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水尾神社
水尾神社は高島に坐す名神大社です。
みお神社と申し上げ、高島でも規模の大きな神社です。
ご祭神は磐衝別命(いわつくわけのみこと)、振姫命(ふるみめのみこと)の二柱です。磐衝別は三尾氏の祖、振姫は磐衝別の子孫にして継体天皇の母君であらせられるとのことです。
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高島は継体天皇のあとが著く残る土地です。
福井から近江高島にかけて継体天皇の諸伝説が残り、さらには福井は若狭彦神社の神宮寺、鵜の瀬のお水送りからも大陸の影響強く、日向の土地の名が残り大分との関わりあり、継体天皇の王墓と目される今城塚古墳からは阿蘇の凝灰岩を用いた石棺あり、
つまりは古来より高島から福井にかけては九州、大陸とつながった開明の土地でありました。近江聖人と申す中江藤樹先生がこの地に生まれ、熊山蕃山、吉田松陰らの人々を経て明治維新の礎になったとも申せましょうことは、高島という土地の持つ開明さの顕れかも知れません。
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水尾神社の境内はいかにもひろびろとして清々しいものでした。空気のきれいな高島にあっては、いずかたも麗しく、しかもあちらこちらから水の湧く土地ゆえ、水もまことに澄んで美しいのです。
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近江高島に式内社が多く残ることや、高島に故地を待つ継体天皇の存在から、この地は古代にはとても重要な土地だったのでしょう。名神大社であることから推しても、わけて水尾神社は特別な宮だったことと思います。複雑な歴史の委細はしらず、ただ清らかで暖かな空気が今もこの場所にあります。
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さても土地の歴史とは奇しきものです。こうした具体的なしっかりしたものに立脚してこそ、まことの明日への一歩が得られそうに思います。開明さ、先進さとは、抽象的で唯脳的な都会で生まれるものではなく、具体的な歴史や土地や神仏にこそ真の端緒を発するように私は思います。