【 ガラテヤまとめ 】背景
これは新約聖書『ガラテヤの信徒への手紙』について、いろんな注解書を読んで、まとめたものです。
おのおのの注解書は、いろんな観点に立ってまちまちな見解を述べていますが、このページでは、その共通する中庸なまとめを心がけてます。
見解の相違については、ことわりを入れますので、いたらない部分はご容赦ください。私自身、信仰のもとに立って、これからも整理していこうと思っています。
【 ガラテヤ地方 】
ガラテヤは小アジア(現在のトルコ)のほぼ中央に位置する一帯で、紀元前3世紀前半にケルト人がここに移住して住みついたと言われています。北からやって来たケルト系のゴール人をギリシア語で『ガラタイ』と呼んだことから、この地方をガラテヤと呼ぶようになりました。
紀元前25年に最後のガラテヤ王が死ぬと、ローマは元来のガラテヤ地方を中心に、その周辺のピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベなどを加えて属州ガラテヤ県としました。
ガラテヤ地方の大部分は広く肥えた台地にあり、農業に適していたため、大勢の人々がそこに移住していたようです。
【 ユダヤ主義者(ユダヤ人キリスト者) 】
パウロを批判していたユダヤ人たちは、おもにエルサレムにいたファリサイ派から改宗したキリスト者たちと、その者たちから指導を受けていた者たちだったようです。
このユダヤ主義者たち(学者のいう『割礼派』)は、キリスト者になるためには、まず “ ユダヤ人にならなければならない ” と考えていました。それはキリストへの信仰だけでは不十分であると思っていたからです。
そのユダヤ人であるためには、アブラハムの子孫でなければならず、そのうえで信心深いユダヤ人は、食物規定など旧約聖書の律法と、ユダヤ人の伝承や慣習を忠実に守る者とされていました。
そのため、ユダヤ人の慣習と食物の規定に従わず、割礼を受けていない異邦人キリスト者との食事を避けるべきだと教えていたのです。
特に、その清さの証拠として割礼を強調していましたが、その他の律法については無視していたようです。
割礼とは、正当なユダヤ人であることのしるしであり、律法で求められているすべてのことを行うしるしでもありました。
ところが、異邦人は割礼を受け、律法と慣習に従うことによってユダヤ人になることはできましたが、完全に受け入れられることはなかったようです。
ユダヤ主義者たちの批判は、①使徒としてのパウロの正当性、②エルサレムで伝えられている救いの教えとの矛盾、③恵みによる救いのみでは不道徳を招くなどと非難して、異邦人キリスト者に対するパウロの信用をゆるがそうとしていました。
【 ガラテヤの人々 】
ガラテヤの人々は、ユダヤ人の律法や慣習をあまり知らないギリシア人でした。
ガラテヤの信者の中には、五旬祭の日にエルサレムにいて聖霊を受けた人もいたでしょう。彼らは、ユダヤ教の律法に従うことによって神の御霊を受けたのではないことを知っていたはずです。
しかし、にせ教師たちの主張に引きつけられました。それは、魔術師がパウロの時代によく知られており(使徒8:9-11、13:6-7)、人々はその神秘的な儀式に引きつけられていたからです。
【 シリアのアンティオキア 】
古代世界において主要な貿易の中心地であり、ギリシア人が多く、キリスト教の中心地となりました。
この地で、はじめて信者たちはキリスト者と呼ばれ(使徒11:26)、アンティオキアは、異邦人教会の本部、パウロの作戦基地となりました。