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【3分小説】泥|原野の真ん中で私は泥とセックスする女と出会った

藪の茂った森の小道を抜けた先、春風がさっと駆けると、花の香りがした。爽やかなあまい香りが鼻先をくすぐったような気がして、私は鬱蒼とした暗い森から首を伸ばす亀のようにして、輝く原野へ足を踏み入れようとしていた。女と、私はそこで出会ったのである。いや、出会ったなどとはとても言えぬ、まったく一方的な邂逅に他ならなかったが、しかし女もまたそうして私に見つけられるべくして見つけられたという風な、仕組まれた悪戯の神秘があった。これは人類がまだ生まれる前の話。その女は、野の真ん中で、春ようようとした光を浴びながら、泥とセックスしていた。
 私は森の中へと後ずさりして戻った。
女の絶え間ない嬌声は風に乗って、陽葉陰葉かき分けて響いてくる。
私は茂みの合間から潜んで聞くことにした。葉の影まで染めた声が森を淫らに愛撫している。女の行為は、何らかの高らかな宣言でもあるようであったが、私はあえて茂みに身を隠すように潜み続け、木の葉の裏から目を通して、覗き見する。私はそれを隠遁して、秘め事とすることで、神秘に仕立て上げようとしたのである。
女の嬌声はますます激しさを増していき、漸次、快楽に苦しみが織り交ざるようになった。私は女のその様子をじっと見つめ、研究対象のような観察を続けている。女はすらりとした足を伸ばすと、まるで昆虫の捕食のように足を絡めた。静脈の構図が分かるほどの白い肌は、首筋からじんわりと赤を伝え、斑模様に変わりゆく。やがて全身を包む様子はカメレオンの保護色のような七変化だった。
女は線の細い体のどこにそんなにエネルギーがあるのだろうかと不思議に思えるほど漲る生命力に溢れていた。
円みを帯びる肩の華奢な流線からは、奇妙な乳房が不気味に揺れ、異臭を放つほどの性を主張して、なんてグロテスクなのだろう。
私はただならぬ吐き気とも似た感情を胸に広げ、けれど決して女から目を離そうとはしなかった。絶叫に近くなった女の嬌声は、もはや鳴き声に等しく、私はひとつの確信めいた理解に至る。
女は宇宙人だった。
遠い星からやってきて、この星に卵を産み付けにやってきた宇宙人だった。宇宙人が卵から孵すのは星を食い荒らす寄生虫なのだ。
だから女は、ああも雄叫びのような声を上げ、おぞましい恰好で行為に耽っているのだ。私は今、自然が繰り広げる物語の1ページを垣間見ている。
私は寄生虫に対する嫌悪と共に、ドキュメンタリーを撮影するカメラマンの使命感をもって、女の観察に徹していた。
じきに女は他の星にでも向かったのだろう、私は崩れた泥には、まだ女のグロテスクな体温が残っているような気がして触れなかったが、
数日の内に泥から若木が生えて、枝先にほの黒いちいさな実をつけた。
しかし雨が降って実が落ちると、一晩に若木も枯れてしまった。
そこから人類が生まれる。泥から無数の赤ん坊が生まれ出てきた。
赤ん坊は泥の中で、多くが死んでいた。地上に出るまでに至ったのは、ごく一部であったわけであるが、しかしそれが奇跡であると思わせぬほど、また多くが地上に湧いてもいた。
卑近な奇跡である。赤ん坊にとっては、泥はいわば母であるが、どの子も、母をズタズタにしても生まれでようという力強さでもって這い出てくると、それからおぞましい泣き声をあげた。
私は赤ん坊を育てることにした。きっとこの星を食い荒らすであろうということも分かっていたので、私は子どもたちをこの星の王にした。
子どもたちが育ち、随分と月日が経った頃、ある村に立ち寄り、一匹の女が私に気が付いた。
女は私を神だと思った。私は神などではなかったが、私は女に私の子を授けることにして、その子をもって、命であって命を嘆き尊ぶように、桎梏と成すことにした。
その子が生まれると、七歩歩いて唯我独尊とつぶやいたので、我ながら、顔を歪ませた。

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