歌の背景を探る 「いちご白書」をもう一度


いちご白書とは

1970年に公開されたアメリカの映画で、アメリカのとある大学のベトナム戦争の反戦などに関する学生運動を描いたものです。主人公のサイモンが興味本位で学生運動に参加し、そこでリンダという女学生と会ったのを切っ掛けにしだいに活動にのめり込んでいく様子をコメディータッチで描いています。最後は学生運動の拠点の大学が警察隊と軍隊に包囲された上、学内に突入され、学生は逮捕・連行されていきます。

歌詞にある「悲しい場面」とは

いちご白書を観て疑問に思ったことは、「いちご白書をもう一度」に書かれている「悲しい場面」とはどの場面であることが判然としないことです。そこで鍵となるのが、歌の主人公の人物像です。歌詞の2番で「学生集会へもときどき出かけた」とあります。学生集会とは反体制派の主催する学生集会のことと考えられます。映画「いちご白書」が公開された1970年頃は日本でも学生運動の真っ盛りでした。歌の主人公も「いちご白書」のサイモンと同じ学生運動家の一員であったと考えられます。主人公の彼女もまた一緒に「いちご白書」を観に行くほど熱心な学生運動家であったと考えられます。映画のラストの警官隊・軍隊の大学構内への突入、学生の逮捕・連行は彼らにとって屈辱的でかつ悲しい場面であったと思われます。歌の主人公の彼女はこの「悲しい場面」で、「涙ぐむ」ほど学生運動に陶酔しており、主人公もそんな彼女のことが愛おしく「恋しい」のですから、恐らく彼女と同じく、学生運動に陶酔しており、学生運動から足を洗って就職した現在でもなお、その彼女への恋慕が続いていることから、主義思想自体に変化がないと思われます。

おわりに

これまで、「いちご白書をもう一度」の歌詞の書かれた背景について、勝手に推測して記載して参りました。歌に込められた本当の思いは作詞者をはじめとする関係者にしか知り得ないと思われますし、歌をどのように解釈して歌うかはあくまで歌い手の自由です。


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