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スマホのないところ

もしも願いが叶うなら。

3番目くらいに、「スマホのない世界に行ってみたい」というものがある。

きっとスマホの代わりになる別のものが存在するのだろうが、ここではそれを考えないものとする。

僕はここ数年よく耳にする、「デジタルデトックス」や「丁寧な暮らし」をしたいわけではない。

ただ、もっと現実世界での人とのアナログなつながりが増えればいいのにと思っている。

朝の電車、大学の昼休み、バイトの休憩時間、公園で遊ぶ子の親。周りの人の多くはその時間をインターネットに費やしている。もっと生身のコミュニケーションを楽しんでもいいのに。

また、「インターネット」という枠組みの中で僕らは日々同じものを見て笑っている。そこには無責任な言葉という銃弾が飛び交っているにも関わらず、安らぎや面白さ、時には刺激を求めて無意識にスマホに手を伸ばす。

自らことばの火の中に飛び込んだり、流れてくるコンテンツを消費し続けるというのは脳のメモリにとってもムダなことに違いないのに。

そこに存在したかもしれないそれぞれの個性だったり、個人の多様な趣味嗜好がインターネットという囲いの中でおさまっているのではないか、という見方をしてしまうのだ。もちろん、多様性を助長している部分もあるが。

だからと言って僕はそれを軽蔑するつもりは全くない。

スマホのない時代はどのように暮らしていたのだろう。自分が子供の頃は、家族でこたつを囲んでテレビを見ていた。
そんな時代を思い出すと、僕たちは「時間を共有する」という行為をもっと大切にしていた気がする。

今思えば無駄が多かったかもしれないが、その無駄が心のゆとりや関係性を深める源になっていたのではないだろうか。

わがままだが、だれもが今目の前にあるリアルなつながりに目を向けられる時代になればいいのにな。と思っている。

スマホのない世界に行ってみたいという願望は、単なる懐古主義かもしれない。現代が効率的で便利になりすぎた結果、失ってしまった心の余白や、じっくりと人と向き合う時間に対するあこがれのようなものだ。

これは単なる理想論だし、大学生が書いた未熟な考えかもしれない。しかし、今これを読んでいるあなたにもこのような憧れがあるのではないかと思う。

これまでインターネットに否定的な文章を書いてきたが、僕自身もそれを楽しんでいる。くだらないネットミームが好きだし、いつでも人と連絡を取れる時代に生まれたことはとてもありがたい。

「スマホは悪だ!」なんて決めつけはしたくない。
1人ひとりの価値観が重要視される時代にこそ、今この瞬間の目に見えないつながりを意識するべきなのではないかと僕は思う。

さいごに

ここまで読んでいただきありがとうございます!
最近読んだ本に影響され、尖った内容を書いてみました。

あと、初投稿の記事に思ったより多くの反応を頂けてとてもうれしいです。

頻度はまだ決まっていませんが、これからも続けていきたいと思います!



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