ベランダでゴキブリを飼っていた話
本棚を購入したのはおよそ3年前のゴールデンウィークの出来事であろうか。当時20そこそこだった私は、コロナ禍真っ只中の世の中に辟易としていた。
そして、おうち時間が増えたことによって、インテリアへの興味を持つようになった。
買い替え前の本棚はだいたい幅85センチ、奥行30センチ、高さ90センチほどで、色はライトブラウンの無骨なカラーボックスだった。実家暮らしの為、この本棚を小学生の頃から十数年間使い続けている。
さらに、当時高校生だった弟と相部屋で、5畳半の部屋にはこれと同じ本棚がもう1つ置いてあった。その他にデスクが2つと、大きめのスチールラックが1つ。
スチールラックは弟に占領され、汚物と呼ぶに相応しいほど泥の付いたカバン類や、用途不明の工具などで溢れかえっていた。デスクの引き出しはひっ迫し、机下にも物を置いていた。そうなると、入国拒否を受けたジプシーの受け入れ先は必然的に本棚に集中する。
私の本棚は少年漫画が所狭しと並んでおり、さらにその上には、るろうに剣心全28巻と先ほどのジプシー達が箱の中に押し込められ、限界まで積み上げられている。
嫌悪感を抱きながらも、本棚が汚くなるのは仕方がないことなのだと自分に言い聞かせ、次々に物を置く生活を続けた。
重荷に耐えられなくなった棚板がたわみ、逆アーチ状に反っている。おまけに油性ペンのようなもので書かれた落書きが無数についている。
これは決して私がデコったものではない。完全に第三者による仕業なのだが、一体いつ頃書かれたものなのか知る由もない。正体不明の古代壁画とはこのようにして生み出されるのかもしれないなどと、突拍子もないことを考えていた。
実はコロナ前から本棚が欲しかったが、値段や置き場所を考えるとなかなか手が出せずにいた。本棚が欲しいと口先で言うだけではいけない。己の力で手に入れなければこの先一生汚い本棚と向き合っていくことになるのだ。
私はついに本棚を購入することを決意し、さまざまなサイトを探し回った。せっかく購入するのだから、自分の好きなデザインでなおかつ、棚板が丈夫でしっかり収納できるものが良い。色はダークブラウンで木目調にしたほうが、落ち着いた雰囲気が出ておしゃれになるのではないか。私はモダンな古民家のような落ち着いた色合いの部屋を妄想し、自室改造計画に燃えた。
そして、ディ◯スで比較的リーズナブルな値段のものを見つけ、今よりも少し大きいものを購入した。
だが、私の分だけ購入してもこの部屋は決しておしゃれにはならない。この際弟にも同じ本棚を買わせ、統一感を出したほうが良いのではないか。私がそう提案すると、案の定拒否された。
しかし、私が費用を負担するなら本棚を替えても良いと言い出してきた。ついでに家具の組み立てをやってもらいたかったので、弟の分も渋々購入した。背に腹は代えられない。
本棚の組み立てでは、用途不明の工具達が大活躍した。岡本太郎のような奇天烈な工作をし、飽きたら放置を繰り返して工具をひたすら集めていた弟に感謝した。私も突発的によくわからない趣味を始め、放置することが多いので強く言えない。
弟の手助けを借り、文句を言われながらもやっと完成した。頬擦りできるほどツヤツヤピカピカで何もかも新鮮だった。洋書でも飾りたいくらいだが、生まれてこの方そんなものを手にしたことはない。
しかし、私のデスクは白地で引き出し部分がオークルになっている、柔らかい色合いのものだ。お察しの通り、白地の机とダークブラウンの本棚は絶妙にミスマッチだった。デスクの1番大きな引き出しを開けると棚板が沈み、崩落していた。
本棚ごときでこの部屋がおしゃれになると思ったら大間違いだ。汚部屋の呪縛から逃れることはできない。思うように上手くいかない。人生とはそういうものなのかもしれない。
危うく締めそうになったが、本題はこれからだ。分解した棚板の置き場所に非常に困った。そこで私はアパレルショップで貰った、やたらとでかい紙袋の中に棚板を突っ込み、一時的に廊下に置くことにした。置けなかった分はベランダに立てかけておいた。
しかし、このまま粗大ゴミで出すのはさらに手間なので、小さく割ってからゴミ袋に入れようと考えた。ベランダのへりに板を乗せ、思い切り踏んでみる。だが、割れる気配が一向にない。折り畳みノコギリで切れ込みを入れるが、硬くてなかなか刃が入らない。
そのままベランダに棚板を放置し、約3年もの月日が経った。YouTubeで見たミニマリストに感化された私は2023年2月、ついに棚板を片付けることを決心した。汚れても良い服、安全靴、軍手、マスクを2重にして、折り畳みノコギリを引っ張り出し、再戦に挑んだ。
案の定、棚板には黒カビと白カビがびっしりと生え、キノコの1つや2つ生えていてもおかしくないほど野生に還っていた。目を背けたくなる惨状であったが、昔倉庫でアルバイトをしていた時に運んでいた、埃とカビでドロドロになった廃棄商品に比べれば少しだけマシだ。私はブラックバイトで培った根性に少しだけ感謝した。
棚板は全部で6枚あり、ノコギリで軽い切れ込みを入れてギコギコ引いていたが、試しに片足で踏んづけるといとも簡単に割れた。見た目は非常におぞましいが腐食して柔らかくなった分、処理がしやすい。
ゴミ袋に入れられるサイズに割り、2枚目を片付けようと棚板を持ち上げた際に事件が起こった。
真冬の寒空にふさわしくない、茶褐色の物体がカサカサッと目の前に現れた。チャバネゴキブリだ。字面を見るだけでも尋常じゃないほど気持ちが悪い。
突然のことに驚いた私は「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!!!!」という、にしおかすみこ並みの叫び声を上げた。
室内にいた母に助けを求めるも、効果の薄い冷却スプレーだけを手渡し、戸をピシャリと閉めた。ゴキ退治を依頼する私と、キレ気味で追い払う母。
スプレー片手に退治しようとする母に場所を伝えるも、その隙に細い隙間を縫って隠れるゴキ。白バイ隊員をあざけ笑い逃走する、暴走族のような図太さがある。
その後も奴は姿を現すことはなく、完璧に取り逃してしまった。未解決事件とはこんなにもモヤモヤするものなのかと考えさせられた。棚板を凶悪犯の温床にしてしまったこと、検挙できなかった自分の未熟さを悔いた。
まさか真冬に奴が現れるとは思わなかった。寒さが苦手な奴らにとって、棚板など格好の住処であろう。私は知らぬ間に敷金、礼金、手数料、家賃なしの極上の住処を提供していたのである。おまけに取り壊される予定もなかったのだ。とんだおマヌケにもほどがある。
下手をすると1匹どころでは済まないかもしれない。この家でねずみを見たことはないが、そのような害獣が住み着く可能性もゼロではない。まだ見ぬ害虫、害獣、その他全ての害に怯えた。
私は自分の行動に改めて呆れた。枕元にアロマストーンを置き、レモングラスの香りで害虫を忌避したつもりになり、悦に浸っていたのだ。薄汚れた空間でアロマなんて嗅いでリラックスしている場合ではない。もっと重要な箇所からガサ入れをし、徹底的に潰さねばいけないのだ。
我が家では各々が片付けられない性質を持っていて、着々と汚部屋を創り上げている。3年かけてカビをご丁寧に培養した棚板など、氷山の一角に過ぎない。1人1人が意識しないと変えられない。SDGsを提唱する前にこの汚部屋を解決しなければならない。地球上で最も粗大ゴミが集まるパワースポットとなった我が家は、もはやどこから手をつけたら良いかわからなくなっている。
洗面所のラックと風呂場のシャンプースタンドは漂白剤が効かないほどカビが生え、レースカーテンなんかはビリビリに破け、一昔前のドラマにありがちな不良高校のアジトのような惨状になっている。映画版サイレントヒルを初めて見たときなんか、我が家に酷似していて既視感を覚えたぐらいだ。
今後私が実家を出て、結婚することになってもこんな有様の家に婚約者を連れて行きたくない。ましてやベランダでゴキブリを放し飼いにしていたことなんざ、口が裂けても言えない。こんな私にもそれなりのプライドはあるのだ。
少しずつでも良いから無駄な物をしっかりと捨て、清潔な空間を保つことが重要なのだと自分に言い聞かせ、洗濯物を足で退け、リビングでダラダラ過ごす毎日。
それから3週間ほど、あの棚板のことがずっと心残りになっていた。だがしかし、奴はまだ潜んでいる可能性が大いにあるのだ。危険区域に入るためにはそれなりの度胸がいる。
そこで私は、「自分はエイリアンのシガニー・ウィーバー、ターミネーターのリンダ・ハミルトン、チャーリーズエンジェルのルーシー・リュー」などと謎の暗示をかけ、ゴキとの戦いに挑んだ。
ゴキに怯えながらバスマジックリンを右手に構え、板を退かした。しかし、ゴキのアジトは蜘蛛のアジトへと代わっていた。持ち主である私の許可なくテナント募集をし、引き払っていたのだ。恐らく、天敵の蜘蛛がやってきて住み着かれたのがオチであろう。サンキュー、蜘蛛。お前とは良い酒が飲める。
そんな蜘蛛も片付けの途中、足元にやってきた拍子にマジックリンで倒してしまった。本当にごめん。
まさかマジックリンもこんな役目で活用されるとは思ってもいなかっただろう。以前、冷却スプレーを標的に吹きかけたところ、風圧で家族の足元まで吹き飛ばされ、騒然となったことがある。噴射力はバツグンだが、肝心な冷却効果は一切なかった。
このスプレーを使うたび、家族に軋轢が生じた。購入者の私は"ポンコツ"や"デクの棒"といった不名誉ネームで呼ばれることとなった。そのスプレーは、今では我が家のインテリアの一部として廊下の隅に飾られている始末。
その反面、マジックリンは泡なので逃がす心配が少ない。ただし、使える場所が限られてくるのがネックだ。
さて、本題に戻るが棚板は残り4枚で蜘蛛が住んでいるとはいえ、もっと凶悪な奴がいるかもしれない。油断した時が1番危ないのだ。おっかなびっくりしながらそーっと棚板を動かし、棚板を踏みつけ、割る。その間、蜘蛛の子供が何匹か出てきたが見て見ぬふりをした。
なぜ皆が楽しい休日を過ごしている中、私は負の遺産を片さなきゃいけないのだろうかと考えた。完全に自分で撒いた種だ。腐葉土よりも性根が腐っている。
そんなことを思いながらラスト1枚を割り、掃き掃除も終えた。ゴミは全部で2袋になり、かなりの重量となった。これが3年分の重みというやつか。各国首脳を集めてこの日を世界的な記念日に制定し、祝日にしたい。
だがしかし、紙袋に入れて廊下に放置した棚板はまだ片していない。おまけに"どこの何か"わからないプラスチックの筒まで突っ込まれている。なんだこれ。
汚部屋の称号を欲しいままにした私。自宅に眠る数々の粗大ゴミとの戦いはまだまだ終わらない。
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