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自己紹介 │ はじめてのnote

どうも檸檬茶(れもんちゃ)と申し〼。
作家を目指している大学生です。
普段はシナリオをメインに書いています。

実はもうすでに、『半透明少女』という短編小説を投稿しています。
だから「はじめて」というのは嘘です。

今回は自己紹介がてら、初めて小説というものに挑戦してみた感想について書いてみようと思います。

檸檬茶の好きなモノ

まずは、檸檬茶が好きなモノを紹介したいと思います。
私は「自己紹介が長い奴には気をつけろ」をモットーに、これまで生きてきたので、なるべく簡潔に済ませようと思います。

①好きなアーティスト
NUMBER GIRL、ミッシェルガンエレファント、aiko、ペトロールズ、星野源、スピッツ、ビートルズ、アークティックモンキーズ、オアシス……etc.

②好きな作家
綿矢りさ、森博嗣、伊藤計劃、鈴木光司、小酒井不木……etc.

③好きな映画
レザボアドッグス、ジャッキーブラウン、ウルフ・オブ・ウォールストリート、ガタカ、東京物語、劇場……etc.

④好きな漫画
寄生獣、ピンポン、鋼の錬金術師、無限の住人、HUNTER×HUNTER、スラムダンク、NHKにようこそ!……etc.

⑤好きな芸人
東京03、バカリズム、バナナマン、ラーメンズ、囲碁将棋、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン……etc.

結局、長くなってしまいました。
皆さん、私には気を付けた方がいいかもしれません。

普段はシナリオを書いていますが、このnoteでは主に小説を投稿していこうと思います。

しかし今回、処女作となる『半透明少年』を書いてみて、痛感したことがあります。
単刀直入に言うと、

小説はムズすぎる!

ということで、小説を書くにあたって、私が直面した問題をいくつか紹介したいと思います。
誰得文章ですが、悪しからず。


1.読書経験が浅すぎる問題

私は高校3年生まで、”ド”がつくほどの理系でした。数Ⅲとか受講しているタイプでした。
なぜ理系の道に進んだのか。それは、「文系科目が苦手だから」です。
活字を読むのが苦手だと思い込んでいたのです。
そう。「思い込んでいた」だけだったのです。
高校3年生の終わり頃になって気づきました。

「待って、自分読書好きじゃね?」

まさかの急展開。
大学生になってから急速に読書熱が高まりました。
理系ルートから大きく路線を変更して、文系の大学に入ってしまうほどです。
もとより私は文系だったのかもしれません。

しかし、読書量が人並み以下だった人間が、いきなり読書を始めたところで、読めても1週間に1冊ペース。
絶望的に速読が苦手でした。
この問題は未だ解決しておらず、なんとか訓練して週2、3冊ペース。

小説を書くには、あまりにインプットが足りていません。
「もっと色々な文体に触れる」
これは、非常に大きな課題の一つです。


2.綿矢りさ好きすぎ問題

私が読書好きになったきっかけにあたる本はいくつかありますが、特に影響力が強かったのは、綿矢りさ先生の「蹴りたい背中」でした。

これを読んで、初めて純文学というものを好きになりました。
それまでは、「起伏があってこその物語。エンタメ性に欠ける純文学は楽しくない!」と思っていました。
しかし、書店で文庫本の1ページ目を開いた時の衝撃は今でも忘れません。

「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。」

綿矢りさ『蹴りたい背中』河出書房新社、2003年

ここまで引き込まれた文章に出会ったのは初めてでした。
この素晴らしい本に出会った手の感触を残して置きたくて、「手を洗いたくない!」って思いました。
アイドルの握手会に行ったときと同じあの感覚です。

初めて本を読んで嫉妬をした作品でもあります。作者がこの作品を書いたのは、19歳の時。私がこの本を手に取った時の年齢と同じです。
自分が「井の中の蛙」どころか、「虫かごのかえる」レベルであることを痛感しました。「かわず」みたいなカッコいい呼び方もできません。

このように、自身に多大な影響をもたらした綿矢りさ作品ですが、その影響力は凄まじく、文章を書こうにも、どうしても綿矢節の真似事のようになってしまいます。
正直、真似すらできませんでした。

やはり、目標が見え透いた文章は劣等感が際立ちます。
なんとなく足りなさを感じるというか。
それを克服するためには、もっと作家性を身に着けなければならない。作家性を育てるためには、もっとインプットの機会を増やす必要があります。
「だから結局、もっと読書をしろ」ということでした。


3.感覚の言語化が難しすぎる問題

先述した通り、普段はシナリオをメインに執筆しています。
シナリオを書くにあたって、個人的に重要だと思う力は、2つあります。
構成力とセリフ力です。
これさえあれば、ボキャブラリーが貧困でも、ある程度書けてしまいます。
基本的に、画面に映る物事を見たまんまに羅列していけば良いからです。

しかし小説の場合、画面に映らない登場人物の心理を、奥深くまで事細かに書いていく必要がある。
例えば、

「ある一人の男が、大雨の中、傘を差さずに横断歩道の中心に立っている」

という場面があったとして、
シナリオの場合は、ほとんどこのまま書いてしまえば成立してしまいます。
(ト書きのルールとか色々あるけど、今はノータッチで。)
小説の場合は、なぜ傘を差さないのか、なぜ横断歩道の中心なのか、を言葉にして、文章に落とし込まなければならない。
今までシナリオしか書いてこなかった私は、先の問いに対して、「それは観客の皆様のご想像に委ねます」とか言って、その場をしのぎます。
「だってなんとなくそうすると思ったんだもん」と内心思いながら。

小説では、そんなこと許されません。
「なんとなく」の部分をしっかり言語化しなければならない。それが本当に難しい。
正直シナリオを書くときよりも、頭を使いました。今まで怠けていた脳みその部分を叩き起こしたような気分です。

今更、小説とシナリオの違いを語られても、という感じだと思いますが、改めて小説の難しさに驚嘆したということを私は伝えたかったのです。
何もシナリオの方が簡単だとを言いたい訳ではありません。
映像ベースで考える文章も、それはそれで難しい。


まとめ

こんな感じで、言い訳じみたことを長々と書いてみました。
少しでも共感してくれた人がいてくれたなら、とっても嬉しいです。
というか、ここまでちゃんと読んでくれた人、あなたにはきっと良いことが起こりますよ。
こんな駄文をまき散らす一介の大学生の文章を、色眼鏡をかけずに最後まで読んでくれるあなたは良い人。
良い人には良い事が起こります。これ世の理なり。

これからも、不定期に小説を投稿してみたいと思います。
あるいは、エッセイとか文学評論的な記事も書くかもしれません。
(綿矢りさを語る記事とか書いてみたい)
温かく見守っていただけると幸いです。

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
それでは又。

~完~


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