新しくたしかなことを聞き直した話

14年ほど前、今の仕事について初めて担当した中学3年生の男の子に会いに前施設に行った。

やんちゃすぎた彼は、1年しない間に居なくなってしまったから、担当したのは9ヶ月くらいか。改めて数字にして驚愕したが、ものすごい濃度の濃い9ヶ月だった。たくさんの情景が今もまだ自分のなかに生きている。

いなくなってしまったという言葉は
少しズルくて
おいだしたような流れがあったから
何もしてあげられなかった申し訳なさが
ずっとずっと自分のなかにあって。
いつか、また会いたい気持ちが、叶うはずない気持ちが、叶うことを知って。
夢のような日だった。

10年の月日のなかで、
彼も自分も大人になって、
それぞれにたくさんの経験をして、
それがこの日に交わることがあるなんて、
感極まってしまうよ。

たくさん、暴れて、道を外れて、孤独と向き合って、優しさを知って、また寂しさを知って、その延長線に過去の自分と向き合う覚悟ができて、生きてることを喜んでもらえる、ちゃんと怒ってもらえる、あるがままの自分を受け止めてもらえる場所があると知る。

建物が跡形もなくなっても、
そこにあの頃の人たちが迎えてくれるなら
そこは「実家みたい」と呼ぶに相応しい。

たくさんの人にとっての実家を作れる
そんな素敵な仕事を続けてこられたことが、
とてもとても良かったんだなと
思ってnoteを打ちながら泣きそうだ。

出会ってくれたことにありがとう。
たくましくしてくれたことにありがとう。
忘れないでいてくれてありがとう。
もう一度会おうと思ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。 

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