-扇・数珠
ワキ 北条時政
梨子打烏帽子、白鉢巻、直垂、着付-厚板、持物-小刀・扇
ワキツレ 工藤三光盛
梨子打烏帽子、白鉢巻、側次、白大口、着付-厚板、持物-小刀、扇 のちに太刀を後見より受け取る
同 斎藤五・斎藤六
素襖、着付-無地熨斗目、持物-小刀、扇(二人同装)
同 輿舁き二人
白大口、腰帯、着付-厚板(モギドウ)
作り物 輿
太鼓なし
場所 京都および駿河
季節 冬
先に子方登場してワキ座に座る。ついでワキ、工藤三登場。ワキは常座で名乗る。工藤は地謡付近に座る。
ワキ これは北条四郎時政にて候。さてもこの間平家の棟梁六代御前、嵯峨の奥菖蒲谷大覚寺と申すところに忍びて御座候を、良き案内者をもって昨日の暮れほどに生け捕り申して候。大事の囚人にて御座候ほどに、やがて誅し申さばやと存じ候。(子方の横、地謡寄りに座る)
〈次第〉の囃子でツレ登場。鏡板に向いて謡う。
ツレ(次第、拍合・弱)
「松を時雨の山風や、松を時雨の山風や、高雄の寺に参らん。(地取の間に正面へ向く)
(サシ、不合・弱)
「これは小松の三位中将の御子、六代御前の御めのとにてさむらふ。さても昨日の暮れほどに、六波羅の武士情けなく、若君を抱き取り申し、今日明日のうちに御命、失はれ給ふべき由披露あり。聞くに目もくれ心消え、あるにもあらぬ詞かな。
(以下詞)ある人の教へて申すやう、高雄の文覚上人は、慈悲心深くましませば、
(不合・弱)
「かの上人に会ひ奉り、若君を乞ひ受け申せとの、人の教へにまかせつゝ、
(下歌、拍合・弱)
「涙は袖にをちこちの、たつきも知らぬ山道を、夢のごとくにたどり行く、夢のごとくにたどり行く。
(上歌、同前)
「馴れにし花の面影を、馴れにし花の面影を、別れの後に残して、さるにても、恋しき涙人知れず、見えなばもしやなき名に、いひ立てやせん高雄山、寺にも早く着きにけり、寺にも早く着きにけり。
(一の松あたりへ行き、幕へ向かい)いかにこの内へ案内申し候。
シテ登場、三の松付近に立つ。
シテ 案内申さんとはいかなる者ぞ。
ツレ(不合・弱)
「これは小松の三位中将の御子、六代御前の御めのとにてさむらふ。乳のうちより育て申しゝ主君を、東の武士にとらはれて、涙に咽びさむらふなり。(正面へ向く)
(クドキ、同前)
「若君失はれ給ふならば、北の御方、我らまでも、一日片時もこの世のうちに、いかでながらへさむらふべき。たゞ上人の御慈悲にて、若君を乞ひ受け給ふならば、生身の如来の御誓ひと、ありがたく思ひ申すべしと、
地謡(拍合・弱)
「かきくどき嘆き申せば、かきくどき嘆き申せば、げにあはれなりさこそはと、思ひやられて、墨染の袖を濡らしけり。げにや主従恩愛の、別れを思ふ身のほど、あはれみ深きことはなし、あはれみ深きことはなし。(二人シオる)
シテ さて若君を抱き取りし、武士の名をばなんと申しけるぞ。
ツレ 北条とかや申し候。
シテ さては時政上洛よな。よも叶ふまじとは存じ候へども、それがし罷り下り、申し受けうずるにて候。まづまづ我が家に帰り給へ。
シテ舞台に入り、常座に立つ。入れ替わってツレ退場。
いかにこの内へ案内申し候。
工藤 (立って)誰にて渡り候ぞ。(進み出て)や、上人の御下向にて候。
シテ 文覚が参りたる由御申し候へ。
工藤 かしこまって候。こなたへ御参り候へ。
工藤、もとの座に戻る。シテ中央に出てワキと対座。
シテ いかに北条殿へ申し候。
ワキ 何事にて候ぞ。
シテ 只今は何のために御上洛にて候ぞ。
ワキ さん候、只今罷り上り候こと余の儀にあらず。平家の棟梁六代御前、嵯峨の奥菖蒲谷大覚寺と申すところに忍びて御座候を、昨日の暮れほどに案内者をもって生け捕り申し候。
シテ さてその六代御前はいづくに御座候ぞ。
ワキ これに御座候。
シテ そと見申したく候。
ワキ やすき間のことにて候。これへ御入り候へ。
シテ(立って子方の前へ出)あら痛はしや。御最期近く見えさせ給ひ、小さき数珠をつまぐり、思ひ入りたる有様、文覚が骨髄に通り御痛はしく候ほどに、いかさまにも助け申し候べし。(もとの座に戻り座り、ワキに)いかに北条殿へ申し候。
ワキ 何事にて候ぞ。
シテ この六代御前を都にて誅し給ふべきか、また鎌倉へ具足し給ふべきか。
ワキ 大事の囚人にて御座候ほどに、これにて誅し申し候べし。
シテ もっともにて候。この六代御前を二十日の間御待ちあって給はり候へ。
ワキ それはなんと申したることにて候ぞ。
シテ それがし鎌倉に下り、六代御前の御命を乞ひ受け申し候べし。
ワキ これは仰せにて候へども、やはか頼朝御承引候べき。
シテ なにとそれがし申すとも、御承引あるまじきと候や。
ワキ さん候。
シテ 我らもかやうに申すは、一つは頼むところあって申し候。いでさやうのことを御辺も御存じぞかし。(正面へ向き)一とせ文覚流人となって、伊豆国蛭が小島に流されし時、配所も同国なりしかば、常に参りて申すやう、『世間の体を見るに、平家ははや末になりて候。あっぱれ御謀反然るべし』と申す。その時我が君の御諚には、『謀反企てたくは候へども、院宣綸旨なくてはいかでか思ひ立つべき』とのたまふ。いでさらば都に上り、院宣綸旨取って参らせんと、やがて蛭が小島を忍び出で、さすが流人のことなれば、昼は人目を憚り山に入り、夜はまた海道を登る。ある時は天龍大井川の洪水に渡り掛かり、水に溺れて死なんとせし時もあり、ある時は高瀬原の山賊に取りこめられて、一命を捨てんとせし時もあり。されども難なく都に上り、院宣綸旨給はって、頼朝に奉る。その時我が君の御諚には、『上人の御恩生々世々、いかでか忘れ申すべき。いかさま世をも取るならば、方のごとくの恩をも報じ申すべし』と、堅く御約束のありしぞかし。すなはち院宣綸旨、東八ヶ国になされしかば、ほどなく雲霞の勢をもって、栄ふる平家を滅ぼし、源氏一統の世となし給ふも誰故ぞ。ひとへに文覚がわざにてはなかりけるか。(再びワキへ向き)されば御約束を頼みにて、今このことを申すなり。かまへて二十日のそのうちに、六代誅し給ふべからず。
(不合・強)
「文覚が左右を待ち給へと、
地謡(拍合・強)
「ゆふつけの鳥が鳴く、ゆふつけの鳥が鳴く、東に下りさうぞとて、座敷を立って出でけるが(シテ立って常座へ行く)、立ち帰り約束を、違へ給はば時政に(ワキをきっと睨む)、思ひ知らせ申さん、文覚恨み給ふなと、言ひ捨てゝ出で給ふ、心の内ぞ恐ろしき、心の内ぞ恐ろしき。
シテ橋掛かりにズカズカと入り、そのまま退場。
〈アシライ〉で輿舁き二人が輿を持って登場、続いて斎藤五・六登場し、角に控える。ワキと子方立つ。
ワキ さても上人鎌倉に下り給ひて、二十日の過ぐるは夢ぞかし。痛はしながら六代御前、とくとく出でさせ給へとて、御輿を寄せ奉れば、
子方(不合・弱)
「都の名残只今を、限りと思へば今さらに、母のまします嵯峨の山、遥かに見やりて涙にむせべば、
ワキ「時政を始めて以下の武士、御心のうち思ひやり、皆涙をぞ流しける。
子方とワキはシオる。子方が正面に出ると、輿舁きが輿を差しかける。ワキは常座あたりに立ち、その後ろに工藤が後見から太刀を受け取って立つ。斎藤五・六は輿の後ろに立つ。
ワキ・ツレ一同(次第、拍合・弱)
「帰るべきとは白川の、帰るべきとは白川の、はや憂き旅に出でうよ。
(上歌、同前)
「待つ人に、いつ逢坂の関越えて、いつ逢坂の関越えて、近江の海の渡し舟、焦がれて物を思ふ身の、面影かはる鏡山、むかふそなたは伊吹山、美濃の中道はるばると、過ぐる尾張や明日知らぬ、三河の国や遠江、駿河と聞きし浮島や、千本の松に着きにけり、千本の松に着きにけり。
ワキは笛座あたりに行く。輿舁き二人は輿を鏡板に寄せかけて後見座にくつろぐ。子方は正面に行き、工藤はその後ろに立つ。斎藤五・六は大小前あたりに行く。
ワキ いかに誰かある。
工藤(ワキに向き膝をつき)御前に候。
ワキ 狩野の工藤三太刀取り仕り候へ。
工藤 かしこまって候。(一同座る。工藤は子方の後ろに立つ)
痛はしながら六代御前を、敷皮に直し奉れば、
斎藤五・六(不合・弱)
「斎藤五・斎藤六、目もくれ心も消え果てゝ、人目も知らず泣きゐたり。
工藤 太刀取りは狩野の工藤三光盛仰せに従ひて、太刀抜きそばめ若君の(太刀抜く)、御後ろには立ちたれども、
ワキ(不合・弱)
「さも雅びなる御姿、
工藤「いづくに太刀をうち当つべきとも、
ワキ「覚えず涙に、
工藤「むせびけり。
地謡(拍合・弱)
「げに理や痛はしやと、いふ声は千本の、松風も浦波も、声たてそへて泣きゐたり。
子方 いかに斎藤五。
斎藤五 御前に候。
子方 汝はこれより都に帰り、母御に申すべきやうは、六代こそ果報拙ふして、上人の御助けもかなはず、駿河国千本の松原にて、誅せられ候由心得て申し候へ。
(不合・弱)
「これなる数珠は六代が(数珠を見込む)、六波羅へ捕られてゆきし時、最期の念仏申せとて、母御のたばせ給ひたるを、今まで持ちて候なり。これを形見にご覧ぜよと、
地謡(拍合・弱)
「涙をおさへ西に向き、涙をおさへ西に向き、御手をあはせ給へば(子方は合掌する)、光盛心消え果てゝ、太刀取りは御免あれ、余人に仰せつけよとて、太刀を差し置きて、涙にむせび立ち退けば(工藤は太刀を捨てて、シオりつつワキの横に座る)、そののちは誰出でよ、誰彼斬れと下知すれども、進む人はなかりけり。あはれこの隙に、文覚来たり給へかしと、言ひあへず東より、呼ばゝる声の聞こゆるは、嬉しや上人のましますか。
〈早笛〉でシテ、再び登場。笠を被り、右に鞭を持つ。
シテ(橋掛かりに立ち)いかにあれなる人、六代御前の御ことは、御喜びぞと声々に、呼ばゝりついでくれよや。こなたへ通る旅人、千本の松原にて、美しき人を敷皮に直し斬られんとする。なにまことか。さればこそ黄瀬川にて見し夢の告げ、打てども行かぬ足並みの、
(不合・強)
「消え給はゞかひあるまじ、急ぐと駒は、よも知らじ。
地謡(ノル・強)
「あれあれ見よや上人の、あれあれ見よや上人の、駒をはやめて来たり給ふは、いかさまこれはお喜びぞと、各々喜悦の思ひをなす。(一同、橋掛かりを見る。シテ笠を取る)
シテ「御喜びぞと呼ばゝる声の、
地謡「もしや聞こえぬこともやありとて、笠を脱いでぞ招きける。(シテ、笠を上げて招きつつ舞台に入り、常座に立つ)
ワキ「その時時政心得て、
地謡「六代御前を引っ立て申せば(ワキは子方を立たせてシテの方へ送る)、文覚も駒を駆け寄せ飛んで下り(シテは鞭を捨てて懐中より文を出す)、首に掛けたる御教書を、時政に与へ(ワキに文を渡す)、いかにや若君、今少し遅くて(笠を捨てて子方の方へ行く)、かしこふ斬られ給ふらん、求めたる御命、ありがたや。(一同再び座る)
ワキ(文を開いて)『げにげに上人仰せらるゝにより、六代御前の御命、左右なく助け申さるべく候。北条四郎殿へ、頼朝判。神妙々々」と読み上ぐれば、
地謡(拍合・強)
「貴賤上下は一同に、どっと喜ぶその声の、しばしがほどは静まらで、ありがたき上人の、御威光かなと感じけり。(ワキは文を後見に渡す)
(キリ、同前)
「やがて時日を移さず、やがて時日を移さず、はや上洛とありしかば、また御輿を差し寄せ(輿舁き二人立って輿を子方に差しかける)、若君を乗せ申せば、文覚共に馬上にて、御輿を早め上れば、時政も馬にうち乗り、鎌倉へこそ下りけれ。(子方と輿舁き、斎藤五・六は幕へ退場。シテは見送る)京鎌倉の旅の道、共に嬉しき道とかや、共に嬉しき道とかや。
シテ正面へ直し、扇を開いてユウケンしたあと、留拍子を踏む。一同退場。
(了)