昨夜、夢で、
美容室に予約して行こうとする夢をみました。
その夢の中では、母も同じ美容室を予約しており、
でも帰り時間はきっと別々だから、別々の車で
行った方がいいなと、私はバス停で、
道端に机と椅子があるところに座って、
湯呑みで白湯を飲んでいました。
(夢だから色々不思議)
すると、母が通りかかり、
「乗っていくかい?」といって
「助かる、バス停一駅だと少し越えちゃうし」と
私は答えて乗りました。
そこで夢から醒めて、
私は夢の中で、母が普通に生きていて、
違和感を感じずにいたことに、
「母が生きていればな」と思って泣けました。
でも、私が、「自分の子どもが
いても良いかな」と思えたのは、
母がいなくなり、なくなっていくものばかりで、
とても寂しかったこと。そして、最期にやっと母と
良い関係と思える関係を築けたこと。
母の病や死さえも、
今、ほーちゃん(お腹の赤ちゃん)が
宿ってくれたことに無関係だとは言えず
私の人生の流れの中で、
価値観が大きく変わったことでした。
私にとっては、早すぎた母の不在ですが、
母は病がわかってから四年半、
余命3ヶ月もあり得ると言われた中で、
自己管理を徹底した日々を過ごし、
生き抜いてくれました。
私にまさに覚悟ができるその日まで、
いてくれました。
母にほーちゃんを見せたかったけど、
母はどこかからみれるんだよね?
生死不ニとは、生も死も同じという意味の言葉。
生も死も、ただの当たり前の命のリズムで
自然の流れ。悲しむことじゃないといいますが、
いまだに泣ける私です。
当たり前の流れの中にいて、
私は今ここで、悲しいという気持ちがありますが、
ただ、この全ての経験があって、
いまがあるなということだけは
分かります。
そんな、当たり前に母のいる夢を久々にみて、
ちょっとセンチメンタルになりました。
今日は母と繋がる意識で一枚アートを描きました。
なんとも、シンプル‼️になりました。