馬見岡綿向神社
馬見岡綿向神社は近江の日野にいます古社です。延喜式内社であり、綿向山を神体山とするお宮です。古くから日野の住民の信仰するところであり、かの名将蒲生氏郷を輩出した当地の名族蒲生氏も崇敬してきました。
綿向山は鈴鹿山系の標高1110 mの霊峰です。急峻な鈴鹿山系の中にあって優しく穏やかな印象の山であり、山頂付近のブナ林が静かで清らかな空気を作り出しています。その保水力は鈴鹿に降る多量の雨をたくわえ、土と岩に磨かれて染み出した湧水は集まって日野川となり、広大な東近江の平野を潤してさまざまな作物を育てることを可能にしています。
馬見岡綿向神社のご祭神は天穂日命、天夷鳥命、武三熊大人命です。社伝によれば神武天皇の御代に山頂に出雲の開拓神を迎えまつり、欽明天皇5年(AD545年)に山頂に社殿を建設しました。その後延暦15年(AD796年)に里宮として現在地に遷しまつられて以後、令和に至るまで祈りの絶えることはありませんでした。
日野は商人の街です。近江商人が日本で冠たる活躍をしてきたことは有名です。丸紅、伊藤忠は日野商人が祖ですし、高島屋も近江の高島を出自に持つ商人が築いた大店です。その経済力は著しく、日野の街は商人たちの本家として隆盛を極めました。日野の鎮守たる綿向神社は日野商人たちからの感謝の念から多額の寄進を受け、今もなお美しい社伝や神域を保っています。
お宮の神使は猪です。神使が猪であるのは宇佐八幡のご加護により神猪に守られた和気清麻呂公を祀るお宮に特徴のことですが、それ以外では珍しいのではないかと思います。社殿によれは欽明6年に蒲生稲置三麿と山部連羽咋が狩りに出て綿向山に至ると空が俄かに曇り、5月というのに雪が降ってきました。しばらく岩陰に休むと雪は止んだので表に出ると巨大な猪の足跡が雪に残っていました。二人は夢中で足跡を追いかけると山頂に至り、白髪の老人と出逢います。老翁は綿向の神であり、山頂に社殿を建てるように二人に告げたと言います。
この奇瑞からお宮の使は猪とされ今日まで至ります。そのため、猪年の2019年には賑わったといいます。写真を撮りそこねましたが境内には日野出身でニューヨーク在住のアーティストが描いたかっこいい大きな猪の絵馬もありますのでぜひご覧ください。
なお境内には榊御前社という、樹木の神勾々廼馳を祀るお宮があります。綿向神社が山頂から遷される以前から当地に祀られていたとのことですが、もともと樹木の神が当地の地主神だったのでしょうか。勾々廼馳は摂津の公智神社のご祭神であります。字義は私には分かりませんが、摂津と当地が関わりがあるというよりは、樹木が依代として崇敬せられていたのを記念して、樹木の神である勾々廼馳を後世あてたものでしょうか。
そもそも主祭神がなぜ出雲開発の神なのかも興味深いことです。鈴鹿の伊勢の側には国津神の猿田彦を祀る椿大神社があります。出雲が国津神の土地の謂ならなにか関係があったりするのでしょうか。先達の知識を知りたく思いますし、みずからも今後学びを進めたく思います。
なにはともあれ、山の霊威は人のつごうで糊塗できるようなものではなく、時代を通して偉大なものです。馬見岡綿向神社もまた山の霊威を里に伝えるお宮です。神域の空気は清々しく、また日野町の和菓子屋かぎやさんで購入した「湖の餅」も極めて美味しかったのでおすすめです(湖の餅は滋賀県菓子工業組合の加入店舗で購入できます)。いがまんじゅうもこれから頂きますがとても楽しみです。
ご参拝には車が便利でしょう。鳥居をくぐったところに駐車場があり参拝者は利用できます。バスや電車だと本数が少なくて難儀するかもしれません。