救急用ヘリコプター到着まで2時間以上の離島で。島唯一の医師が取り組む医療とは?|北海道立天売診療所 大野義一朗さん
北海道の離島である「天売島」。絶滅危惧種のウミガラスやウトウが生息し、「海鳥の楽園」と呼ばれています。天売島へのアクセスは、本土の羽幌港からフェリーで約1時間半、島民数は247名です。(2024年10月末日現在)
「へき地の中でも医師が来ないところ」と呼ばれる天売島で、たった一人の医師として働くのが、北海道立天売診療所の大野義一朗さん。大野さんは外科を中心に救急、診療所とさまざまな場所で診療してきた経験を活かして、天売診療所で患者の生活を支える医療に取り組んでいます。
「医療資源が少なくても、患者を治療してその生活を支えるという『医師の原点』が天売島にはあります」と話す大野さんに、天売診療所で働く苦労や魅力を伺いました。
大野 義一朗さんの経歴
北海道立天売診療所
所長 大野 義一朗さん(医師)
1982年北海道大学医学部卒業後、東京勤労者医療会代々木病院で外科医として研修を開始。1992年東葛病院に異動し外科部長、副院長、みさと協立病院院長代行、野田南部診療所所長など地域医療に携わる。その傍らで、1997年11月から1999年3月まで第39次日本南極地域観測隊医師として越冬し、その後国立極地研究所客員教授として南極医学医療に従事。2022年3月、東葛病院を定年退職後、4月から北海道立天売診療所に赴任し現在に至る。
慢性疾患から急患まで。天売診療所の診療体制
天売島に初めて医師が着任したのは、1894年に天売村立診療所が開設されたときのこと。その後、羽幌町や北海道など運営母体の変遷があり、1958年に現在の北海道立天売診療所の名称になりました。診療所が開設されたものの、医師が常駐していない期間も多かったといいます。
現在の診療所のスタッフは、医師1名・看護師1名・事務職員1名です。無床診療所で、入院のための病床はありません。
診療所の患者数は1日10名ほどで、その内訳は「定期受診・慢性疾患」が63%、「新患・急患」が21%、「保健衛生(ワクチン接種・検診など)」が16%です。慢性疾患の患者は糖尿病や高血圧などの管理が主で、訪問診療やがん末期の看取りも対応しています。
「急患は皮膚科や眼科なども含め全科にわたり、風邪のような軽症から脳卒中、心不全など命に関わる重症まで、島内の患者さんはすべて診療所にやってきます」と、大野さんは診療所の幅広い受入れ状況を語ります。
血液検査は診療所ではできないため、検体を船で運び、旭川の業者に検査を依頼しています。検査結果は翌日にFAXで届くため、すぐに結果を知りたい患者でも待つ必要が出てきます。天候不良で船が欠航したり、すでに出港してしまっていたりする場合は、患者には船が出る日に来院してもらって検査をすることも。尿検査、心電図検査、X線検査、エコー検査などは診療所で可能ですが、検査技師がいないため、医師や看護師が自ら行っているそうです。
また、天売島には薬局がありません。診療所に常備されているのは、解熱鎮痛薬といった最小限の薬のみです。定期処方などの緊急性が低い薬は、対岸の羽幌町にある薬局へ処方箋をFAXで送り、翌日の船で配達されます。
救急搬送が困難だからこそ。医師が常駐する意義
もし、島で急患が発生したら、どのように対処しているのでしょうか? 大野さんに伺いました。
「島には救急車が配備されておらず、患者さんの搬送は消防車が出動する制度になっています。消防署は分遣所があり、1名の消防職員が常駐していて、今年の消防職員は救急救命士の資格があります。運転手を担当するのは町役場天売支所の所長です。また、島の消防団も組織されていて、ヘリコプター搬送時の現地準備といった人手が必要な際は、患者さんの搬送の手伝いをします」
天売診療所でできる治療は限られており、入院設備もないため、入院が必要な患者はすべて島外の病院へ搬送しなければなりません。現在、連携している医療機関は、北海道立羽幌病院や留萌市立病院、旭川市内の病院などです。島外への救急搬送の手段は、札幌や旭川から来るヘリコプターや海上保安庁の巡視船などですが、到着まで2~6時間かかります。天候が悪ければ回復を待っての出動になるため、搬送はさらに遅れます。
このように、救急搬送が簡単にできないからこそ、医師が診療所に常駐する意義は大きいです。患者が重症になる前に、症状の変化を早めに相談ができれば、定期フェリーでの受診誘導が行えます。
定期的な遠隔医療相談でつなぐ連携
天売診療所では、医師が一人で診察することによる誤診を防ぐために、遠隔診療システムを使って、連携医療機関の医師とミニカンファレンスができる環境をつくっています。現在は、月1回定期で遠隔医療相談をすることで使い方に慣れ、緊急時に有効な使用ができるようにしているといいます。
また、遠隔医療相談は、他の医療機関への搬送時にスムーズに受け入れてもらうためにも役立っているそうです。
「以前、ペースメーカーの植え込み手術を予定している患者さんが急変したときに、遠隔診療システムで事前に病状を相談していたことで、迅速に搬送できて命が助かりました。通常、ヘリコプターでほかの医療機関に搬送するまでには、病状の細かい説明が必要で、結果的に受け入れ困難なケースもあります。あらかじめ情報共有ができる遠隔医療相談は、非常に役立っています」
へき地で役に立つ医師に。天売島で働く理由
困難さも多い離島での医療。大野さんは、なぜ天売島での活動を決めたのでしょうか?
大野さんは、65歳の定年が近づいた頃「これまで培った力をへき地で役立てたい」と考えるようになりました。大野さんがこう考えるようになったのは、医学生時代に医療過疎が身近な環境で学んできたことが影響しているといいます。
1980年代、大野さんが北海道大学医学部の学生時代に実習した病院では、卒業したての医師がへき地の診療所へ2年間配属されていました。若手医師は、へき地でやっていけるか不安に感じながらも、先輩の医師に励まされて赴き、そこでさまざまな経験をして力をつけて、医療の大切さを学んで帰ってくるような時代だったそうです。
大野さん自身は、1982年に大学を卒業後に東京の病院で研修し、外科専門医になります。「どんな病気も診ることができる医師になりたいし、へき地でも役に立つ医師になりたいという思いはありました」と語る大野さん。その後、大野さんは都市部の病院で外科手術や救急医療を中心に取り組み、高齢者医療や診療所に足場を広げ、地域医療に携わってきました。そして65歳の定年を機に、へき地医療に挑戦することにしたのです。
多くのへき地がある中で、天売診療所を選んだ理由について、大野さんはこう語ります。
「へき地の中でも天売島は『医師が来ないところ』と聞きました。医師が一人だけの離島の診療所で住民が必要な医療を受けられるようにするのは、これまでの経験からは想像もできないほど大変そうですが、やりがいもあるに違いない、ここへ行ってみようと決めました」
治療の先にある希望を叶えることが「医師の役割」
天売島で医師として働く魅力について、「医師の主な仕事は病気を治すことです。しかし、医師ができる医療が限られていることで『医師の本来の役割とは何か』という根本的な問いに直面し、考えさせられるところだと思います」と、大野さんは話します。
できる検査や治療が少ない、そんな中でできることは何かと試行錯誤を重ねてきました。そして見つけた医師の役割とは、「患者さんをよく診て希望をていねいに聞き、それを支援していくこと」だったといいます。治療自体が目的ではなく、患者の「病気を治療しながら仕事を続けたい」「在宅医療を受けて島で最期を迎えたい」などの希望を叶えることこそが、医師が治療をする目標なのだと。
市街地では、外科や内科などの専門科や診療所、総合病院などに役割が細分化されています。外科医なら手術の成功、内科医なら慢性疾患の管理といった、それぞれの役割を果たすことが目的となりやすいです。しかし、そうした役割を果たすだけではなく「治療の先にある、患者さん一人ひとりの希望を支援するという視点」をもつことが大切だと、大野さんは話します。
天売診療所では、島全体の医療を担っています。治療だけでなく、介護や生活の仕方についても一緒に考えて、支援するのも医師の仕事です。そして、多くの島民と顔見知りだからこそ、患者の人柄が分かり生活への希望をていねいに聞くことができます。
また、診療所では年に2回、本土から整形外科の専門医に診察に来てもらっているそうです。重労働が多い島の漁師たちは、腰や膝の痛みなど整形外科の疾患で困っています。しかし、天売島の患者が、整形外科を受診するために札幌や旭川まで行くと2泊3日ほどかかってしまい、受診したくてもなかなか行けないのです。
天売島では、整形外科の医師もじっくりと時間をかけて診察ができます。患者は、専門医に診てもらえることでとても喜び、その様子を見て整形外科の医師もうれしそうです。医師は、必要な医療をきちんと提供できる貴重さを実感して「天売に来てよかった、また来るよ」と言って帰っていくといいます。
急変時に患者を助けられない厳しさも
島外への搬送に時間を要する天売島では、「患者の急変時に搬送が間に合わない」という厳しさに直面することもあります。
看護師や事務職員が不在の時期で、診療所に勤務しているのが大野さんだけのときに、急性腹症で手術を必要とする患者が来院したことがあったそうです。診療所でできる治療をしながら、ヘリコプターが到着するまでに4時間半ほどかかり、病院に患者を搬送しました。しかし、入院後の病状説明中に、患者は心肺停止となり亡くなられたのです。
その後、大野さんはご家族に、治療が間に合わなかった無念さを伝えました。すると、ご家族は「先生がそばにいてくれてよかったです。診療所で点滴をしてもらった後に本人が『もう元気になったから帰る』と言って、『それは駄目だよ』とみんなで笑ったときの笑顔が、最後に覚えている姿なんです」と感謝の気持ちを伝えてくれました。
着任して間もない時期にこの経験をした大野さんは、「都市部とはまるで違う救急の困難さを、身をもって理解しましたが、同時にご家族の言葉に励まされました」と、当時の心情を振り返ります。
患者が希望する場所に住み続けるために
一人ひとりの患者が希望する生活を叶えるためには、介護サービスの整備も重要です。しかし、大野さんは天売島の課題として、介護サービスの不足を挙げています。
「島のデイサービスは週に2日間で、訪問看護ステーションや訪問介護事業所はありません。ご家族だけで介護を担うのは難しく、医療だけでなく介護サービスの拡充が必要です。介護力の不足が理由で島での生活が続けられず、まだまだ元気なのに島を離れて市街地の施設に入らざるを得ない高齢者もいます」
以前、脳卒中の後遺症で電動ベッドが必要な患者がいたため、介護保険で貸し出しを受けようとしたら、天売島は対象外だと断られたこともあったといいます。どうにかしなければと、島内で電動ベッドが空いている先を探し、借りてきたそうです。そして、患者は電動ベッドを使って起き上がり、トイレに行けるようになりました。
「生まれ育った天売島に住み続けたい」という島民の気持ちを大切にするためには、病気の治療とともに、必要な介護が受けられる環境づくりが課題です。
へき地や天売島での医療の魅力を伝えたい
最後に、大野さんに今後力を入れて取り組んでいきたいことを伺いました。
「住民にとっても医師にとっても安心できる医療環境、たとえば救急対応や遠隔診療、介護体制などを整えていきたいと思います」と大野さん。そして、その先の最大の目標として「たくさんの医師に、へき地、離島、天売島で医療を行うことに関心を持ってもらいたい」と語ります。
「離島では医師の責任は重いぶん、島民からの期待も大きいです。医師としての総合力が求められるからこそ『医師力』が鍛えられますし、医師の存在意義がはっきりと見えるからこそ頑張れます。そういった、へき地・離島医療の魅力を伝えていきたいと思います。そして、若い医師にも、ベテラン医師にも、人生のそれぞれのタイミングで離島の医療を経験してほしいです」
天売島の人々の健康を守り続けるため、後継の医師が働きやすい環境づくりに力を注ぐ大野さん。島民の希望を叶えることを目標に、島の医療の未来を切り開いていきます。