扉が開く


帰郷して、暫時的に入るイラスト・デザインの仕事以外、20年近く定職に私はついたことが無い。それでやっていけたのだから幸せなのかもしれないが。社会から必要とされていない苦しみは常に頭の中にあり、過去を呪ったり、心無い男との出会いを憎んだりした。

 しかし今年は、不思議な年だった。以前、書き溜めていた私の漫画を、もっと読みやすく編集しよう、という方が現れたり。より働きやすい、障害者のための職場が増えたり。音楽のレッスンを、無償でしてあげましょうという親切な方が現れたり。元々、得意だった語学で商売できないか。通訳案内士の協会に勇気を出してメールしたところ、いい返事が返ってきたり。一緒に英語を勉強しようと言う心強い仲間までできた。

 精神を患って以来、ろくなことがなかったかもしれない。近所の顔馴染みのおばさんから「もう、挨拶せんでいいよ」と言われたり。薬の副作用で肥えた腹部を、同窓会や職場でからかわれたり。

 メンヘラ。自分はどこか変なのだ。なにかの宿罪か。悩み苦しみ。現実から逃れるように12時間以上ふて寝をする毎日。ふて寝をしても悪夢にさいなまされてきた。そういった自分に少々光が差してきた。少々ではない。

 ガリ勉していた高校一年の私に、クラスの男子が「ひとは1人で生きていけません」と言ってきたことがあったが。しばしばそれを思い出す。日本社会では、たとえば簿記の資格を持っていたとしても、自分と働きたい、と思わせる魅力がなければ定職にありつけない。

 明日は面接を控えている。通訳の叩き台として、ホテルのフロントで外国人の対応をしてみたいのだ。私を照らしてくれる、母。友人たちのことを思いつつ、自然な明るさで採用されればいいのだが。

 就職することは、自分にとって外部に通用する人間になることだと思っている。たとえば、音楽で本当にご飯を食べたいのなら「俺は、セロニアス・モンクとオスカー・ピーターソンの違いがわかる」とか「第九の何楽章が流れているのか聞き分けられる」という身内の中だけで通用する音楽通ではやっていけない。自分で演奏できなければ、残念ながら誰にも相手にされないし話にならない。

 少しずつ、自分を外の世界に晒して。いわゆる処世のため、以上の感覚が磨いていければいいなと思う。

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