不器用です。
部活の大会当日に母親から渡された弁当の、海苔で書かれた下手くそな「ガンバレ」。
慣れないスピーチで裏返る第一声。
初めての友達から貰った、初めての誕生日プレゼントの不格好な似顔絵。
祖母が作ったべちゃべちゃなチャーハン。
こういう、誰かの不器用さには寛容でありたいし、むしろ愛おしさすら感じる。
しかし、こと自分の不器用さに関しては、吐き気がするほどの嫌悪感を示し、そんな自分が露呈すると、その場から消えたくなるような痛みを感じる。
普段は不器用がバレないように生きている。でも、すぐにバレる。
たとえば、今朝カップラーメンをこぼして火傷した指で、誰かと熱い握手を交わす。「その指どうしたんですか?」と問われれば、「今朝ボロネーゼを作ってて…」と、背伸びをする。一通り話した後、相手の訝しげな表情を見て、自分の不器用さに気づく。そして消えたくなる。
家に帰ったら枕に顔をうずめて、
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
と、唸る。いつもより腹から声が出てるもんだから、笑けてくる。
僕は文章が下手くそだった。
昔よりもいくらかマシな文章を書けるようになったと思う。でも未だに「てにをは」の適切な使い方が分からない。
小中学校時代。関心・意欲・態度が正義である時代、僕は優秀な子供だと持て囃された。「真面目だから」と、学級代表に何度も推薦された。勉強は中途半端にできた。でもそれは、決して「善く生きよう」としているわけではなくて、不器用な自分を隠したいだけだった。
時間を費やせば費やすほど、不器用を誤魔化すことができた。図工の授業でデッサンをする時には、被写体を凝視して、見えてくる線をひたすら描き込んだ。一発で正解の線を当てられるわけがないから、線を引いては消してを繰り返した。そうして出来上がったそれっぽい絵、時間をかけた痕跡を残したその絵を見せると、周りは「頑張ったね」と褒めてくれた。
しかし、作文の場合はそうはいかない。
指定された文字数の中で、いかに自己表現をできるか。それは不器用な僕にとって、最も苦手なことだった。夏休みの読書感想文、運動会のあとの作文、小論文。何を書こうにも、僕が書く文章の密度は小さかった。
当時、僕は「つばめ」を「燕」と書いた。「アリ」は「蟻」と書いたし、「ひまわり」は「向日葵」と下手くそな字で書いた。こういった難しい漢字を使うと、「よく知ってるね」と褒められた。しかし、そんな誤魔化しが通用するのは、小学校低学年までだった。
小学三年生の時、国語の時間に作った川柳がコンクールに提出された。そこでは一つ一つの作品にそれぞれ評価が下される。「入選」、「佳作」、「秀作」、「特選」。狙うは特選だった。なにしろ、「れもん」を「檸檬」と書いたのだから。
結果が発表された時、学級だよりにクラス全員の作品が掲載された。プリントの中央を大きく占有した「特選」の作品。漢字が一つも使われていない十七文字。とても優しい一句だった。
僕の作品は佳作だった。端っこで小さくなって、肩身が狭そうにしている。檸檬の文字が潰れて読みにくかった。
バレた、と思った。自分の不器用さが、センスの無さが。そして、僕自身も気づいた。僕は文章が下手くそだ。
それから僕は、「書くこと」から遠ざかるようになった。本は読まなかったし、選択科目は理系を選んだ。下手くそな文章は、コンプレックスになっていた。
高校に入学して卒業した。大学に入学して、実家を出た。あの時、ペンを持つ手を止めてから、時間はあっという間に過ぎていた。時間をかけても解決しない課題ばかり増えて、不器用が何度も露呈した。人間関係でも、勉強でも、上手く行かないことが多くなった。
大学一年生の冬、実家に帰省した。その日は大晦日で、自分の部屋を整理するよう母親に言われた。
学習机の上に、過去の配布物や作品が散乱していた。僕はポリ袋を片手に、一つ一つ手に取っては、それが処分していいものかどうかを見定める。
職業体験のワークシート、いらない。提出し忘れた歯磨きカレンダー、いらない。転勤する担任から貰った手紙、いる。ドラクエのモンスターが大集合した絵。紙粘土で作った貯金箱。書写の時間に書いた「夢」。歪な難読漢字ばかり書かれた原稿用紙。
何一つ隠せていなかった。不器用が剥き出しになった作品を見て、僕は呆気に取られてしまった。
ドラクエの絵は構図が下手くそで、何故かギガンテスがキラーマシンより小さい。それに線が多過ぎて、なんだか訳がわからなくなっている。紙粘土の貯金箱は、大きなヒビが入っていて、そこに埃が溜まっていた。「夢」の字は上手かった。と思ったら、それは先生が書いた手本だった。
原稿用紙には、どうやら夏休みの思い出が書かれているらしかった。「林檎」とか「葡萄」とか、小学生が書くには難しい字が散見された。我ながら、「可愛くないガキだな」と思った。あの時の僕は、難しい漢字を書いて不器用を誤魔化そうとしていた。しかしその思惑とは裏腹に、マス目からはみ出た下手くそな「林檎」は、むしろ不器用を助長しているように見えた。
こんなにも哀れな作品群は、確かに僕の作品だった。誰がなんと言おうと僕の作品だった。そして、僕の作品を僕の作品たらしめているのは、紛れもなくその不器用さだった。
この時初めて、自分の不器用さを愛おしく感じた。僕はそんな作品の数々を、そっとベッドの下に仕舞っておいた。
文章を書いてみようと思った。
理系の道に進むと公言して、今は文系の大学に通っているけど、そんな不器用な人生を文章にしてみようと思った。「てにをは」はチグハグだし、Weblioに頼りきりの文章だけど、それを面白いと思ってくれる人がこの世にいてくれるなら、僕は幸せだって思える。だから改めて、文章に向き合ってみようと思った。
偉大な作家が書いた、偉大なデビュー作の書き出しは、たしか
「完璧な文章は存在しない」
みたいな感じだった。彼がなぜそんな文章を書いたのか、それが絶望と一体どんな関係があるのか、たいして分かっていないけれど、僕はその文章を読んで、少し救われた気がした。
僕にもそういう文章が書けるだろうか。
歪な形のおむすびを少し齧って考える。
〜完〜
ご覧いただきありがとうございました。